新社会人になった僕は不安だらけだった。
そんな僕を癒してくれたのはこの店だった。
紅見市にある紅見駅ビルの片隅にその喫茶店はある。その喫茶店のお客様男女比率は比べることもないほど男性客が多い。
その喫茶店の名は紅見喫茶店。別名、ローテーション喫茶と呼ばれている。店員が日替わりでこの店限定の店内ラジオで盛り上げているからだ。
五月、僕が最初にこの店に訪れたきっかけとなったのは毎日よく見るブログの管理人がその店内ラジオを絶賛していたからだ。
これは行くしかないと思った。
最近勤め始めたばかりの僕としてはそのラジオに救いを求めるしかない。
初めて行ったその店の内装は特別凄い訳でもなかった。
レジから少し離れた真ん中くらいの場所には何かラジオで使いそうだなと思われる物がそのまま置かれていたがそれ以外は至ってそこら辺にある喫茶店と何等変わらない。
ただ、普通の喫茶店とは少し違う感じがした。
やはり、あのブログの管理人も書いていた通り、女性客よりは男性客の方が多いようだ。
現時点での全客数は僕を含め九人くらいだろうか。
その内、二人は女性。残り七人中、四人の男性客は各々、テーブルに向かって真剣に紙に何か書いている。
無言だ。
そういえばこの時間はまだ生放送が始まる二時間前だ。
だから、人少ないのかな……と考えていると店員が水と御絞りとメニューを持って来た。
「ご注文がお決まりになりましたらそちらの方を鳴らして下さい」
そう言って店員は奥に引っ込んでしまった。
店員が置いて行ったメニューをざっと見て、コーヒーを頼む事にした。
確か、店員はこのボタンを押せと言ったはずだ。
(たぶん、これ押せば『鳴る』よな?)
ぎゅっとボタンを押してみた。
何も鳴らなかった。
だが、しかし店員はやって来た。
(何で鳴らないのに分かるんだ? もしかして、この周りで書いてる人達に配慮してなのか!)
嘘か誠かは分からないが。
しばらくして注文したコーヒーをゆっくり飲んでいると店内がざわざわと騒がしくなり始めた。
客数もかなり増えて来た。
「ここ、良い?」
そう言って僕の目の前の開いている席に勝手に座って来た男は近くの一人の店員に手を上げ、
「きのみちゃん! オレ、今日はアイスコーヒーね」
「分かりました!」
何か店員も慣れている感じだ。
「君、ここ初めて?」
「え?」
注文を終えた男は急に話し掛けてきた。
「いや、だってさ、見ない顔だから。この時間になるとだいたいの客って常連客だけになるからさ。たまにそれ知らないで来るお客さんいるけどね。君、オレの言う『それ』分かる人?」
(何だ? この人は)
「わ、かりますけどここに来るのは初めてで」
「そう、じゃ、君、まだ生放送とか見てないんだ」
「はい、まあ」
「ふーん、オレ、
と言ってその男、末広さんは片方の手を差し出してきた。
その顔には笑みが溢れ出している。
仕方なく僕はその手を握る事にした。
「こちらこそ」
手を握り終わったところで背中越しに声が伝わってきた。
「スタートです! ほのかのホッと生ラジオ!」
その声が店内に響き渡るとその店の客は一斉にリスナーになった。
「最初のお便りは会員ナンバー、
その声に反応する男が一人いた。
たぶんあれが会員ナンバー、四十さんだろう。
他の者は冷静だ。
否、冷静ではないかもしれない。
読むか読まれるか、書いて送って泣き笑いの三十分以内の店内ラジオ生放送なのだ。
それが自分のお気に入りのメインに読まれれば嬉しさは百倍だ。どれくらいそれが持続するかは個人にも依るところだが云々とその日の店内生ラジオが終わってから閉店時間近くまで熱く末広さんに語られた。
その話の最後に末広さんは僕にこう言った。
「なんか、オレ感じる。君の未来がここの会員になるよって」
「会員?」
「そう。ほら、レジの所に手書きのポスター貼ってあるだろ?」
末広さんがレジの方を見るために右横を向いた。僕も末広さんの向く方向に目を向けた。
「あれがここの会員になりませんか? というやつでちなみにそのレジの所にいるのがここの店長さんね。で、その近くの席に一人でいつも甚兵衛着てコーヒー飲みながら座ってるのがダーマさん。ダーマさんは冬でも甚兵衛って噂があるくらい甚兵衛がお気に入りらしい」
「はあ……」
僕があまり気がない返事をすると末広さんは自分の会計をするために立ち上がった。
「まあ、最初はこんなもんだよ。一回でも自分の書いたのが読まれたら嬉しさ百倍どころじゃなくなるんだ。君も一回でも生でこの場で読まれればこの気持ち分かるようになるよ。ただの『会員』から『リスナー』に変わる時が一番グッとくるんだけどね。でも、それは一度きりの事だからね」
自分の時の事でも思い出しているのか末広さんの顔はにんまりとしていた。
「まあ、『会員』になりたいなーって気持ちになるのが第一なんだけどね」
と言い残して会計に行ってしまった。
僕もその後に続いて会計を済ませ、その『なりたい』気持ちにこれからなれるのだろうかと家に帰ってからもぼーっと考えたが最終的には末広さんには何かそういう力があるのだろうかという疑問に行き着いて終わった。
あれから、度々、この店に来てはビージーエム代わりの店内ラジオを聞きに来ている。
最近ではこの店一番の最年少の店員だという子に、
「もう、常連客になっちゃいそうですね」
と会計の時に言われた。
それも良いかもしれない。
僕にはもう楽しむ事なんてこれくらいしかないのだから。
そう考えると何だか、僕もこの店内ラジオのリスナーの一人になりたくなってきた。
でも、どうすれば良いのか分からない。
そこで、数日後の生放送終了後に末広さんに相談する事を決めた。
いつも末広さんは生放送の時はいるので声を掛けやすい。
その日の生放送終了後、レジ近くの席に一人でせっせと手書きのお便りを書いていた末広さんに思い切って打ち明けた。
「え! そう、とうとう君もここの会員になること決めたんだ」
末広さんはそれまで書いていた手を止めてガバッと顔を上げてかなりそのことに反応してきた。
「なんですけど、『会員』ってどういうことだかいまいちよく分からないんですよね、あのポスター見ても」
レジの所のポスターには『これで君もラジオネームに困らないよ』とか『会員制始めました』とか『会員ネームはもうお決まりですか』とか書いてあるだけでその詳細がよく分からないことになっている。
「ああ、無理もないね。君、視力は良い方?」
「まあ、そこそこは」
「そこそこか、じゃあ、いつも会計する時でっかい宣伝用のポスターじゃなくてその出入り口付近にあるあそこのエーヨンサイズのピラ紙見てる?」
末広さんの言う『ピラ紙』……あまり今まで目に入れてなかったが大事な事でも書いてあったのだろうか? という顔をしていたらしい僕に対し、末広さんはその『会員』になるための説明をしてくれた。
「良いか、『会員』になるためにはそのピラ紙に書いてある日時にここに来てただあちらさんが出してくる会員登録用紙に必要事項を明記するだけで良いんだ。書き終わればそれで終わり。あとは自分の携帯に後日、送られてくるメールに従ってやるだけだ。な、その辺にある登録の仕方とだいたい同じ。そして、登録が済んだら自分の思うがままに便りを書くだけになるわけだが、ラジオネームを書かない奴がこの会員制を始める前までは多かった――と聞く。という訳でその会員番号の数字をそのまま使ってラジオネームにするというのが主流になったそうだ。で、ここでこの前話したダーマさんが登場するわけよ」
「はあ」
末広さんは興奮してきたらしい。眼が輝き出した。
こうなると末広さんはヤバくなるというのを先日発見した僕だったがもう遅い。
末広さんの小話が始まる。
「今ではダーマさんのおかげで『会員ネーム』ってのが主流になってる。ちなみにオレは会員番号がゼロハチだから末広ね。ああ、そうそう、この会員番号はこの店内ラジオで一番大切なものだから忘れないためにもそうしたという話があるんだけどそれはまた今度の機会で良いよな?」
何だ、今日は小話にはならなかったかと少し残念だ。
というか末広さんは自分の言いたいことだけをチョイスしているらしい。
もっと詳しくはあの店長とかに訊いた方が早くて良いのだろうかとも僕は考えながら末広さんの話に耳を傾けた。
「あとは何だろうな……ああ、あれだ。『会員』になったからにはファンではなくリスナーとして接しろ! っていうのがあるな。ファンになるとそれ以上の関係を築くことは不可能に近くなるが会員ということであれば大目に見ることもあるみたいだ」
「大目ってなんですか」
「だから、そういう関係になってもしょうがないって思ってもらえるってことだよ」
「え?」
僕があまりにも理解力がないために末広さんは少し困ったような感じになった。
「あのね、オレ達リスナーの大半は『男』なわけで、メインは『彼女達』だろ?」
「はい」
「だから、そういうことなんだよ」
僕は曖昧な言い方をする末広さんの言っている意味が分かるようで分からない気分でいたかったのかもしれない。
「君、ニブイの?」
「そんなことはないはずです」
「じゃ、分かるよね? 男女の仲になったって構わないってこと」
なんとなく顔が赤くなってしまう歳でもないがそんな気持ちになった。
「別にそんな初々しい気持ちにならなくても」
言葉にしていないのに末広さんに何故だかバレた。
末広さん恐るべしだ。
僕は話を変えるべく、末広さんに訊いた。
「その、会員申し込みっていつやってるんですか?」
「んっと……明日だ」
「え!」
僕は驚いた。
末広さんはそのピラ紙をじっと見てから顔を僕の方に戻した。
「良かったじゃないか。善は急げだと思うよ。何だったらその考えが鈍る前にオレが君の会員になるのを見届けて、会員ネーム付けてやるよ」
僕はその言葉の意味をよく理解できなかったので当てずっぽうで言ってみた。
「その『会員ネーム』ってラジオネームってことですよね?」
「そうだよ」
末広さんは如何にもという風に言った。
「皆が皆、自分で会員ネームを付けるわけじゃないんだ。決まらない奴は誰かに付けてもらったりしてるから安心しろ」
「安心しろって」
僕が口籠っていると末広さんはまた話し出した。
「まあ、会員ネームは会員番号で決まるからな。変な会員番号になったりしたら考えるの大変であの時の会員番号四十みたいになるんだよ」
「え? でも会員番号四十さんは何か付けやすそうですけどね」
と僕がぼそっと言うと末広さんは溜め息を一つ付いてしまった。
「それがね、彼も当初は『シソ』という会員ネームを使っていたんだ。だが、彼は突然その会員ネームを使わなくなった」
「どうしてですか?」
僕は前のめりになって末広さんに訊いた。
「元々、彼は紫蘇が嫌いな人間だったらしい。だが、会員ネームを付けなければと考えた結果、自分が一番嫌いな食べ物の名前を付けることにした。そのせいで彼はその紫蘇を数か月聞き続けた。そのうち、彼は自分の好きなメインに嫌いな名前を言われ続けることにより、軽いストレスを持つようになってしまった。そして、それが苦痛になり、使うのを止めた」
どこにでも転がってそうな話だと思ってしまった。
「という話もあるわけで会員番号ってのはリスナーにとってとても大切なものなんだよ」
「その会員番号はどうやって決まるんですか?」
「それはオレもよく知らないけど何でも店長がその会員番号を管理してるらしいというか順番だと思うけどな。ま、運だよ、良いも悪いも」
そう言って末広さんはまた書き出してしまった。
僕はそんな末広さんに向かって、
「明日、よろしくお願いします。行く時間後でメールしますから」
と頭を何となく下げてしまった。
「ああ、うん」
末広さんは上の空で言ったように聞こえた。
翌日、会員登録の申し込みの為僕は末広さんに見守られながら会員になった。
店長はパソコンをカチカチさせながら言った。
「うん、君の会員番号は……」
僕の会員ネームが決まってしまう会員番号は何だ! 早く言ってくれ! という気持ちも顔に一緒に現れた。
「番号は、八十八だね」
店長はまだカチカチしている。僕がついさっき書いた会員登録用紙をその場で入力しているらしい。
末広さんはその会員番号を聞いて一瞬で閃いたらしく、
「君の名前は――」
末広さんは僕にビシッと自分の人差し指の代わりにたぶん、今、店長が座っている机の上のどこにあったのであろうプラスチック製の三十センチ定規をビシッとさせながら言った。
「これしかない! 『ハッパ』だ!」
「はっぱ……?」
僕は意表を突かれた。
「そう、ハッパ。ハッパ、ろくじゅうしで覚えやすい。ハッパ」
「ハッパって他にもあるんじゃないですか!」
「例えば?」
末広さんは少しムスッとしていた。
そんな名前絶対使えないというか使いたくない僕は一生懸命だが何も考えることも出来ずに言った。
「八十八で『ハハっ!』とか」
「何それ、どっかの某キャラの笑い声じゃないんだからね」
すると、それまで黙って作業していた店長が口を開いてこう言った。
「ハッパで決まりだな」
キラン! って感じがしてそれ以上言う気も失せ、結局、僕の会員ネームは末広さんの『ハッパ』に決定してしまった。
(最悪だー!)
と帰りに大声を出したかった。
会員になれたことには後悔しなかった。
その後、すぐに末広さんに言い、ハッパの意味だけはその末広さんの言うククの覚え方ではなく植物の葉っぱの方にしてもらう事にした。
それには店長も納得してくれた。
「ところで、このピラ紙に書いてある『会員候補者』って何ですか?」
会員になった僕は会員申し込み後に店長からもらった一枚のピラ紙を読みながら末広さんに訊いた。
「昨日までの君の事」
と一言だけ末広さんが教えてくれた。
「そうなんですか」
「他には」
末広さんの邪魔をしない為にもここはと思い、
「ありません」
と言っといた。
すると、末広さんは何か思ったらしく、
「そう、最初はお便り書くの大変でしょ?」
と言ってきた。
僕は何故かその時負けてなるものか精神で言ってしまった。
「そんな事もありません。僕だってちょろちょろは書いてましたから。他のラジオに」
「へー、そりゃ、良い事だ」
と言って末広さんは自分のお便りの最終チェックを開始した。
そんな末広さんの隣で僕はまだ真っ白な紙を見つめた。
(本当、難しいよな。当たり障りないのって)
と考える事、十五分。
出来れば簡単だとその時思った。
すると、横からにゅっと末広さんが僕の書き終わったお便りを読もうとした。
透かさずお便りボックスという手作り感たっぷりの淡い緑色の色画用紙とダンボールで作られた書き終わったお便りはこの中へ入れる事になっている箱に入れた。
「見せてくれたって良いじゃない?」
「ダメです。それに放送聞けば良いでしょ」
「でも、今日はほのかちゃんの生放送日に急に決まっちゃったからな、抽選かもな」
末広さんは少し諦めているようだった。
「今日はユズノちゃんが風邪でお休みなので急遽、ほのかのホッと生ラジオです。それでは三十分以内の生放送スタートです。最初のお便りは――」
その声に口にオレの来い! と強く思ったが違う人のお便りだった。
その後も数名読まれたが全然自分のは読まれなかった。
もうあと十分しかない。
末広さんが諦めていたのも分かる。凄い人数だ。ほのかさんの店内ラジオはやはりメイン三人の中でも一番人気らしい。
というかラジオらしいラジオがほのかさんのしかないからだと思うが。
「次は、男性の方、あ、この方昨日会員になったばかりですね。会員になってくださりありがとうございます」
と今日のメインのほのかさんは頭を下げてくれた。
そんなのはどうでも良いから早くお便り読んで! とその場にいたリスナー全員が思ったに違いない。
「ハッパさんからです。『初めまして、こんにちは。昨日、会員? 否、リスナーになりましたハッパと申す者です。ハッパの意味はククの覚え方ではなく植物の葉っぱなので言い間違えないでくれると嬉しいです』そうですか、皆さんも発音、イントネーションに注意してあげてくださいね」
ほのかさんは次のお便りに移った。
隣の席でそれを見聞していた末広さんに凄い目で、
「オレへの不満?」
と言われたがこの場にいる全員に末広さんが付けてくれた会員ネームを広めたかったと言ったら元の機嫌に直って良かった。
初めて店内ラジオのリスナーとして読んでくれたのがほのかさんということもあり、僕はほのかさんを好きになってしまったかもしれなかった。
*
僕はまた仕事帰りに紅見喫茶に行き、末広さんと同席し、あの時店長からもらったピラ紙を読んでいた。
「末広さん、この『店内ラジオ会員制度』って僕が会員になる前に末広さんがホント簡単に教えてくれたやつのことですか?」
「そうだよ」
末広さんはまたお便りを書いている。今度は淡い黄色の紙。確か事前収録用のやつだったと思う。僕が初めて書いたのは生放送用の白い紙だ。
が、そこまでして『オレのお気に入り』だと言い張るきのみちゃんに読んでほしいのだろうか?
ぶっちゃけ、きのみちゃんはアシスタントの前に高校生ということもあり、店長が勝手に事前収録でしか聞くことができないと決定してしまったらしい。
という訳できのみちゃんは運が良ければ店内ビージーエムで聞けるという程度である。
ちなみにきのみちゃんは店内ラジオ生放送日は必ずと言って良い程接客に集中している。
それに比べればメイン中のメインを押している僕はまだ良い方なのかもしれない。
「ってファンになったら負けだと思え。リスナー止まりだ。良いな?」
「分かってますよ、もちろん」
末広さんは僕のこと等お見通しなのだろうかというくらい時々信じられない発言をしてくるので怖い。侮れない人だ。
そんな事をしている時だった。
「この席空いてる?」
と言って勝手に男が僕と末広さんのテーブルにやって来て空いている椅子にドカッと座った。
(この人は確かあの会員番号四十さんじゃなかったか?)
などと思っていると末広さんが突然、大声を出した。
「ああ、間違えっちゃったんだけどー、もう、四十。毎回、ドカッて座るの止めてくんない? ペンなのに消せないんだぞ、これ」
本当だ、少し紙に線が微妙に付いている所がある。
やはり、彼はあの会員番号四十さんらしいことが末広さんの独り言のような話で分かった。
「良いだろ? それくらいお前イチオシのきのみちゃんだってあの『ユズノ』よりバカじゃないんだから」
「これくらいならユズノさんだって読めますー」
何、この二人張り合ってんだ? と思っていると会員番号四十さんに唐突に言われた。
「君ってああいうネーミングセンスなの?」
僕には何が何だか分からなかった。
「あの、すみません。おっしゃってる意味が分からないんですけれども」
と一応、僕はとっても丁寧な言い方で会員番号四十さんに返してみた。
「ああ、ごめん。俺、会員番号四十、よろしく。まあ、皆は末広みたいに『四十』って略してるけどね。君も略したかったら略して良いからね」
「はい」
何か嫌な感じだ。
末広さんの方が親身な分余計にという感じがする。
「ああ、でね、さっきの事なんだけど実は俺、ハッパくんだっけ?」
「はい、そうです」
「が、会員ネーム決めてるの横で聞いちゃっててね」
「はあ……」
「思い出しただけでも笑えてくるよ」
四十さんはくくく……と僕的には嫌な笑い方で笑った。
「ああ、やっぱり聞いてたんだ。四十。そうだよな、こいつのネーミングセンスってないよな」
(末広さんまで四十さんに味方か?)
「だってさ、ハッパくんあの時いろいろ出してたけどさ、八十八だからって『母』とかさ」
「ああ、それにはオレも『君は男だろ!』と突っ込んだよ、さすがに」
「それからさ、『八十八夜』だっけ? あれも末広に何だっけ? 何か言われてたよな」
「ああ、あれはオレ的に『何か嫌だなー』って思ってすぐさま却下したんだよ」
「それ、思っただけならハッパくんも良かったのにね、お前言っちゃうんだもん」
(今度は二人してか!)
と僕が心の中で何かと戦っている時もその二人は笑い転げていた。
そんな事があった後日、仲良くなった会員番号四十さん曰く、
「葉っぱ関係にロクな名前なんて付けられないよ」
と言われてしまった。
ますます、ガックリきた。
末広さんは自分用のピラ紙を持ちながら口火を切った。
「では、店内ラジオ会員(候補者)制度の一についてからだな」
「はい」
僕、末広さん、そして、何故か『解説がいるだろ』と少々、強引に店長とダーマさんも加わり、会員制度についての勉強会というのが始まった。
「そもそも、この会員制度というのはふくちゃんが一番最初に提案したものだという事を知っといてほしい」
「マスターの言う『ふくちゃん』っていうのは副店長のことだから」
なるほど、店長の意味不明な言葉はダーマさんが通訳してくれるから解説が二人もいるのだと僕は思った。
「質問とかは後でまとめて訊くからぼちぼち始めるぞ。今日は久しぶりに客数も少ないことだし」
所謂、『暇潰し』というやつか。
「じゃ、まずはさっきも言った通り、『一、紅見喫茶店会員になった者はファンではなくリスナーとしてメイン達に接する事。ただし、その他の時はお客様であることに変わりはない』についてですね」
末広さんは少し態度を改めたようだ。
末広さんが二人を敬っているからだろう。
「うん、これはね、この制度が始まる原因にもなった事が関係してるんだ」
店長はその記憶を思い出しているかのような口ぶりだった。
「あれ、でも、マスターはその事に気付かなかったんでしょ?」
ダーマさんの話にそそられた僕は質問してみる事にした。
「あの、ダーマさんが言うその『事』って何なんですか?」
「ああ、ハッパは知らないんだっけ? 結構、会員の間では有名な話でね。まあ、オレも当時の事は知らないというか話に聞いただけなんだけど。ある一部の客達が店内ラジオ始まった最初の頃にメイン達に対して少しウザったい言動とかしてメイン達が困っていたのを副店長が見てね。で、店長に案としてこの『会員制度』を出してみたところ採用されたってわけよ。そうですよね、店長」
「ああ、だいたいそんな感じ」
店長は末広さんにたぶんだいたいの説明をされて少しやる気をなくしたようだ。
「そんな訳で次ね」
「え? もう、次いっちゃうんですか?」
店長は僕の言葉に、
「何、まだ知りたいことあるの?」
少し、不機嫌になった。
ここは慎重にと僕は思った。
「いえ、次にいって下さい」
しかし、それしか出なかった。
「じゃ、『二、会員ではない会員候補者もリスナー以上の行動は絶対しない事。ただし、店外での常識範囲内の行動ならオッケー!』ね」
少し、店長の機嫌が良くなったようだ。それを見て僕はぽろっと言ってみた。
「あれ、でもこれだと一と二なんか似たような感じじゃありませんか?」
これは会員心得的なピラ紙を初見した時から僕が思っていた事の一つだ。
「いや、違う! どこがどう違うかは見ても分かるように微妙な所が違うんだ」
店長の言う『微妙な所』とは『店内』と『店外』という点であろうか?
そう思っているとダーマさんが僕の思いを言ってくれた。
「マスターの言う『微妙な所』ってどこなの?」
「分からないかなー。一は『会員』に対してで二は『会員候補者』に対してってところ。まあ、一、二の『ただし……』のところは会員も会員候補者もどっちも適応されるけどね」
「で?」
ダーマさんは僕に顔を何故か急に向けた。
「君は『会員候補者』って言葉の意味分かってる?」
「え、と、あれですよね」
たぶん、末広さんがちょろっと教えてくれたやつで合っていればの話だが。
「あの、微妙な立場の人のことですよね」
僕は少し苦笑いになった。
「そう、微妙な立場。常連客になった者あるいはなりそうな者が完全に会員になろうか迷っている時期の人物達のことを指している」
「そう説明しただろ」
ダーマさんの説明の後にこそっと横に座っていた末広さんに少し怒られた。
あれで全てのことが分かる人ってすごいと思うと末広さんに言いたかったが止めといた。
「後で質問だったみたいですけどここで質問しといても良いですか?」
「いいよ」
店長はあっさりと答えた。
末広さんは何を質問しようとしてるんだ? と少し気になった。
「この『常識範囲内の行動』ってのはどこまでの範囲なのかなと」
少し末広さんを尊敬しそうになった。
「そうねぇ」
店長の次の言葉にここは会員でもありリスナーでもある男ならばとても気になる所だろう。
現に僕も気になっていた。
「うーん、友達以上恋人未満! が理想かな」
(き、きわどいです! 店長!)
それを近くで聞いていたきのみは真っ先にその事をメイン達に話すことにした。もちろん、この制度を提案してくれた千色さんにもだ。
「やっぱり。オレの知り合いの奴にてっきり会員になった奴はそれ以上の事もと期待してなったみたいのもいるので聞けて良かったです」
「まあ、自分としてはその末広くんの知り合いの考えを完全に否定している訳ではないんだよ。彼女達がこの人良いわーなんて思ったりする事もあるだろ。その『この人』が店内ラジオ会員だったらどうする?」
「反対なんてできない、ですかね。やっぱり」
「うん。彼女達もまだまだ恋する青春ちゃん達なわけよ。誰を好きになろうとプライベートの事までは言えない。仕事上の事だったら強く言えるけどね」
「仕事に差し支える事になれば仕事にならないですもんね」
「そう、間違いが起きない事、起こさない事が彼女達が店内ラジオを続ける条件の一つとしてあるからね」
僕はそれはもっともだと思ったが残念な気持ちの方が勝っていた。
「あ、でも、今まで彼女達メインがそのマスターの言う『この人、良いわー』なんて言った事一度もないって話だけどね」
それまで黙って店長と末広さんの会話を聞いていたダーマさんが教えてくれたその情報は僕にとっても嬉しいものだった。
この場にいる会員さん達も少し嬉しそうに下を向いて淡い黄色の紙に何かを一生懸命に書いていた。
「二はこれくらいにして次は三か」
そういう店長にダーマさんはもうこの制度の全ての文章を覚えているのかピラ紙を一切見ずに言った。
「三は――『三、会員になった際に発行される会員番号を会員になった者は必ずラジオネームに使用する事』だ」
「あのー、解説の前にまた質問良いですか?」
「うん、まあ、良いだろ」
店長は少しまたやる気をなくしたようだ。
こんな時にだがそんな店長を数回僕は見て店長が度々不機嫌になるのはもしかしたら店長はただ単にこのピラ紙の内容を読みたいだけかと思った。
が、別にここで店長に言う事でもないと思い、末広さんの発言に注目することにした。
末広さんはダーマさんを見て言った。
「ダーマさんになった理由教えて下さい!」
思いっきりの発言に僕は少し眼が点になった。
「え? 『ダーマ』はね」
ダーマさんも末広さんの発言に意表を突かれたようだが直々に答えてくれるみたいだ。
僕も末広さんもどんな由来があるのかとドキドキした。
「俺が一番初めに会員ネームを言い出した時になんだけどね。俺の会員番号は――これって言っても平気なものなの?」
ダーマさんは店長に確認を求めた。
店長は一応という感じで店内をぐるっと見回した。
「まあ、この場にいる会員さん達なら悪用しなさそうだから良いんじゃないですか」
そう店長に言われたダーマさんは続きを話し始めた。
「ゼロゼロでね。そのことを『ダブルマル』と言い続けた結果、最終的に『ダーマ』となった。これがダーマの由来。そんなにおお! ってなる話でもないだろ」
淡々と言うダーマさんはクールに見えた。甚兵衛効果もあると思うが。
「それでか! って話で次、四ね」
「いやいや、ちょっと待って下さいよ。どうして、その会員ネーム使うようになったかが説明されてませんよ」
店長の強引進行に末広さんは待ったをかけた。
末広さんの言う通りだ。この際、質問は後回しは関係ない。気になった事は随時質問にするに切り替えなければと僕は思った。
「えっとね、それはダーマさんの出番でしょ」
「はいはい」
ダーマさんはそんな店長に対して少ししょうがないなオーラを出していた。
「末広くんの言う『会員ネーム』の説明ね」
「はい、よろしくお願いします」
僕も末広さんも聞く気充分だ。
「うーん、ただ意味は特にないと言えばないんだけどね。何か俺が番号で呼ばれるのが嫌になってね。それだけの事だよ」
その説明に僕と末広さんは同時にダーマさんに訊いた。
「本当にそれだけなんですか?」
「そう、それだけ。『ラジオネーム』って言えば普通な感じがするから会員番号使ってのやつだから『会員ネーム』ってしただけなんだよね」
ダーマさんはそれ以上何も言わなかった。
僕としてはもうちょっと期待した話を聞きたかったが末広さんはそれで満足したようだった。
ダーマさんと話せればそれで良いという感じみたいだ。
「はい、次こそ四ね。四は――」
「店長! 待って下さいって言ってるじゃないですか!」
「何、まだあるの? 末広くん」
もう! ぷん! って可愛い娘がやってくれれば嬉しかった。
「うわ……じゃなくて、ダーマさんが使用し始めたのは分かりましたけどどうしてダーマさん以外のリスナーもこの『会員ネーム』を使うようになっているのかが分からないじゃないですか」
「今日の末広くんは食い下がるねぇ、それはメイン達の意見だよ」
「メイン達の意見?」
僕と末広さんは同じ方向に首を傾げる形になりそうだった。
「この次の『四、店内ラジオお便りの投稿方法は店内に来た際に手書きでも良し、パソコン又は携帯のサイト投稿フォームからのメールでもオッケー! ただし、メールの場合は最低でも生放送の前日までとする。手書きの場合は本番一時間前までに店長か迫平までに渡す事。注、読まれる確率は事前手書きお便りが一番高いです』に繋がってると言いたい」
「どこがですか?」
僕と末広さん、そして、ダーマさんも一緒になって店長に訊く事になった。
「あれ、違うの? あ、『五、一般の方も全ての店内ラジオにお便りを投稿出来るものとする』に繋がってるんだよ」
店長に不安を覚えた。
「ほら、やっぱり、一部の一般のお客様だってこの店内ラジオに興味本位で投稿するなんて事も時々あるから。そういうお客様ってだいたい匿名希望でさ。そんな時に会員番号があるリスナーなら絶対、どちらかを使うだろ? だから、不適切な発言をしないように出来て、何かトラブルが起きた時にも最小限に抑えられる――とメイン達は考えているみたいよ」
店長の考えではないのかと僕は突っ込みたかった。
「僕達はその『不適切』をどうすれば良いんですか?」
末広さんの質問はまだ続く。
「大きな心で受け入れてほしい。こう言っては何だが彼女達はまだまだ一年もまともにラジオなんていうビージーエンムをやってはいない」
「ビージーエムね」
ダーマさんの訂正は的確だった。
「なので、ちょっと飛ばしちゃった四に戻るけどってかもう、五はこれ以上はやらないからな」
末広さんに対しての店長の発言だった。
「で、四。やっと、四かー」
店長は疲れてきてるが最後までやってくれそうで安心した。
こういう機会はあまりというかもうないかもしれないのでしっかり訊ける事は聞いておこうと思った。
「これは遠方にいらっしゃる会員さんともっと自分のお便りを読んでほしい方向けなんだ」
一瞬、ほーと感心してしまった。
「でも、これって生放送に限っての事ですよね?」
おお、今日の末広さんは冴えている感じがする。
「まあ、そうね。サイトの方もここと同じで生放送なのか事前収録なのかって分かるようにしとかないといけないしね。生放送の時が一番危険なんだよ」
「うーん、そんなになんですか?」
僕は店長に訊いてみた。
「まあ、ね、日々リスナーさんの数は確実に増えてきてるから。ちゃんとした対策をしとかないとメイン達がというか紅見喫茶全従業員が仕事の妨害、妨げになってしまう事を知ってしまったしね」
「ああ、あの会員番号五十二さんか。あれは結構な大暴れっぷりだったよね」
そんな事までダーマさんは知っているのかと僕は少し驚いた。
それにしても店長はどうして同じ意味の言葉を二回続けたのだろうか。
僕達がリスナーではなくお客様だと考えるならばその『妨害』という言葉は不適切に感じたからであろうか。
だが、店長はそんな小さな言い間違いの事等無視して先に進んだ。
「えーと、あとは『六、投稿された生放送用のお便りが多い場合に限り公平を喫する為、店長、迫平がその日の本番前までに該当予定枚数に至るまで抽選での運で決定する事とする。読まれなくても逆恨み等、機嫌を損ねない事。尚、お便りの内容により抽選破棄になる事もございます』か。この『読まれなくても』からは事前収録の方にも該当するからね。で、『七、一致団結して店内ラジオを盛り上げる事』、『八、来たからにはワンドリンク以上を注文する事』で会員制度の解説もまあ一応終わりだな」
店長は残り全ての文章が読めて嬉しいようだった。
「って、詳しい解説がまだなんですけど」
末広さんは不満顔で店長を見た。
「ああ、解説? しただろ」
店長はあっさり言った。
「いや、そういう簡単なのではなくてもっとちゃんとしたのをお願いしたいんですけど」
(頑張れ! 末広さん!)
僕は心の中で応援する事にした。
「詳しいのねー。まあ、読んだ通り、六はその危険を回避する為のもので七は、要するにもっとこの店を盛り上げたい! ってことだよ」
「あれ、なんか最初と言ってる事違くない?」
ダーマさんは店長に何も考えずに言ったらしい。
それに対して店長は少し慌て気味になった。
「いや、あれが嘘! でこっちが本当。ほら、やっぱりただ『盛り上げたい』だけで言うのもねぇ」
「うーん、確かにこっちの理由の方がやりがいはあるよな」
「『こっちの理由』って何ですか?」
末広さんが頼もしい。
「大人の事情ってやつだよ。八も同じくだから」
店長の言葉で一刀両断され、そこでこの勉強会も終わった。
それ以後、こういう勉強会の解説を店長は二度とやらないと話したそうだ。
疲れるから。それが全ての理由みたいだった。