――大丈夫だよ、春。
アタシの体に抱き着くつくしの声が優しく耳を撫でる。
冷たい水に触れるように、最初はアタシも体をビクつかせてしまったけど、すぐにつくしの声にも慣れて、自分の安らぎへ変えることができた。
「……大丈夫って……何が?」
わかっておきながらアタシはつくしへ問いかける。
その声も普段話すようなボリュームじゃなくて、コソコソと囁くようなものだ。
図書室にいるのは相変わらずで、誰かにこんなことをしてるところを見られるわけにもいかないってのはあるけど。
でも、アタシが囁くような声を出したのは、そういう大きさでしか発声できなかったからだった。
堂々とつくしに話し掛けられない。
遠慮がちに、羞恥心を押し殺しながら疑問符を浮かべた。
そんなアタシとは対照的に、つくしは艶っぽい微笑を浮かべて返してくれる。
「……わかってるくせに」
いたずらな言い方だと思う。
囁きボイスでそれはズルい。
「……何のこと? アタシ……ちゃんと言ってくれないとわからない」
わざとらしく言ってみせたものの、それはつくしの嗜虐心を煽ることになってしまう。
計算も何もしていないアタシは簡単につくしに顎クイされて、そのままもう一度唇を奪われてしまう。
「っっ……!」
少し声が漏れる。
抵抗するような声。
でも、そこから本気で拒否したりもしない。
情けなくアタシはつくしに身を任せるしかなくなり、操り人形みたいに手をブランとさせながらキスを受け入れる。
やがて唇が離れて、つくしはアタシの鼻をツンと至近距離から突いてきた。
「春は可愛いね。男子の体をしていようと、声が変わろうと、何も関係ないよ」
……それは本当に?
疑問符だけを浮かべて、思ったことは声にしない。
すると、つくしはアタシの心の中の声を汲み取るみたいにして、
「そんな疑うような目で見ないでよ。本当なんだから」
男子の春も、女子の春も、一緒くらい可愛い。
もう一度そう言ってくれた。
……なら、その言葉を信じていいんだろうか。
……いや、ダメだ。
一瞬揺らぎそうになったところで首を横に振り、自分で否定する。
その一連のアタシの動作が面白かったんだろう。
クスクス笑うつくし。
アタシはその様を見て、さっき考えていた自分の思いが杞憂だったと認識した。
――じゃあ、もうこうして密着し合う必要もない。
つくしの拘束から逃れようと動いた。
……けど、
「あれ、春? もう私とのイチャイチャはおしまい?」
ひょうひょうとした様子でつくしが問いかけてくる。
アタシは小さくため息をつきながら、けれども残る恥ずかしさを殺して何でもない風を装っていた。
わざとらしく呆れて見せていた、っていうのが今の自分の態度を表すのにふさわしいはず。
それを悟られないようにしてるけど。
「おしまいだよ。アタシの考えてたこと、杞憂だったみたいだし」
「杞憂? 春がどこかへ行っちゃうんじゃないかって私が不安に思ってるー、みたいに考えてくれてたってこと?」
すごくすごくハッキリ正解を言ってくれた。
でも、正解を正解と伝えるのはこの場合恥ずかし過ぎる。
アタシは何も言わず、ただつくしを退けさせて図書室の健全な空間に戻ろうとした。
……ただ、このタイミングでも『けど』だ。
「えぇ~、いいじゃん春。もっと一緒にくっ付いてよーよ」
「……へ……!?」
腕を引っ張られて、またしてもつくしに抱き寄せられた。
男子の体に変わったのに、ちょっと力が無さ過ぎると思うアタシ。
女子のつくしにここまでホイホイ物理的に振り回されるなんて。
「アタシたちが話すことなんてもうほとんど限られてるよ。だから、これからはもっと密着して、体温と体温を絡み合わせようよ。ね?」
なんか言い方がちょっといやらしい気がした。
良くないし、話すことが限られてるってわけでもない。
アタシは「そんなことない」とつくしの言ったことを否定しながら、本当に伝えようとしていたことを切り出す。
「話さないといけないことならたくさんある。つくしが今言ったこと、体温と体温を絡み合わせるとか……そんないやらしいことして、アタシがもしも女の子を好きなままの先川春だったらどうするつもり? つくし、アタシに……その……お、襲われてるよ?」
体自体は男子だから。
本気を出せば、女子のつくしを押さえつけることなんて余裕……だと思う。
それを思い切って言うと、つくしは一瞬きょとんとした後、吹き出すようにして笑った。
たぶん、図書室に誰かがいたらアタシたちの居場所が簡単にバレてしまうほどの声のボリューム。
動揺した。
今はやましいことなんてしてないけど、二人でコソコソしてることが誰かにバレるんじゃないかって。
「つ、つくし、声大きいよ……! ちょっと抑えて……?」
「えぇ? どうして? 別に大丈夫だし、そもそも今ここにはアタシたちしかいないと思うよ?」
「思う、でしょ? 前にもそういうので尾上さんがいたってオチだったんだし、どこで誰が会話を聞いてるかわからないから……!」
それなら初めから図書室で密着すること自体やめておいた方がよかった。
冷静になってそう思うものの、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。
つくしもその点には気付いてないみたいだし、それはそれで置いておいて、話を先に進める。
「とにかく、アタシはたぶん女の子が……つくしのことが……す、好きなままだったんだと思う。恋愛的な意味で。性的な意味で」
「おぉ。すごい発言だね、春くん?」
茶化すようにしていたずらっぽい笑みを浮かべるつくし。
アタシは恥ずかしさで死にそうになりながら冗談じゃないことを訴えるけど、それを遮るようにしてつくしが問いかけてきた。
「でも、どうして急にそんなことを言い出したの? あれだけ悩んでたのに」
「それは……」
「誰かから指摘された? 青宮君とか、松とかからかな?」
そういうわけじゃない。
アタシが手を横に振って否定すると、つくしは「へぇ」と品定めするような目で見つめてくる。
「じゃあ、誰から? 一人で気付いたとしたら、どんなことがきっかけなのか教えて欲しい。正直、私も突然春からそう言われてびっくりしてる。どうしようかなってずっと思い悩んでたことだし」
「……それはつくしも、ってことだよね?」
「……? 悩んでたこと?」
小首を傾げられ、アタシは頷く。
つくしも一緒に悩んでくれていたんだよね、と言葉にすると、彼女は「うん」と声にして頷いた。
「当たり前だよ。春は私の恋人だもん。辛いこととか悩みごとは全部共有するの。それで一緒に解決していければ一番」
ふふ、と笑って、アタシの頭を優しく撫でてくれるつくし。
何とも微妙な気分だった。
喜んでいいのか、それとも距離が近すぎるんじゃないか、と素直に思うべきなのか。
けど、そんな戸惑いは実際にどうでもよくて。
個人的に少し驚いていたのは、つくしがあまり動じなかったことだ。
もっとびっくりして、深く追求してくるのかと思ってた。
そういうのは全然なくて、ただの会話の流れで話が続いてる。
「それで、誰? 春にその気付きを与えた人って」
緊張する場面じゃないはずなのに、少し心臓がドクドクする。
つくしも圧を掛けてきてるわけじゃないと思うんだけど、よくわからない雰囲気になってしまっていた。
アタシは生唾を飲み込んで、つくしの質問に答えた。
「…………それは、ちゃんとはわからないけど、たぶん……」
「たぶん?」
「……つくし……なのかも」
アタシの発言を聞いて、つくしの頓狂な疑問符が発せられる。
どういうことなのか、アタシはそのまま続けるのだった。