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第66話 吐息と吐息

 薄暗い部屋の中で吐息と吐息が混ざり合う。


 男子の体と、女子の体。


 アタシとつくしは服を脱ぎ、何も着ていない状態で毛布を二枚被っていた。


 その中で互いの体に触れ合い、キスをする。


 実験。これは実験だ。


 先日つくしが提案してくれた通り、元に戻り始めたアタシの心を試すために二人で密着していた。


 男子ではなく、女子にドキドキするようになっていればいい。


 恥ずかしいじゃなく、襲いたくなるような、そんな感覚に苛まれるか。


 もし少しでもキス以上のことがしたければ、しようとしてくれて構わない。


 つくしがそう言ってくれて、アタシは戸惑った。


 襲いたい気持ちになったらって、なかなかな発言だと思う。


 もしそれでアタシがつくしのことを求めなかったら、ただ実験が失敗に終わった、というだけにならず、シンプルに失礼になってしまってつくしを傷付けたりはしないだろうか。


 そんな不安が頭の中を埋め尽くしたから、そこはもう堂々とそのまま問いかけた。


 アタシの正直な気持ちがつくしを傷付けかねない、と。


 でも、当のつくしはどこか余裕そうにして、アタシをからかうように目を細めながら、


『大丈夫だよ』


 と一言。


 何が大丈夫なの?


 なんて疑問符を浮かべたくなる……というか、実際にアタシは浮かべていた。


 アタシが絶対につくしのことを求める、と。そういう自信があったんだろうか。


 少し前までのつくしは、とてもじゃないけどそんな自信を持ち合わせてるようには見えなかった。


 アタシと同じように不安そうにしていて、アタシと同じように悩みを抱えていた。


 なのに……どうして?


 アタシが元に戻ったなんてどこにも確証はないのに。


 疑問を抱きながら毛布の中で密着して、キスをする。


 そうしていると、不思議なことに疑問符は消えていき、気付かないうちに「もっと」とつくしを求めてしまっていた。


 襲うところまではいかない。


 ささやかな欲求をキスという形に変換し続け、アタシたちはずっと絶え間なく口づけを繰り返す。


「っは……んっ……つく……ひっ……」


 呼吸のタイミングが途切れ途切れになり、息が苦しい。


 明らかにアタシはキスに不慣れで、見かねたつくしが小さく笑んでアドバイスをくれる。


「キスをしてる最中はね、苦しかったら鼻で呼吸すればいいんだよ?」


 ……何それ。


 アタシは経験不足なのに、つくしは手慣れてるみたい。


 キスなんてつくし以外にしたことないし、するつもりがなかった。


 なのに、アタシの好きな人は経験豊富っぽく助言してくれる。


 気分はよくなかった。


 薄暗くてよく見えない毛布の中、アタシはジト目をつくしに向ける。


「……? 春? どうかした?」


 たぶん、アタシの表情は見えてない。


 見えてないけど、アタシが何も言わないから違和感を覚えたんだと思う。


 探るように、目の前にあるつくしのシルエットが首を傾げた。


 アタシは拗ねたようにして呟く。


「……なんかすごい慣れてる感じ」


 嫌だった。


 好きだからこそ独り占めしたい。


 キスなんて下手でいい。


 アタシだってまだ下手だし、上手になるなら一緒に上手になりたかった。


 少しの間の後、つくしは「あぁ」と笑み交じりの理解したような声を漏らし、


「春、勘違いしてる」


「……?」


「私がキスのアドバイスできるの、色んな人とやったからとか、春以外の誰かとやったからとか、そういうのじゃないよ?」


 ……でも、木下君とはしてた。


 言いかけるも、それはもう口にしないことにした。


 あれは事故だったって、つくし何度も言ってる。


「……じゃあ、どうして?」


 アタシは大人しくただ疑問符を浮かべるだけに留めた。


 つくしは静かに「うん」と呟き、続ける。


「失敗したくないなとか、春とスムーズにキスしたいな、と思って色んなサイト見て練習した。苦しくならない呼吸のタイミング~とか」


「……そうなんだ」


「うん。そうなの。あと、春とキスするのだってもう初めてじゃないじゃん? 回数は少ないけど、その少ない回数で練習してるというか何というか」


 言いながら、つくしは「うーん」と考え込む。


 やがて観念したように小さく笑い、


「でもまあ、春とのキスを『練習として』みたいに言うのも嫌だね。とにかく恥ずかしい話だけど、スムーズにできるよう練習してるの。不特定多数の人としてるわけじゃないのでご安心を」


「……そんなことになってたらアタシ、普通に死んじゃいそうになる。頭の中ぐちゃぐちゃになる」


「無い無い。あり得ないから。春以外の人とキスなんて」


「そういう漫画でよく見る展開」


「はいストップ。二人きりでもそういう話はNGね? この空間は現在18禁スペースでございます」


 裸で密着し合ってるのに今さら何を。


 心の中でツッコみ、アタシは小さくため息をついた。


 ついた瞬間にまた唇を奪われる。


 不意を突かれて、アタシはつい変な声を漏らしてしまった。


 間抜けに、「んむっ」と言ってしまったけど、つくしは関係なくアタシと唇と触れ合わせ、やがて舌を入れてくる。


「はぁ……んっ……はる……はぅ……」


「っ……はむっ……っはぁ……つく……し……」


 何度もキスをして、また離れる唇。


 いつまでも同じことの繰り返し。


 でも、それが幸せで。


 アタシは実験とか、そういうことを全部忘れてしまっていた。


 呼吸を整えながら問いかけてくるつくしの存在が無ければ、きっとそのままキスを受け入れ続けて夜を迎えていたはず。


「春、それで……どう? 心、元に戻ってる感じある?」


 直接的な質問の仕方だった。


 心が元に戻っているか。


 その答えは簡単に出すことができない。


 曖昧な感覚。


 つくしを求めるのは、体と心が男子になってしまってからも変わっていない。


 変わってるのは、恋愛的な意味でたまらない想いを抱けるかどうか。


 今のアタシはどうなんだろう。


 自分に問いかけてみるけど、その答えは明確なものにならなかった。


「……どうなんだろ……? なんか……ちゃんとわからない……」


「……キスだけじゃダメだった?」


 そんなことない。


 もう一肌脱ごうとするつくしを止めるように、アタシは横になったまま「そういうわけじゃない」と否定した。


 ――……じゃあ、どういうこと……?


 消えかかるようなつくしの声に、アタシは応える。


「……充分なんだと思う」


「……え?」


 つくしがキョトンとする。


 アタシは続けた。


「キスだけで、アタシは充分なの。それ以上のこととか、そういうのは何もいらない」


「……でも、それだと春は……」


 首を横に振る。


「本当に充分なの。これ以上は、たぶん何をやっても変わらない」


「……なら、結局春は……」


「元に戻ってない――……なんてことも無いんだと思う」


「え……? そうなの……?」


 頷くアタシ。


 説明は雑にしてもいいけど、それだけだと本当の意味でつくしに理解してもらえない気がした。


 アタシの今の気持ち。


「……そもそも、アタシはどうして今の状態に陥ったのかよくわかってない。これは、前からずっと言ってるよね?」


「うん。言ってる」


「突然体が男子になって、つくしへ向けてた恋愛感情も無くなった。……友達としての想いは残り続けてたけど」


「……うん」


 弱々しい声で頷くつくし。


 元気の無いそれは、朝方の雰囲気によく合っていた。


 薄暗闇に声が溶けていく。


 アタシはつくしの手に自分の手を触れさせ、やがてゆっくりと握り締めた。


 話を続ける。


「……もしかしたら、こういうのって思い込みが大切なのかもね」


「……思い込み?」


「気持ちの問題もあったのかも。体が変わって、それに気持ちが持っていかれた」


「……気持ちが……持って……」


「アタシ、最初は女の子に恋しちゃうの、悪いことだと思ってたから。つくしと想いが通じ合ってるの、確認するまで」


「……うん」


「それを自分の中の思い込みとごちゃ混ぜにして、ないことにしてた。ただそれだけだったような気もする」


「……ってことは……」


 うん。


 アタシは深く頷いた。


「それ……実際に春は何も変わってなかったってこと……?」


 あくまでも推測だけど。


 つくしからの問いかけに対して、アタシは短くそう答えるのだった。


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