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第65話 一緒のベッドで横になる

 つくしがアタシの部屋に泊まる頻度は確実に増えてる。


 以前まで、つまり正式に恋人になる前の友達の状態だと、二週間に一回お泊り会をする程度で、何日連続でとか、そういうのはあまりなかった。


 どうしてか、と訊かれると、そこにはたくさんの思いがあったから、と返す以外にない。


 建前で言えば、『つくしは自分の家の方がよく寝れるかも?』とか、『お金もあまりないし、アタシの作った不味い手料理を食べさせるわけにはいかない』みたいな考えがあって。


 本音で言えば、『頻繁に誘ったらウザがられるかも』とか、『ドギマギして気持ち悪い行動に出てしまうかも』とか、『自分が冷静でいられ無さ過ぎて挙動不審になりそう』とか、挙げ始めたらキリが無いほど不安な思いが次々と浮かぶわけだ。


 だから、アタシはつくしをお泊りにあまり自分から誘うことをしなかった。


 つくしから泊まりたいって言われることはあっても、アタシが「泊まって」なんて言うのはレアケース。


 そういうわけで、今のつくしは色々と勘付いてるところがあって。


 さっそくアタシは訊かれてしまった。




『春、前までお泊りにあまり誘ってくれなかったのって恥ずかしかったから?』




 ……なんて感じで。


 アタシも最初は反射的に否定してしまったけど、そんなどうしようもない嘘をつくしにつき通せるはずもなく、最終的に素直に認めた。


 たぶんすごく気持ち悪くなってしまうことと、恥ずかしかったからなんだ、と。


 そしたらそのままニヤニヤされて、アタシはつくしにいじられるんだろうな。


 そんな風に予想していたわけだけど、現実はそうじゃなかった。


 最初こそアタシのことをニヤニヤと見つめてくるものの、すぐにつくしは一人で納得するように頷いて、


『春のそのセリフ、たぶん心の底から思ってることだよね?』


 唐突に質問されてしまう。


 表情は冗談っぽさが残るものの、問いかけ自体はどことなく真面目なもので。


 考える必要なんて一ミリも無いのに、アタシは一瞬考えて間を作った後に答えた。


『うん』と。一つ頷いて。


『うんうん。そうだよね。それは春の本音だよね』


『……そう……だけど。やっぱり、そう思ってたこと自体恥ずかしいよね……。わかってます……穴があるなら入りたいし、埋まりたい……』


『埋まったら窒息しちゃうからダメだよ? せめて入るだけにして? 穴なんてここにはないけど』


 クスッと笑って、つくしは続けてくれた。


『今はどう? 私とのお泊り会、体が変わっちゃった今でもやっぱり恥ずかしかったり……する?』


 その質問を通してつくしが何を訊こうとしてきてるのか、何となくわかった。


 けど、あくまでもアタシは自分の気持ちに対して正直になったうえで問いかけに答えることにする。


『緊張してるよ。今は……なんていうか、恋人同士だから開き直れてるだけだし』


『ちゃんと恋人同士だから、友達の時よりイチャイチャできるし、みたいな?』


 そういうことだ。


 アタシが頷くと、つくしはどことなく嬉しそうに目を輝かせた。


『だったら、それって元々の春の恋愛嗜好に戻って来てるってことにならない?』


 元々の恋愛嗜好。


 そう言われて一瞬何のことかと思ったけど、すぐにつくしの発言の意味を理解できた。


 アタシは腕組みして、考え込むような仕草をする。


 自分の体と心のことだ。


 つくしみたいに純粋に目を輝かせることはできなかった。


 しっかりと元に戻れてる、なんて感覚はまだ無かったから。


『……どう……なんだろ? アタシは自分が元に戻れてる感覚、まだ無いよ。体だって男子のままなんだし』


 というか、そもそも何の前触れもなく元に戻れたりするものなのかな、とかだって思ってしまう。


 突然男子になったからその原因も突き止められてないし、大抵こういうのってホルモン系の病気な気がしてならない。


 恋愛嗜好が変わったのだって体が変わった影響を受けてるだけなはずで、アタシの体の中のホルモン関係がぐちゃぐちゃになってる状況です、なんて説明で一番納得がいく。


 アタシたちが生きてるのは現実世界なわけだし、突然謎の存在Xに性別を変えられてしまいました! なんて展開は100%あり得ない。


 きっとこの体を表す病気の正式名称が出てくるはず。


 それを知るため、すぐさまお母さんと一緒に通院するのが一番なんだろうけど。


 アタシとお母さんは関係値が関係値だ。


 簡単に寄り添うところから始めないといけない。


 全部、全部全部全部、これはアタシが女子に、元に戻るためにやってることだ。


 打算的でも、実利的と言われたって構わない。


 女子に戻って、本当の意味で女の子が恋愛対象だったアタシに戻らないと、せっかくつくしと恋人になれたのにもったいない。


 つくしだって、どんなアタシでも好きでい続けるって言ってくれはいたけど、それはアタシが元に戻れるのならそれ以上の願望はないはず。

 気持ちを100%にするための努力から、100%既にある気持ちを120%、200%にする努力へ戻すことができるんだから。


 つまり、心の底から溺れるような恋ができる。


 たった今から。


 つくしと二人で。


『ハッキリとはわからなくてもいいと思うよ。変わったのを戻すって、それは感覚的な話だし、無理やり自分に嘘ついてまでっていうのだけは悲しいからね』


『……うん』


『そんなに無理するくらいなら、私は男子のままの春でいい。もう一回、私が自分の魅力を男子バージョンの春に伝えるね。そしたら、少しずつ好きになってくれるかもしれないし』


 柔らかい笑みと共にそう言ってくれるつくし。


 こういったやり取りももう何度目かわからない。


 わからないのに、つくしから優しい言葉をもらうたびにアタシは救われたような気持ちになる。


 でも、やっぱり元に戻ってるなんて感覚は自分でもしなかった。


 救われたような気持ちになるのが何よりの証拠で。


 もしも女の子が恋愛対象になっていた時の自分だったら、救われたような気持ちになるよりも、好きで溢れてつくしにハグの一つでもしてる。


 そのハグだって安心からくるものじゃなく、色んな思いを捨て去った、ただ『好き』という感情からくる行為だ。


 決して軽いものじゃない。


 だからこそ、アタシは首を横に振った。


『まだ、元には戻れてないと思う』


 そんな言葉と共に。


 表情を少し暗めて。


 だけど、つくしはアタシの暗くなった顔に惑わされず、明るいままで『そんなことない』と返してきた。


『私にはなんとなくだけどわかる。春、元に戻り始めてる』


 体は男子のままなのに?


『たぶん、心からなんじゃないかな? 徐々に体の方も元に戻っていくんじゃないかと思う』


 そんなの適当だよ。


 元に戻り始める理由がわからない。


『変わっちゃった理由だってわからないでしょ? 変化っていうのは、いつだってそうなんじゃないかな? 自分が気付かないうちに起きてる』


 変化はいつも自分が気付かないうちに起きる。


 つくしのその言葉は、根拠なんてないのに妙にアタシを納得させてくれた。


 それで、その日。


 結局、ちゃんとアタシの気持ちが元に戻り始めたことを確かめないままつくしとは別れた。


 次に会った時、実験しよう。


 一緒のベッドで横になる。


 それでどうなるか。


 アタシの心臓は、確かに鮮明にドキドキしていた。


 まるで女子だった時みたいに、ハッキリと。


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