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第64話 ジト目で見つめてくる青宮君

 自分の抱えている悩み事をお母さんに話せないのは、たぶんこの世で一、二を争うレベルで辛い話だとアタシは思う。


 話せないと言っても、そこには色々な理由がある。


 もうこの世にいない。つまり亡くなっていたら当然話せないし、物理的に離れ離れになっていて会えない、行方不明になっている、なんていうのも会話ができない原因として挙げられると思う。


 あと、それとは別に、心の距離が空いてしまっていて話せない、ってパターンもある。


 具合的に言えば、それはアタシに当てはまっていて、心の中心に楔でも打たれたように重くのしかかっている。


 叶うなら解消させたい。


 でも。だけど。


 それは、ただ鬱陶しさからくる解消させたい欲ではなくて、お母さんとの関係を円満なものにさせたうえで解消させたいモノだった。


 だからこそ、余計に難しい。


 簡単に解消させることができるのなら、アタシはここまで苦しんでいない。


 小さい頃からずっと抱え続けてきたことだった。


 どうしたらお母さんに心の底から笑ってもらえるだろう。


 心の底から優しく頭を撫でてもらえるだろう。


 何か凄いことでも成し遂げられたらいいのかな。


 色々考えてみて、テストの勉強とか、スポーツをアタシなりに頑張ってみたりはしたけど、その成果はどれも芳しくなかった。


 いい結果が出ても、お母さんは淡々としてるだけ。


 アタシのことなんてちっとも褒めてくれない。


 それどころか、朝起きるのが遅くなったり、だらけていたりするとすごく怒る。


 邪魔だって言われたこともあった。


 産まない方が良かったのか、と。


 産まない方が良かったのか発言はさすがに傷付いた。


 今でも言われた時のことを思い出すと、じんわりとした鈍い痛みが胸を襲う。


 口にしたかった。


『そうやって言われても、アタシはお母さんのことを嫌いになれない』と。


 だって、どんなことがあっても、お母さんはアタシのお母さんだ。


 そこは揺らがないし、揺らがせようのない事実。


 お母さんがアタシのことを嫌っても、鬱陶しがっても、どこまでもついていく。


 それが、子どもとしての性だから。


 変わってるのかな。


 アタシって。


 もしかしたら嫌われてるかもしれないのに、そんな風に思えるって。




「――あ。春、起きた? おはよ」




 ベッドの上で目覚めて上体を起こし、寝起き特有の鬱屈とした感情に苛まれながら伸びをする。


 そんなアタシに気付いたつくしは、狭いキッチンから簡単な挨拶をしてくれた。


 着てるパジャマが可愛い。


 もこもこのパーカー。


 温かそうだし、ああいうのアタシも欲しいと思ってるけど、思うだけでなかなか買うことに踏み切れない。


 どうしてだろう。


 欲しいとは思ってるし、金銭的にも買えないことはないのに。


 行動力が無いアタシらしい。


 たぶん、こういう性分のせいで色々損をしてる。


 変えなきゃなぁ、と思うけど、そう思うだけで変えられないのだから仕方ない。


 行動力のある人からすれば軽蔑されるような人間がアタシです。本当に生きててすみません。


「……生きててすみません」


 眠たい目を擦りながらそんなことをボソッと呟くと、コーヒーを入れていたつくしがギョッとした。


 注がれたばかりのインスタントコーヒーのせいで熱々なマグカップを二つ持ちながら、慌てたような足取りでこっちまで来てくれる。


「危ないよ」なんてのんきに言って、アタシはそのまままた寝転がった。


 つくしは、すぐ傍のちゃぶ台にマグカップ二つを置き、ベッドまで登ってくる。


「ちょ、春? 朝から何超絶ネガティブなこと言ってるの? 変な夢でも見た?」


「……夢とかしばらく見てないね……なんか勝手に口から漏れ出てた……アタシの心の底からの思いなのかも……」


「いやいやいや、心配になるようなこと言わないで……!? 私が傍にいるだけじゃダメ……!? いつでもどこでも、二十四時間一緒にいられますよ……!?」


「…………ありがと、つくし」


「んんん!? 答えになってませんが!? 何でそんなこと言ったのー!? 春、病み期!? 病み期なのー!?」


「んぅ……」


 ……いや、違う。


 つくしがそうやって味方でいてくれることはもはやアタシの中では当たり前で、つくしがいなくなった瞬間に心の中の何かが崩壊していってしまうほどだった。


 だから、そのことを伝えないといけない。


 いけないんだけど、ふわふわとしたまどろみの世界がアタシを誘う。


 眠い。


 今から学校へ行かなきゃいけないのに、その事実がより一層アタシを眠くさせる。


 毛布を被ると本当にマズかった。二度寝してしまいそう。


「ねえ、春……? 春さん……? 寝ないで? 今から学校に行かなきゃだし、何なら私の質問に答えて? 寝てる間に何かあった? 幽体離脱して嫌な目に遭ってきたとか?」


「……そんな発想ができるつくし……すごい……。面白いし……アタシつくしとこういう関係になれてよかった……」


「そ、そう言ってもらえるのは嬉しいけどさ……。なんかもう寝起きから訳わかんないよ……」


「つくし……今日の夜もアタシの部屋に泊まってって……? 一緒にいたい……」


「も、もう! 眠そうになると大胆になるのやめてよ! 昨日だって電気消して寝るよーってなった後に春、あんなことしてくるし……」


「あんなことって……どんなこと……?」


 目を閉じて横になったまま、アタシはニヤケて問いかける。


 つくしの顔は見えないけど、薄っすらと悶え声が聴こえてきたから恥ずかしがってるんだと思う。


 目を閉じていてもつくしは可愛かった。


「ふふふ」とアタシが笑みを声に出すと、頬をムニっとつねってくる。


 力は強くないから痛くはない。


 けど、目は開けようという気になった。


 つくしの表情をそのまま確認する。


「……やっぱり予想通り……」


 顔を赤くさせて、ジト目でアタシを見下ろしてる。


 一瞬、自分が何に悩んでるのかを完全に忘れさせてくれて、やっぱり持つべきものはつくしだな、と思ったりする。


「何が予想通りなのー……?」


 こんないじらしいセリフも付けてくれるなんて。


 ありがとうございます、と心の中でお礼を言った。


「……ありがとうございます」


「は、はい……? 何でここでお礼……? もしかして私に言ってくれてる……? 意味わからないけど、どういたしまして。ほんと何なの?」


 いや、何なの、と訊かれてもアタシだってわからなかった。


 さっきから心の中の声が全部外へ出てしまう。


 まあ、正確に言えば出してしまう、という方が正しいんだけど。


 アタシはつくしに完全に頼り切っていた。


 辛い思いに苛まれた時はつくしにベタベタする。


 細胞レベルでその行動パターンがインプットされてる。


 ちなみにその仕組みが構築されたのは最近のことだ。


 木下君との一件があってから、アタシはもう遠慮しないことにした。


 つくしとの距離を縮めて、離れられないようにしてやろうと心に誓ったのだ。


 それが故の行動。


 つくしもたぶんアタシが変わったことを理解していると思う。


 理解していながら、特に何も言ってこない。


 これはこれでいい。


 受け入れてくれているみたいだ。


「……まあ、今日も泊まってってことだけど、別にいいよ? 春さえよければ何泊でもさせてもらう」


「……じゃあ、よろしくお願いします」


「ん。じゃあ、夕飯は昨日のカレーの残りでいい?」


「いい」


「りょ」


 照れ隠しのように短く言って、改めてアタシのことを起こそうとしてくるつくし。


 年末年始に楽しみができたアタシたちの距離は確実に縮まってる。


 もちろん、さっき言った通り木下君との一件があってから、というのも関係してるけど、お互いがお互いに寄り添い合いたい気持ちで溢れていた。


 つくしは、アタシのお母さんと会うために色々と準備してくれてる。


 贈り物的なことに関しても、気持ち的なことやアタシとの関係のことについても。


 それらがこうしたベタベタに繋がってる。


 仲が良い所をお母さんに見せたい。


 昨日の夜、つくしもアタシにこう言ってくれた。


 アタシたちは二人揃って同じ思いを抱いてる。


 その事実もまた嬉しくて。


 いつまでもずっとつくしといられたらいい。


 もしかしたらそれ以外には何もいらないのかもしれない。


 ……なんて思ったりしたけど、頭の片隅にはジト目で見つめてくる青宮君がいる。


 彼も彼で、アタシの中で大切な存在の一人なのだ。


 本人にはあまり直接言いたくないけど、確かにそう思うのだった。


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