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第33話 尾上ちゃん

 私――姫路つくしの日常は、たぶん最低でも三分の一くらい先川春の要素がないと成立していかない。


 これは、最近判明したことだ。


 春との距離が少し空いてしまっていたこの前の期間、ずっと気持ちが落ち込んでしまっていて、朝起きるのも辛かった。


 頭の中では常に春のことがあるし、だからといって簡単に話し掛けられない。


 ずっと、グルグルグルグル春春春。


 結果的に私たちの距離は元に戻って、関係も前より良くなった。


 思ったことはなるべく口にして、お互いが辛くならないように、って約束した。


 でも、この期間を振り返ってみると、自分の異常さがわかる。


 春無しじゃまともでいられない。


 春無しだとまともに生活できない。


 春無しだと……。


 ……本当に何もできないから。


 だから、私の当面の密かな課題は、一ミリだけの春離れをすること。


 一センチだったら、それはかえって春を不安にさせてしまう気がする。


 危ないラインを見極めて、依存もほどほどにしていかないと。


 そう思いながら、テスト週間を来週に控えた木曜日の朝。


 私は、珍しく尾上ちゃんに個人的に呼び出された。


「ごめんね、つくしちゃん。わざわざこんなに改まって呼び出して」


 大抵、この子は松と三木の傍にいつもいて、個人で私に話し掛けてくることがあまりない。


 不仲だからというわけでもなくて、尾上ちゃんには二人がいるし、そもそもいつも松と三木に振り回されてる感があるからだと思う。


 なんとなく一緒になったら、その時は仲良く話もするから、私たちはそういう距離感の関係なんだ。


「大丈夫だけど、どうかした? 松がまた何かやっちゃったとか?」


 私が冗談っぽく問いかけると、尾上ちゃんは困ったように笑みながら「ううん」と手を横に振った。


「今日は大丈夫。あの子が何かやったとかじゃなくて、つくしちゃんへ個人的に聞きたいことがあるから、ちょっと二人きりにってことなの」


「ふんふん。私に聞きたいこと。何かな? 尾上ちゃんの質問なら私、何でも答えちゃうよ?」


 何でも、は言い過ぎかもしれない。


 尾上ちゃんなら変なことを聞いてきたりはしないだろうけど、さすがに答えられることと答えられないことはある。


 少し不安に思った。


 私の何気ないセリフを受けて、尾上ちゃんは「何でも……」と意味ありげに小さな声で呟いていたから。


「……つくしちゃん、ありがとう。そう言ってもらえると私も聞きやすい。ちょっとこういうの……質問していいのかな、とか思ってたから」


「え。な、何? もしかしてマズめな質問だったりする?」


「う、うーん……。マズめな気がする……し、そもそも私があの場にいたのが間違いだったというか、何なら聞き流しておけばよかった気もするんだけれど……!」


 でも、と。


 尾上ちゃんは困り果てたようにうつむいて、それからゆっくりと顔を上げながら続ける。


「この質問をしておかないと……先に進めないところもあるんだ……」


 言ってくれてることの意味はよくわからない。


 首を傾げそうになるけど、尾上ちゃんは真剣だったから、私は彼女が何を質問しようとしてるのか、その内容を言ってくれるよう促してみる。


「……じゃあ、とりあえず質問内容だけ教えてくれる? 答えられるか答えられないかは、ちゃんと尾上ちゃんの話を聞いてから決めたい」


「う、うん。わかった」


 頷き、尾上ちゃんは自分の胸に手をやった。


 そして、私に聞きたいことをぶつけてくる。


「昨日の放課後……実は図書室に私いたの……」


「……え?」


 それがどんなことを意味するのか、一瞬で繋がる。


 心臓が跳ねた。


「いること、すぐに言えばよかったんだけど、出るに出られなくて。先川さんと……青宮君……だったかな? 三人で会話してたから……」


「っ……」


「それで、その……会話聞いててね? 気になったことがあったの。先川さんのことについて」


 ……どうしよう。


「先川さん……男の子だったの……?」


 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。


「私、全然知らなくて……というか、女子用の制服着てたか――」




「――そ、そんなことないよ! ないない!」




 どうしたらいいか、なんて迷ってる暇はなかった。


 こんなの決まってる。


 本当のことなんて言えるはずがない。


「春が本当は男子でした、とかあるはずないよ。あれは何ていうか……そう。最近、春ってば声の調子がおかしいよね? それに対して私と青宮君がイジってただけなんだ~」


「え……? そ、そう……なの?」


「うん! そうそう! 心配だよね~! 声、いつ治るんだろう。あのままだったら本当に男子と勘違いされそう」


「……」


「って、まあ冗談は置いとくとして。本人曰く、お医者さんからはもう戻らないかもしれない~、とか言われたみたい。心配だよね。明確な治療法がないんだって」


「そう……なんだ……」


「そ~。青宮君も心配してた。だから、場を明るくするためにもああいう冗談を言ってた感じ。ごめんね、変な勘違いさせちゃって」


 私が平静を装って謝ると、尾上ちゃんは「ううん」と首を横に振る。


「こ、こっちこそごめん。失礼な質問だし、こんなことを急に呼び出して聞いたりして」


「大丈夫だよ。なかなか春本人には聞きづらいだろうし、むしろ私に聞いてくれてよかった」


 本当によかった。


 こんな質問を直接春がされてたら、きっと心配になって冷静でいられなくなる。


 当事者じゃない私だからこそ、まだギリギリ冷静に嘘をつけた。


 尾上ちゃんには本当に申し訳ないけど……。


「じゃあ、聞きたかったことっていうのはそれだけ? 他にはもう何もない?」


「あ、う、うん。先川さんとつくしちゃんが恋人同士っていうことも、アレは冗談だったんだもんね?」


「え?」


「会話の中で二人が付き合ってる、みたいなことも言ってたから……」


 それは本当。


 本当だけど、そういうのも込みで正直には言えない。


 私は頷いて、尾上ちゃんに伝える。


「それも冗談。春とは女の子同士だし」


「……そ、そっか。やっぱりそうだよね……」


 言って、彼女は安堵するように息を吐いた。


「よかった。だったら、この話も何も問題なくつくしちゃんに伝えられる」


「この話……?」


 まだ何かあるんだろうか。


 さっきから気が休まらない。


「あの、私の入ってる吹奏楽部にね、男の子で間島君って人がいるんだけど、彼の友達の木下君って知ってるかな? A組なんだけど」


「木下君……? あー……うん。なんとなく顔は」


 本当に薄っすらと知ってるだけ。


 どっちかというと明るい人で、A組でも目立った存在。


 私のクラスメイトの男の子も、よく彼と話してるところを見る。


「その木下君がね、明日の放課後にでも一緒に遊ばないか、って言ってきてるの。つくしちゃんも一緒に誘って」


「え……? 私……?」


 何で……?


 木下君とは会話も一度だってしたことがない。


 どういうことだろう。よくわからない。


「もちろん、二人きりでじゃないよ。私と、間島君もいるの。4人で遊べないかな、と思って」


 嫌だ。


 尾上ちゃんからのお願いじゃなかったら、きっと即座にそう言ってたと思う。


 何も無かったら、明日も普通に春と勉強してる。


 そもそも、テストだって近い。


 ここに来て遊ぶっていうのもよくわからなかった。


「えっと……。一応だけど、テストも近いよね? 尾上ちゃんは勉強の方、大丈夫なの?」


 私が作り笑いを浮かべて問いかけると、彼女もどこか作ったような笑みを浮かべて、


「大丈夫……ではないけど、どうしても……みたいだから」


 何それ……?


 どうしても……?


「ごめんね、つくしちゃん。テストが近くて、無理を言ってるのはわかってる。だけど、その……私もつくしちゃんには何とか参加してもらえないかな、と思ってて……」


「……」


「ごめんね……本当に……ごめん」


「……んー……」


 不自然だな、とは思う。


 普段なら、尾上ちゃんはこんなことを私にお願いしてきたりはしない。


 さっきから癖のように何度も言ってる「ごめんね」を口にして、早々に身を引くはずだった。


 ……どうしても、か……。


「……うん。わかった」


 私が言うと、すぐさまうつむかせていた顔を上げ、表情をパッと明るくさせる尾上ちゃんだった。


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