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第31話 あったことを話すね

「春、単刀直入に訊くけれど、あなたはどうしてこの町の高校に入ったのかしら?」


 想像していなかったお母さんからの質問は、あまりにも鋭利で。


 水の入ったコップを手から離し、テーブルの上に置いといてよかった。


 もし、手に持ったままだったら、アタシはそれをこぼしていたかもしれない。


 収まりかけていた早い鼓動が、また強いものになっていく。


 でも、動揺してる場合じゃない。


 質問されてる。


 早く答えないと。


「……それは……たぶん家を出る前にも言ったと思うけど……あまりお母さんに負担を掛けたくないからで……」


「そうね。私はずっと言ってたわ。早くあなたが一人前になって家から出て行かないかしら、って」


「……う、うん」


 そうだ。


 そうやって言われたのもあって、アタシは今の高校に入学した。


「家賃や生活費、その他諸々お金はかかるけれど、それでもあなたが独り立ちをするための練習だと思えば、お母さんも頑張れたわ。幸い、春の努力のおかげで学費はかかってないから」


「……うん」


「そこに関しては何も疑問なんて無い。でも、気になることがあってね?」


 何だろう。


 推測がつかない。


「あなた、どうしてもっと遠い所へ行かなかったの?」


「……え……?」


「車で来ながら思ったの。二、三時間しかかからない場所で一人暮らしをしても、結局あなたは私を頼ろうと思えば頼れてしまう」


「…………っ……」


「それだったら、いっそのこと倍の時間、せめて6時間ほどかけないと辿り着けないような場所で一人暮らしをさせればよかった、って。そう思ったのよ。自分でここへ来てみてわかったわ。こんなの、あなたと距離を取ったうちに入らないな、ってね」


「…………そ、そっか……」


 言葉を失ってしまった。


 いや、言いたいことは山ほどある。


 あるんだけど、そのどれもがお母さんに言えるものじゃない。


「ただ、今さら学校を変えるわけにもいかない。この高校に通っている三年間で、一人で家事をこなしたり、日常生活を回す能力をできるだけ養いなさい。卒業して、就職したらそこからの援助は一切無し。わかったわね?」


「……はい」


「お母さんもかなり切り詰めた生活しているから」


 言われて、沈むように頷く。


 そのタイミングで、ちょうど店員さんがアタシたちの卓にハンバーグやその他諸々を持って来てくれた。


 さっきはあんなに食べるのを楽しみにしていたものが、一転して美味しそうじゃないように見えた。


 いつもと違うと思っていたお母さんもいつも通りだ。


 相変わらずわからない。


 アタシのことを本当に思ってくれているのか、思ってくれていないのか。


「早く食べちゃいなさい。あなた、食べるスピードが遅いし、好きなものなら早く食べられるでしょう?」


「…………うん」


 口にしたハンバーグは、柔らかい粘土のように思えて、アタシの気分をただ下げる。


 咀嚼しながらふと窓の外を見やると、そこには水滴が付いていて、冷たい秋の雨が真っ黒になった世界を濡らしていた。






●〇●〇●〇●






 ファミレスで夕食を摂った後、お母さんはアタシを車でアパートまで送ってくれた。


 降車するのはアタシだけ。


 部屋の中に入らず、お母さんとはそこでお別れだ。


「体調には気を付けなさい。早く喉を治して。じゃないとあなた、男の子みたいだから」


 運転席から窓を開けて、アタシはそんなことを言われる。


 今、ここで本当のことを告げてしまったらどうなるんだろう。


 さっき完全に捨て去ったはずの思いがここに来て再燃し始めるから、アタシはそれへ蓋をするように頷いた。


「また会いに来るわ。それと、せめてお正月くらいはこっちに帰って来なさい」


「……いいんだ。帰って」


「……? 何か言ったかしら?」


「う、ううん。何でもない。今日はありがとう。ごちそうさま」


 作り笑いも、夜闇の中だと少しくらいは自然なものに見えるはず。


 そう思って笑ってみせるけど、お母さんはアタシのそれを見抜いて指摘してきた。


「そんな笑い方やめなさい」と。


 それから、すぐに窓を閉め、車を出発させて帰って行った。


 体中の力が一気に抜ける。


 抜けて、息を吐きながら夜空を見上げてると、ポケットに入れていたスマホがバイブする。


 つくしがメッセージを送ってきた。


『大丈夫? 通話したい』と。


 人は簡単に変わらない。


 ……なんて言葉が頭の中に浮かぶ。


 お母さんもそうだけど、それはきっとつくしも、青宮君も。


 ただ、変わろうとする努力をしたら、変わっていけるものなのかもしれない。


 もちろん、無理なものは無理だから、どうしても、と体に負荷をかけるのはダメ。


 そうじゃなくて、ゆっくり、本当になりたい自分を目指して、だったら変わっていける。


 なんか、そんな気がする。


「…………い……い……よ」


 アタシは一人で小さく笑み、つくしに送るメッセージを口で呟きながら打ち込んで、それを送信。


 すぐに既読が付き、『じゃあかけるね』と来たから、小走りで自分の部屋に戻った。






●〇●〇●〇●






「あくまでもこれは変な意味で訊いてるわけじゃないってことを前置きにして質問するんだけど、先川さんは体育の時間とか、皆の前で着替えなきゃいけない時に体のこととかバレたりしないの?」


 お母さんが来た翌日の放課後。


 図書室で勉強していると、向かい合って座り、参考書に目を落としてる青宮君が無表情で問うてきた。


 アタシが返すより先に、隣に座ってるつくしが言ってくる。


「春、そろそろこの人通報してもいいんじゃないかな? いきなりとんでもない質問してくるんだからさ」


「あ、あはは……」


 苦笑いして、アタシは咳払い。


 つくしはこう言ってくれてるけど、通報はさすがに青宮君が可哀想だ。


確かに気になるのは気になるだろうし。


「今のところ誰にもバレてはないと思う。さりげなくつくしが隠してくれたりするし、一人の時はバレないようにタイミングを見計らって脱いだりしてるから」


 言うと、青宮君は顔を上げ、アタシの方を見て「ふむふむ」と顎元に指をやる。


「でもそれ、いつかバレるやつだよね? 来年になって水泳が始まったらマズくない?」


「水泳はさすがに参加しない。というか、できない。嘘になるけど、それこそ理由を作ってでも休むつもり」


「いざとなったら私が一緒に先生へお願いしてあげる。そこのところは任せて」


 ありがとう。


 つくしにお礼を言って、アタシは青宮君の方へ視線を戻した。


「たぶん、それ以外だとマズい行事は無いと思う。修学旅行も三年生の時だし、いざ本当にピンチの時は休むから」


「まあ、それが一番だよ。何なら姫路さんじゃないけど、僕も協力する。友達だからさ」


「……うん。ありがと、青宮君」


「任せておいてくれ」


 つくしと同じように言うから、傍で聞いてたつくしはやや不機嫌そうに青宮君のことを睨み、アタシの手を隣から握ってくる。


 最近改めて思うけど、つくしは嫉妬深い。


 距離が近くなって、よりそう思うようになった。


「それもあるけど、先川さん。昨日の放課後の件のことも聞きたい」


「……?」


「お母さんとはどうなった?」


 問いかけてくる青宮君を見るに、訊きたかったのはこっちっていうのが顔に出てる。


 シャープペンシルを置いて、アタシの顔をジッと見つめながら、少し前のめりだ。


「ん……。特にどうにかなったってことでもないけど……」


「青宮君、残念でした。私はそのこと、昨日の夜春と通話したから知ってます」


 つくしの謎マウントを受けて、青宮君はわかりやすく歯ぎしり。


 目を閉じて悔しがってる。何の戦いなの、これは。


「僕にも詳しく話してくれないか? 何も無かったってことはないはずだ。体のこととか、話せなかった?」


 声が大きい。


 相変わらずアタシたち以外誰もいないとはいえ、「体のこと」なんて大きな声で喋ったたら変な噂に繋がりかねない。


 アタシは青宮君に声をのボリュームを下げるようお願いしてから続けた。


「……じゃあまあ、詳しく話すけど……」


 彼は頷いて、つくしはアタシの手をぎゅっと握り締めてきた。


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