「――それにしても思うけど、姫路さんって案外優しい人なんだね。あれだけ僕に嫌悪感出しておきながら、放課後一緒にいることを許してくれるなんてさ」
アタシたち以外人のいない、放課後の図書室。
シャープペンシルをノートの上で走らせながら、青宮君は少し失礼なことをポツリと呟く。
そんな風に言ったら、同じテーブルを囲んで勉強してるつくしがまた噛みついてくるだろうからやめた方がいいのに、彼はたぶん良かれと思って言った。
「別に優しくないですよ? 春が言わなきゃ青宮君なんて誘ってなかったし?」
「いや、優しい。先川さんが誘ってくれたのもあるけど、君は僕がぼっちなのを気にして、それで誘ってくれた。わかってる」
「か、勝手に決めつけないでくれない? 私、そんなこと一つも言ってないからね?」
「知ってる。僕も君の言葉から優しさを感じ取ったんじゃない。姫路さんの行動や仕草を見て、優しいな、って思ったんだから」
「……っ」
続く言葉を言えず、つくしは隣に座ってたアタシへ抱き着いてきた。
「……春……なんかこの人怖い。急にすごい褒めてくる……」
アタシは苦笑いだ。
手に持っていたシャープペンシルをテーブルの上に置いて、つくしの頭を軽く撫でてあげる。
「言っておくけど、私に好かれて春を共有財産にしようとしても無駄だからね? この子は唯一無二で、私だけの大切な存在なんだから」
言われ、青宮君は顔をこっちに向けず、ただ問題集を見つめてペンを走らせながら鼻で笑う。
「共有財産って、僕は君の中でどれだけの悪者になってるの? 奪おうだなんて一ミリも……いや、二ミリも思ってないからね?」
「やっぱ油断ならないこの人。春、不用意に青宮君へ近付いちゃダメだよ? 今の春でも、青宮君からしたら充分獲物なんだから」
「つ、つくし……獲物って言い方は……」
「獲物だよ! 男の子になっても春はこんなに可愛いんだもん」
「あ、あはは……」
苦笑するアタシの胸に顔を擦り付けてくるつくし。
嬉しいけど、少し静かにした方がいいかもしれない。
一応ここ、図書室だしね。
「でも、僕は安心した。今もこうして先川さんが笑ってくれていて」
話題を変えた青宮君の言葉を受けて、つくしがまた彼を睨む。
アタシを抱き締めてる手に少し力が加わった。
「このままずっと君が悲しんでいるままだったら、きっと僕は身の程を考えずにもう一度先川さんへアタックしていたよ。僕だったら、君に悲しい思いなんてさせないよ、って」
「ふんっ、カッコつけて」
つくしが毒を吐く。
青宮君は「間違いない」と遂にアタシたちの方を見て笑った。
「カッコつけだね。僕がそんなことしなくたって、先川さんは自分で状況をどうにかする力を持ってたんだから」
「うん。そこは舐めないで」
アタシは頷いて言う。
青宮君も頷いて、「ごめんなさい」と謝ってきた。
「じゃあ、カッコつけたついでに、もう一回だけ自分に酔ったようなセリフを言ってもいいかな?」
「自分に酔ったセリフ……?」
アタシが疑問符を浮かべると、密着しているつくしはわざとらしくそっぽを向いて、
「どうせダメって言っても青宮君言うんでしょ? なら、さっさと言っちゃいなよ」
「うん。その通り。ありがとう、姫路さん」
「まったく」
ツンとするつくしを見て、青宮君はクスッと笑んだ。
そして、言葉を口にする。
「これで僕は先川さんからしてみれば用無し男になったわけだけど、それでも傍にい続けていいかな?」
用無し……?
「そもそも、僕は姫路さんと君の関係に拗れが見えたのを利用して、今回またこうして歩み寄ってる。それまでは、振られて以降あまり接近しなかったからね」
「そうは言っても、ちょくちょくアタシのことストーカーしてたけど……?」
ボソッとアタシが呟くと、つくしが大きな声を出して「えぇ!?」と驚く。
すぐにハッとして、自分の手で口元を覆っていた。
青宮君は苦笑いを浮かべて、頭を軽く掻く。
「ごめん。その通り。そこは否定できない」
「私の春に……!」
「うん。本当にごめん。もうしません」
つくしの睨み付けに対して、青宮君は頭を下げた。
アタシはそれを見て、不思議と笑みをこぼしてしまう。
元から、そこに対して不快感は無かったし。
「……別にいいよ、青宮君」
「……え?」「へ? は、春……?」
何を言ってるの? と。
そんな表情で二人が見つめてくるけど、アタシは首を横に振った。
「青宮君がストーカーしてくること、元々アタシそこまで嫌じゃなかったから」
「「えぇ!?」」
二人の声が重なる。
静かに、とアタシは口元に人差し指をやって注意し、続ける。
「そもそもストーカーって言っても、四六時中アタシのことを付けまわしてとか、私物を盗んだりとか、家まで特定してとか、そういうことじゃないしね」
「っ……。ま、まあ、そこまでは……」
「今日みたいな感じだよ。やることが無い時とか、何となく暇な時、青宮君はアタシを求めてくるの。話し相手として」
「な、何それ……?」
つくしがげんなりした顔で青宮君を見やった。
彼は少し恥ずかしそうにして、別の方へ視線をやる。
「つまるところ、アタシと似たぼっちなんですよ、青宮君は」
「……正解です」
「アタシもつくしがいなかったら、休み時間のたびに学校内を徘徊してる。本当に何もやることが無いから……」
「その時は僕と会話する、だよね?」
青宮君が言うと、つくしがすかさず「調子に乗らないで」とツッコミを入れていた。
苦笑いしてしまう。
「とまあ、そういうことですので、別に大丈夫だよ。今さら『傍にいてもいいのか?』なんて訊いてくれなくて。そんなの、答えはイエスに決まってるし」
「で、でも、春? 私は……」
不安げな表情で見つめてくるつくしだけど、アタシはまた、首を横に振る。
「もちろん、つくしとの時間も大切にするつもり。つくしは、アタシにとっての一番……だから」
想いを直接告げることにはまだ慣れない。
恥ずかしかったけど、それでもつくしには充分だったみたいで、嬉しそうに笑顔を作ってくれた。
胸が温かくなる。
「……ありがとう、先川さん。改めて思うよ、僕は君のことを好きになってよかった、って」
「どうかな……? そんなに手放しで褒めてもらえるほどアタシ立派じゃない」
――それに。
「青宮君のおかげで助けられたこともあるから」
心の底からの本音に、彼はアタシが見たことの無いような顔ではにかんだ。
▼
結局、アタシたちはその後も会話しながら、けれども二週間後に迫っている期末テストに向けて勉強を進めた。
二週間前から準備するのは早過ぎるんじゃないか、とも思われるかもだけど、前もってやってないとアタシはちゃんと点が取れない。
つくしも青宮君も勉強ができるから、二人ともアタシに付き合ってくれた形だ。ありがたい。
それで、図書館の閉館時間が来て、三人で家路につく。
そこでも色々話をしたけど、会話の内容はもっぱらアタシが男子になったことについてだ。
どんな服が似合うかとか、新しくどんなことができるようになるかとか、そんな話。
期末テストが終わったらどこかへ行きたいね、なんてことも話した。
「――けれど、僕は思うよ。先川さんが男子になったのは、もしかしたら姫路さんとの関係をさらに良いものにするためだったんじゃないか、って」
「するためのもの、ってどういうこと? なんかその言い方だと神様がいるみたいだけど?」
つくしが気に食わない感じで青宮君に言う。
彼は頷いて続けた。
「そういうことだよ。神様がそうしたんじゃないか、って話。僕、案外そういう存在を信じてるんだ」
「うへぇ~……そうなの? すごく意外。私、そういうの全然信じない」
「そりゃあ君はね。信じてるものと言えば、先川さんくらいなんじゃないのか?」
「よくわかったね。大正解。さすが青宮君」
仕方ない二人だと思う。
アタシはお決まりの苦笑いで二人の会話を聞きながら、薄暗くなっている空を見上げた。
考えるのは一つ。
つくしに、青宮君に、想いを打ち明けられてよかったな、ということ。
ただ、そんな折だ。
アタシたちがそうやって三人で歩いていると、すぐ傍を通りかかった車がゆるゆるとスピードを緩め、窓を開けてくる。
何だろう?
怪しく思い、車を見やると、
「久しぶりね、春」
運転席にいたのは、アタシのお母さんだった。