まさか。
まさかこんなことになるとは思ってもなかった。
「相談窓口ってこの辺りになるのかな? ……あ、でもなんか違うっぽいね」
平日に学校を休んで、つくしと一緒に病院へ行くことになるなんて。
「受付の人に場所訊く? 総合病院だし、ある程度広いのはわかってたけど、まさかここまでとは思ってなかったよね」
「……せめて病院くらいは大きくしとかないと、って思ったのかな?」
「田舎で、おじいちゃんおばあちゃんが多いから、みたいな?」
「その言い方、どことなく不謹慎な気もするけどね……」
「え、でもそうとしか思えなくない?」
――なんて会話を繰り広げつつ、アタシはつくしと一緒に並んで歩く。
とりあえず内科の相談窓口まで行くために、ようやく見つけた院内案内図を見て確認。
場所を把握してから、アタシたちはまた歩き出した。
「それにしても、最近アタシ学校休み過ぎだよね……。そろそろ先生に目付けられそう……」
「……そこは仕方ないよ。春、今大変な目に遭ってるんだし」
「先生に話せたら多少は楽になるんだろうけどね。その辺り理解してくれて、みたいな」
「でも、そうなると……」
「お母さんに話が行っちゃうんだよね……」
それを避けたいがために、アタシは今こうして受診するわけでもなく、相談窓口で話だけ聞いてもらおうとしてる。
自分を俯瞰して見ても、哀れというか、可哀想……なんてことは自分に対して思いたくないけど、そうするしかないってどうなんだろ、とか思う。
もう少しだけ生きやすい環境に生まれたかった。
……っていうのは、少し欲張りなのかな。
わからない。
もっと恵まれてない人はたくさんいるだろうし、アタシなんかがそんなことを思うのは、ちょっと悲劇のヒロインぶってる節があるかもしれない。
仕方ない。
今あるところで人は生きていくしかないから。
「……ここだね。内科の場所」
出入り口の扉付近。
プレート上に内科と書いてある。
見れば、そこには待合の椅子が数多く設置されていて、お年寄りの人たちや、子ども連れのお母さんらしき人たち、それから他にも若めの男の人たちが座ってたり、色々。
ただ、この人たちはこれから受診するわけで、アタシはそうじゃない。
だとしても、とにかく勝手がわからなかったから、とりあえず受付の窓口にいる女の人に声を掛けてみた。
「……あの……すみません。相談窓口の予約をしていたんですけど……」
彼女から見て、アタシとつくしはどう映ったんだろう。
子どもが二人で何しに来たんだ、とか思われてるのかな。
不安になるけど、すぐに女性の受付さんは事務的にアタシの名前を訊いてきた。
求められた通り名前を教えると、彼女は「少々お待ちください」と言って席を立ち、電話を繋げ始めた。
医療ソーシャルワーカーの相談員さんが来てくれるという話になってたから、その人がアタシたちの元へ来てくれるんだと思う。
ちょうどすぐそこに、空いていた二つ分の椅子スペースがあったから、腰を下ろす。
どことなく緊張してるアタシだったけど、つくしはそうでもない口調で、それでも静かに話し掛けてくる。
「医療ソーシャルワーカーさんって、お医者さんではないんだよね?」
「……みたい。だから、たぶん医療的なこととか、専門的なことはわからないと思う……」
「じゃあ、何ならわかるんだろ? 入院制度の話とか?」
「……もだし、色々保険のこととか……? アタシもよくわからないんだけど、でもちょっとくらいは今の状態のこと話したい……」
「……それがいいと思う。話したら楽になることだってあるし」
「……うん」
つくしの言う通り。
医療ソーシャルワーカーさんからしたらいい迷惑かもしれないけど、それでも少しだけ話を聞いて欲しかった。
「ええっと……あなたたちかしら? 今日の相談予定の方は……」
視線を足元にやっていたところ、頭上の方から声がする。
顔を上げると、そこには50代くらいの優しそうな女の人が立っていた。
「先川さんですか? どちらかの方はお連れさん?」
女性に問われ、つくしが遠慮がちに手を挙げて主張する。
私がお連れさんです、と。
「そう。なら、こちらの方が今日の予約を入れてくれていた先川さんね?」
「は、はい」
大きな声というか、普通のボリュームの声も出せない。
アタシは消え入りそうな声で頷く。
この低くなった声で男子だと知られたくないから、今は。
「それじゃあ、少し移動しましょうか。すぐそこですからね」
優しく微笑み、女性はアタシたちを手招きし、先導してくれた。
つくしはアタシの顔を見て、自分もついて行っていいのか、何も言わずに疑問符を浮かべる。
わからないけど、とりあえずは何も言われなかったし、いいんだと思った。
ダメだったらダメで、アタシが傍にいて欲しいってお願いしてみる。
それでもダメなら、その時は仕方ないけど。
「ごめんなさい、少し階段上がるわね」
「……いえ」
「高校生さんよね? 今日は学校お休みしたの?」
「……はい」
「そちらのお友達さんも?」
階段を上がりながらつくしは話を振られ、「はい」と頷いた。
ソーシャルワーカーさんはクスッと笑み、「仲が良いのね」と言う。
友達だからといって学校を休んじゃダメ、とかそういう注意はしてこなかった。ホッとする。
「何歳になっても友達は大切にしておくべきだけど、あなたたちくらいの年齢の時の友達は、特に大切にしておいた方がいいわ。お節介なことを言うとね」
「私もそう思います。高校時代って今しかないですもんね」
頷くだけのアタシの代わりに、つくしが返してくれた。
そのまま続ける。
「大学生になったら……はまだ先のことだから想像がつかないですけど、何なら中学生の時の友達も大切にした方がいいと思います」
「その通りよ。大切にして? 10年経っても仲良くしていられるような関係の人がいたら、それはもう最高ね」
「私の場合は、それがこの子なんです」
はにかみながら、惚気るように言うつくし。
階段を上り終えたソーシャルワーカーさんは、達成感のあるような笑い声を出した。「あはは」と。
「だったら、あなたは先川さんを大切にしてあげて。先川さんも……えっと」
「姫路です。姫路つくしって言います」
「姫路さん。ね?」
▼
階段を上がり、少し歩いた先。
静かで、アタシたち以外他に誰もいないこじんまりとした部屋。
この部屋の名前をなんて言うのかはわからないけど、もっと踏み込んだ会話はここでするんだと思う。
ソーシャルワーカーさんの指示で椅子に腰掛けるよう言われ、アタシたち二人はそこへ座った。
向かい合うように彼女も座る。
「自己紹介が遅れてましたね。私はこの病院で医療ソーシャルワーカーをしている小牧と言います。よろしくお願いします」
アタシとつくしはぺこりと頭を下げる。
「先ほど話した通り、今日は先川さんが予約を取り付けていたということだけれど、相談内容の方を詳しく教えてもらってもよろしいかしら?」
言われ、アタシは自分の心臓をドク、と跳ねさせる。
つくしと青宮君、それ以外の特に親しくない人に自分の状況を話すのは初めてだ。
だから緊張した。
どんな反応をされるだろう。
どんな言葉を投げかけられるだろう。
そもそも、こんなことを話してもいいのか。
色々な考えが渦巻いて、思わずそれを否定してしまいそうになるけど、アタシは一歩前に踏み出すように声を出した。
「……その……アタシ……」
「はい」
「実は……少し前から……体が女子から男子に変わって……」
「……え?」
「声も……今はこんなですけど……元は高かったんです。体が男性化して、声もこんな感じになっちゃいました」
「……それは……どういうこと?」
首を傾げる彼女に対し、アタシの焦りの気持ちは強くなる。
そのまま、アタシは急き立てられるように、自分のことを語っていった。