それからほんの少し時間が経って、夜の八時半。
アタシは、つくしと二人でファミレスに来ていた。
七時くらいまでは青宮君もいて、三人でアタシのアパートにいたんだけど、そこから先は親が心配するからってことで二人になった。
まだまだ一週間も始まったばかりで、平日もほぼど真ん中。
明日も学校があるけど、今日くらいはいい。
久しぶりに夜のファミレスでつくしと一緒にゆっくりお話をする。
雰囲気はよかった。
なんせ、色々とお互いに打ち明け合った後だから。
「春も何か飲む? 私、ドリンク追加してくる」
「あ……じゃあ、アタシも一緒に行く」
言うと、つくしはコップを持ったままクスッと笑った。
「一人になるの、寂しい?」
「え?」
「それとも、私と一緒にいたいのかな? 離れたくないとか?」
意地悪な表情だ。
からかってるのが丸わかりなニヤニヤ。
悔しい……けど、実際正解だった。
今はなるべく一緒にいたいし、一緒に行動したい。
もう自分の気持ちに嘘をつきたくなかったから、アタシは思い切ってそれを言葉にする。
「……っ……そ、そうだよ?」
「へ?」
つくしが表情に少し揺らぎを見せる。
アタシは畳み掛けるように続けた。
「せっかく……本音も打ち明けられたんだもん……つくしの傍にいたい」
「っ……」
「ダメ……かな? 一緒にジュース……入れに行くの」
「……そ、それは――」
「好きだから……つくしのこと」
アタシが想いを口にしたところで、つくしはジッとこっちを見つめたまま固まる。
固まって、顔を赤くした後、息を吐いてうつむいた。
そして――
「……嘘つき」
「……え?」
思わずドキッとしてしまう。
その言葉は短くて鋭いナイフみたいで。
もう飛んでくるはずのないものだとばかり思い込んでた。
……でも。
「春、それ嘘だよね?」
つくしの顔に神妙さや嫌悪の色は無くて、赤くなったまま冗談っぽいジト目。
アタシの中に走っていた緊張は一瞬にして解けて、安堵に変わった。
「嘘って……どういうこと?」
こっちも冗談っぽい感じで返す。
ちょっと拗ねてみせたような仕草をすると、つくしはクスッと笑った。
「今はまだ、私への気持ち忘れちゃってるままなんでしょ?」
忘れるっていう表現の仕方がつくしらしい。
少し嬉しくなった。
忘れるってことは、また思い出せるっていう可能性を秘めてるから。
アタシは動揺して緩んだ表情を締め直して、わざとらしく咳払いしながら返した。
「それを言ったらつくしもじゃん……? 別にそこはお互い様だと思うけど……?」
どうしたって声は小さくなってしまう。
元々大きな声を出せるタイプではなかったけど、こういう痴話げんかのようなやり取りをするのは恥ずかしくもあった。
「ふぅー、やれやれ。ああ言えばこう言うんだから。春は仕方ないな~」
「そこもお互い様。アタシもジュース入れるの、ついて行く」
そう言ってアタシがコップを持ち、席から立ち上がると、つくしはニコニコしながらこっちへ歩み寄って来た。
距離は近い。
腕を組めるんじゃないかってほど。
でも、アタシはそれに対して何も言わなかった。
幸せな思いで満ち溢れてる。
絶対だと思っていた気持ち、抱え続けていた恋心が意図せず離れて行ってから、こうして心置きなくつくしの傍にいられることを喜べていなかった。
別に想いが100%から落ちてしまってもいい。
つくしも同じで、アタシたちは一緒の悩みを抱え続けて、それを言えずにお互いを遠ざけてしまっていただけ。
今は違う。
足りない分は、足りない分だけ話し合って、一緒に埋めていけばいいから。
何も一人で100%を作り出さなくていい。
50%と50%を合わせて、それで100%になるなら、今のアタシたちはそれでよかった。
「ねえ、春?」
「……? どうしたの、つくし?」
アタシが反応すると、つくしは優しく微笑んで、
「さっきも言ったけど、私も青宮君と同じだからね。別に病院なんて行かなくてもいい」
「……珍しいね。つくしが青宮君と意見同じなの。大抵張り合うのに」
「だって、別に青宮君と張り合うために意見食い違わせてたわけじゃないもん。私には私の考えがあるし、春のためにどんなことを提案したらいいかとか、意見したらいいかとか、詳しいだけだし?」
「ふふふっ。そうなんだ?」
思わず笑ってしまう。
笑うアタシを見て、つくしは少し顔を赤らめ、
「な、何が可笑しいの? 当然だよ? 青宮君より私の方が春のこと好きだから」
「ありがとう。アタシも好き」
「っ~……! なんか春、私のことからかってる気がする……!」
「全然そんなことないよ。つくしの思い違い」
「じゃあなんでそんなニコニコしてるのかな~……!?」
むーっ、と頬を膨らませるつくしを横に、アタシはクスクス笑って、ドリンクバーのジュースを入れる機械の前に辿り着く。
オレンジジュースにアップルジュース、二種類ほどのコーラにカルピス、それからメロンソーダとウーロン茶、コーヒー各種が並んでる。
色々と目移りしそうだけど、安直にアタシはさっきと同じカルピスを選んだ。
これが一番甘くて飲みやすい。
「……でも、とにかくね、春? 春は病院に行かなくていい。お母さんに今のことを知られたくないからってことでずっと通してたわけだし、私はそこを無理強いしたくないから」
「……うん」
「それに、なんかズルいし? 春が今のまま私への気持ちを戻そうとしてくれてる中、私だけ春に対して元に戻って、って言うのもさ」
「そこは気にしなくても大丈夫だよ。そもそもこれ、アタシが女の子に戻れたら全部解決する話なんだし」
アタシはそう言うけど、つくしは首を横に振った。
「もう無理なんてしなくていいの。私は、ありのままの春を受け入れるだけだから」
「……つくし……」
「春が辛い目に遭うのはヤダ。お母さんとのこと、悩んでるのは知ってるから」
「……」
ね?
――と、つくしはアタシに言い聞かせてくる。
アタシは、自分の中で次にどう動いていくのか、既に決まってた。
だから、そこを曲げることをするつもりはないし、別にそれがつくしに対する裏切りにもならないと思ってる。
病院には行くつもりだ。
ただ、それは受診とかじゃなくて、相談員さんのような人に話を聞いてもらいに行くだけ。
それだけだったらお金がかからないし、お母さんにも話が行きづらい。
そもそも、アタシの身に降りかかってるこの状況が病気なのかどうかも怪しい。
何もわからないから、とにかく少しでも専門的な知識を持ち合わせてる人に相談してみたかった。
「……ごめんね、つくし」
「……へ?」
「病院には行く。これはアタシの意思で決めたことなの」
「そ、そうなの? でも、それは――」
つくしが言い終える前に、アタシは首を横に振った。
そして続ける。
「知りたいんだ。今のアタシのこの状態がそもそも病気なのか何なのか」
「……」
「何もわからないと、どんな状態であれ手放しにつくしと一緒にいられない。問題を放置するのだけは嫌。そこは……ごめん。わかってくれると……嬉しいな」
たぶん、前のアタシならここまでのことは言ってなかった。
つくしに対して何も言わず、こっそり病院に行ってた。
でも、今は全部話す。
もうすれ違いとか、そういうことで悩みたくないから。
「……うん。なるほど。なるほどだよ、春」
「……ごめ――」
――ん。
そう言いかけてたところで、つくしはアタシの持ってたコップを強引に奪い取って、アップルジュースやカルピス、コーラを構わずに交ぜ入れる。
「ちょ、つ、つくし……!?」
何してるの、とばかりに声を出してしまうアタシだけど、つくしはいたずらに笑って、満杯になったコップを返してきた。
どす黒い色になった飲み物を見て、アタシは思わず顔をしかめる。
何でいきなりこんなことを……。
「謝るの、禁止。罰として、つくしちゃん特製ジュースをちゃんと飲むこと」
「え、えぇぇ……? これをぉ……?」
「そうっ。それを~」
つくしはニコニコ楽しそう。
で、楽しそうにしながら、頷いてアタシにこう語り掛けてきた。
「わかった。わかったよ、春。春のやりたいこと、わかったから」
「……う、うん……」
「なので、私も一緒に病院へついて行きます」
「……へ……?」
「一緒に行こ! ね、春?」
つくしに言われ、アタシはただ頷き返すしかなかった。