「――さっき、私に何言おうとしてくれてたの、春?」
改めて二人きりになったカラオケボックスの個室。
暗いその部屋の中は、液晶に流れてるデモ映像の音声だけがすべて。
アタシはつくしの顔をジッと見つめ、一度視線を離し、また戻す。
喜怒哀楽のどれにも該当しない彼女の表情は、どうにも読めなくて、アタシの心臓の鼓動を早めた。
つくしは……いったいどんな回答を期待してるんだろう。
思わずそんなことを考えてしまうけど、これ以上自分の『本当』を隠したくなかった。
勇気を振り絞って、声にする。
「え……えっと……その……」
「うん。何々? すごい気になる」
「あ、あのね……? つ、つくしは……さ……」
「うんうん」
「い……今の……男の子になったアタシといて……どうも思わないの?」
「……え?」
「あっ、あのっ、変な意味というか、怒ってるわけじゃなくて、単純な疑問で……! だ、だって、アタシはつくしに恋愛感情を抱いてた所謂レズで、つくしもアタシを好いてくれてたってことは、れ、レズだよね?」
「……」
「そ、それなのに、こんな今のアタシとデュエットしててどうなのかなーとか、か、変わらずに恋愛感情抱いてくれてるのかなーとか、そ、その、い、色々気になっちゃって……!」
「……」
「あ、あははは……」
つくしは何も返してくれない。
本当に、さっきと表情を変えず、喜怒哀楽の色も無いまま、ジッとアタシを見つめてる。
アタシは耐えられなかった。
視線を別のところ、自分の足元にやって、頬を引きつらせながら苦笑いを浮かべる。
みっともないのはわかってた。
わかってたけど、今の仕草も何もかも、勝手に出てしまう。
堂々となんてできない。
「……ご……ごめん……なんか……面倒なのはアタシも……」
「……え?」
声を発してくれた。
つくしの口から疑問符が漏れ出る。
少しホッとして、頬を引きつらせたままアタシは続けた。
「今日の帰りのホームルーム前……化学の後……つくしがアタシに言ったこと……全然自分にも当てはまる。面倒なこと言ってごめん……」
「……あー……」
「つくしのは全然なんだけど……アタシの方は群を抜いてる……本当にごめんね……?」
「……」
沈黙。
またデモ映像の音声だけが部屋の中の全部になった。
消えてしまいたい。
心の底からそう思う。
「……ふふっ」
「…………?」
何を言われるだろう。
そう思ってると、つくしの笑い声が聴こえる。
アタシは思わず少し顔を上げてしまう。
つくしは天井を見上げていた。
「そんなの全然面倒じゃないよ……って言う時、こんな気持ちなんだね」
「……っ」
「うん。でもね、春? 本当に全然面倒じゃないよ。安心して?」
「……で、でも、今の言い方……」
ごにょごにょと言うと、つくしは「あー」と言ってその場で立ち上がり、アタシの真隣に腰を下ろした。
近くなって、また目を逸らす。
つくしはずっとアタシの方を見たままだ。
「面倒じゃないって言ったら面倒じゃないの。そこ、疑ったらダメだよ? わかった、春?」
「……は、はい……」
「なーにが『はい』なの。堅苦しいなぁ。そこはさ、いつもみたいに明るく『うん』って言ってよ。ね?」
「う、うん」
はぁ、とつくしがため息をついて続ける。
「ていうかね、春? 男の子になってからの春、ずっとオドオドしてるし、アタシと目を合わせてくれる頻度すっごく減った」
「……っ……!」
「私のこと、嫌いになっちゃった? やっぱり面倒だから、相手するのもヤ?」
「そ、そんなことない! そんなことないよ!」
つい大きめの声で反論してしまう。
逸らしていた目もつくしの顔に合わせ、きっぱり否定。
つくしは、アタシに向けていたジト目をそのままにして、口元を緩ませる。
「ほんとに~?」
「ほ、ほんと! ほんとだよ! アタシにとってつくしは大切な人でしかないし、唯一無二だし、かけがえのない人で……と、とにかく大好きな女の子だから!」
「ふふふっ。大胆な告白もらっちゃいました」
「あ……」
手のひらの上で転がされてしまった。
でも、それに関しては本当のことだから否定はしない。
ただ恥ずかしさに下を向く。
「……と、というか……オドオドしてるのもアタシの場合……女子の時からそうだし」
「そうだねぇ。そこが春の可愛い所でもある」
「……っ」
「だけど、その頻度が高くなったかなぁ、っていう話だったの。今だってそう。目もよく逸らしがちだし、まるで私に何か大切なことを隠してるみたい」
ドキ、と心臓が強く跳ねる。
嫌な汗が浮かんだ。
「……私は……春に何でも言ってもらえるような……そんな存在になりたいから」
「っ……」
「まあ、そのためには私も隠し事無しでいかなきゃいけないんだけどね! 春だけに何でも言って欲しいとか、そんなのは都合が良すぎるもん!」
「……」
「正直者になる道はまだまだ遠そうだ~。昨日の間食のこととか、絶対に言えないもん。ふふふっ」
「……」
胸が痛い。
つくしをずっと裏切り続けてる。
その事実をこれでもかというほどに突き付けられる。
「それで、さっきの春の言ったことだけど、私は別に不満とか無いよ?」
「……え」
「私の恋愛嗜好がどうであれ、好きな人が春なのに変わりは無いし、何て言ったって春は春だもん」
「……そ……そう……なんだ……」
「そうそう。って、青宮君もそう言ってたらしいから、先にセリフ取られたみたいでなんか嫌なんだけどね。彼、私のライバルだし」
「ら、らいばる……?」
「うん、ライバル。恋敵。春、あの人に告白されたんだよね?」
「ま、まあ……」
「今も友達って名目で春に近付いてきてるし……! 本当は近付かないで! って言いたいんだけど、そんなこと言ったら春の友人関係に水を差しそうだし、それもまた私が嫌なの。面倒過ぎるよね、私」
そんなことない。
面倒なのは、全然アタシの方。
「とにかく、そういうこと。私は気にしてないよ。想いが通じ合ってたって事実があったら、どんな春でも受け入れられる」
「……でも、つくし……男子があんまり得意じゃないって……」
「そんなの、私はお父さんだけだよ~。男の人全員が酷くないってことはわかってるし、一括りにして嫌うつもりなんて全然無いからね、私」
「……」
「だから春? 自分のことは気にしないで、これからもずっと私と一緒にいて? 本当に、本当に、大好きだから」
「……じゃあ――」
吹っ切れたように体を動かす。
アタシはすぐ傍にいたつくしを座ったまま押し倒し、唇に唇を重ねた。
キス。
一度も自分から仕掛けたことのない行為を、衝動に任せて行う。
「っ……!? は、春っ……んっ……!?」
喋る隙なんて与えない。
動揺からか、逃れようとするつくしの唇を強引に奪う。
それだけじゃない。
舌も入れた。
熱が絡む。
つくしの体温がすごく伝わってきた。
「――い、いやっ……!」
……だけど。
だけど、そんなアタシの行為は。
「…………つく……し……?」
「――っ! あ……! え、えっと……」
やっぱり、そういうことなのかもしれない。
残酷な現実が、揺らぎようのない事実が、目の前に現れる。
「……ごめん……」
アタシは置いていたカバンを手に持ち、部屋から飛び出た。
「春!」
つくしが名前を呼んでくれるけど、止まることなんてできなかった。