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第19話 いっぱいにして欲しい

「昼休み、青宮君と何話してたの?」


 帰りのホームルームの時間が近付いてる廊下。


 並んで一緒に歩いてたつくしが歩を止めて、アタシにそう問うてきた。


 窓から夕日が差し込んでるのに、アタシの前に立ってるつくしの表情には陰があるように思える。


 冗談みたいな空気じゃない。


 真剣な問いかけで、どことなくつくしが怖く思えた。


 もしかして、怒ってるのかもしれない。


「え、えっと――」


「そもそも、私には言ってなかったよね? 青宮君と昼休みに二人きりで話しに行くなんて」


「っ……」


 そこに間違いはない。


 青宮君と話すことをつくしには何も言ってなかった。


「やっと昨日知れたのに。私と春、想いが通じ合ってたんだって」


「ち、違うのつくし。アタシは――」


「春、私一人でお弁当食べたんだよ?」


「……へ?」


「だって浮気だもん。他の女の子たちと一緒にご飯食べたら、春が悲しむよね? だから私は一人で食べた。寂しかったけど、それも我慢してたんだ」


「……っ」


「そしたら、春は青宮君と一緒にいた。私に何も言わずに、あの人と楽しそうに話してた」


「……」


 言い訳ができない。


 すぐに謝ろうと思った。


 悪いのはアタシだ。


 つくしはここまでアタシのことを想ってくれてたのに、何の考えもなく青宮君と二人きりでいた。


「ご、ごめん、つく――」


 そう言葉にしかけた瞬間。


 つくしが前からアタシの方へ身を預けてきた。


 勢いもあったから、背中を壁に打ち付けてしまう。


 痛い。ドン、と音がする。


「……つ……つくし……?」


「………………」


 声を掛けてみるも、つくしは何も言ってくれない。


 アタシたちは抱き合う形で、廊下に二人きり。


 向こうの方から薄っすら声は聴こえてくるけど、ここは人通りが少ない。


 勘繰ってしまう。


 もしかすると、人があまり来ないのを知っていて、つくしはここでアタシに問いかけてきたのかもしれない。


「……ごめんね、春。面倒なこと言ってる自覚はあるの」


 囁くようなつくしの声がアタシの耳をくすぐる。


 思わず身をよじり、つくしの腰辺り、制服を軽く握ってしまう。


「……でも、だからって、問い詰めるのを止める気にはならない……なれないよ……。私はこんなにも必死なのに……」


「つ……つくっ……」


「せっかく想いが通じ合ってたってわかったのに」


「……っ」


「……せっかく……せっかく……!」


「っんぁ……!?」


 露わになっていたアタシの首筋。


 そこに、生暖かくて、硬い何かがぶつかる。


 つくしの歯だ。


 つくしがアタシの首筋を甘く噛んできた。


「や、やめっ……!」


 つくしの体から離れようとするものの、上手くいかない。


 力が入りづらいのもあったけど、何よりもつくしの力が強かった。


 絶対に離してやらない。そんな思いが感じられて、アタシはそれに飲み込まれていく。


 力を入れるのを諦め、ただつくしのするがままに体をゆだねた。


 膝がガクつく。


 脚にも力が入らなくなってき始める。


「つく……し……」


「………………」


「……ごめん…………ごめんなさい……」


「………………」


「アタ……シ……」


「……違うんだよ……春?」


「…………?」


 つくしの声がまたアタシの耳を撫でる。


 ――違う。


 その言葉に疑問を覚えてしまった。


 何が違うんだろう、と。


「……別に私、謝って欲しいわけじゃない……。そうじゃなくて……青宮君と何話してたのか……気になってるだけ……」


「……っ……」


「怒ってもないよ。春と喧嘩なんてしたくない。喧嘩するほど仲が良いってよく言うけど、そんなの嘘だと思う」


「……」


「それに、さっき前川先生も言ってた。こういう友達を大切にしなさいって」


「…………っ……」


 つくしがアタシの頭の後ろに手をやって、二人で完全なゼロ距離になった。


 髪の毛をいじらしく手櫛でとき、毛先をクルクルと弄ばれる。


 もうアタシたちは前までの適度な距離感には戻れない。


 そんなのわかってたけど、それにしても前までのつくしとは違う。


 きっとこれは、アタシなら本来喜んでたことなんだろう。


 つくしとたくさん密着して、イチャイチャして。


 恋人のようなことをたくさんする。


 今だって、こうしてハグされてるということは、女の子の時のアタシだったら感動してたんじゃないかとさえ思う。


 だけど、それはもはや叶わなくなってしまったことで。


 つくしへの『好き』も、どうしたって友達以上の想いにはなっていかなくて。


 このハグも、より一層その事実を突き付けられるだけの行為にしかならなくて。


 涙を流しそうになる。


 悲しい。


 つくしの前では泣かない。


 どこか心の中でそう決めてたのに、流れていく雫を我慢できなかった。


「……え……?」


 鼻をすする音。


 それのせいで、つくしはハッとしたように抱擁を解き、アタシの顔を見やってくる。


「は、春……!? え……ちょ、え……!?」


「つくし……ごめん……一人にさせて……ごめん……」


「ど、どうして泣くの……? 私、強く言い過ぎた……?」


「ううん……全然そんなことなくて……申し訳なくて……色々……」


「……青宮君と何かあった……?」


「何も無い。でも、話した。体が男の子になったって」


「え、話したの……?」


「相談できる男子、青宮君しかいないから。同じ男子だし、頼ってもいいかなと思って」


「……それで、青宮君はなんて?」


「別にアタシはアタシだから、って言われた」


「……?」


「男子になったからって変わらないんだって。普段通り接するって、そう言われた」


「それ以外は?」


「それだけ」


「本当に?」


「本当」


「……じゃあ、なんで今、春は泣いて――」


 喋ってる最中なのにも関わらず、アタシは自分からつくしへ抱き着く。


 不意打ちだ。


 今度はつくしが虚を突かれたせいでよろける。


 涙はまだ枯れてなかった。


 震える声で、アタシは一番大切な人に訴える。


「つくし……お願い……」


「……? 春……?」


「何でも……何でもいいから……アタシに……」


「……うん」


「好きな人同士がするようなこと……たくさんして欲しい……」


「……」


「デートも、ハグも、キスも、他のことだって色々、思いつくこと、全部」


 ――そしたら、アタシは……。


「アタシの頭の中……つくしでいっぱいにして欲しい……」


 縋りつくように言ったアタシの言葉は、夕陽の差す廊下の中で受取先を求めるようにして漂う。


 それは、やがて一番届いて欲しい人の元に辿り着いた。


 彼女は、確かにこう囁いたのだ。




「……いいよ。私も、春でいっぱいにして?」


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