――キスだった。
つくしがしてきたこと。
アタシがされたこと。
二つとも、キス。
頭の中が空っぽになった。
目の前で星が飛んでるような感覚に陥る。
アタシは、どうしてつくしにキスされてるのか。
何もわからなかった。
ただ、彼女の唇を勝手に受け入れるだけ。
固まったまま、何も抵抗せず。
「……っ……」
微かな吐息と共に、つくしの唇がアタシから離れる。
辺りは暗くなり始めてた。
そのせいで、目の前にいる好きな人の顔色が正確にわからない。
わからないけど、アタシは呆然とする中で弾けるような思いに駆られた。
「……私も……春のこと……好きなんだよ……? 恋愛的な意味で……」
「…………え…………?」
つくしの手が、アタシの頬から頭の後ろの方にゆっくり移動する。
そのせいで、体と体の距離がさっきよりもまた少し縮まった。
顔も近くなる。
吐息の交わる距離。
恥ずかしくてたまらない。
目を逸らそうと思っても、つくしがそれを許してくれなかった。
「……ダメだよ、春……? ちゃんと私の方見て……?」
「っ……で、でも……」
「近い……? 緊張する……?」
アタシは弱々しく頷く。
だけど、つくしはそんなアタシを見て、小さく笑った。
そして――
「……でも、私たち……両想いだったんだよ……?」
アタシの耳元で囁くように言ってくる。
吐息が耳を撫でてきて、肩が震えてしまう。
それでも、つくしはアタシから距離を取るようなことをしてこなかった。
「両想いだったら……緊張はしても……こういうことするの……普通じゃないかな?」
「……っ……つくし……だ、だめ……」
「……何がダメなの……?」
「ち……近い……ほんとに……ほん……とに……」
「……っふふ」
囁き声で笑って、つくしはまたアタシにキスしてきた。
遊具の裏側。
人から見えない隠れた場所。
世界が暗くなり始めてる時間帯。
さっきまで聴こえていた親子の声は、気付けば聴こえなくなっていて。
ここには、アタシとつくししかいないんじゃないか、と。
そんな錯覚にも陥ってしまう。
……それなのに……アタシは……。
長い、長いキスだった。
息ができなくて、呼吸が苦しくなったら息継ぎをして、再度唇を重ねる。
アタシは、さっきつくしに告白した時と同じように、また涙を流していた。
その理由は、簡単に口にすることなんてできない。
本当は今日、ここで見事に振られて、玉砕するつもりだった。
でも、現実はそうならなかった。
奇跡が起きた。
女の子のことを好きになってしまうアタシが、大好きだった親友と想いを通わせ合えた。
奇跡。
奇跡だ。
……奇跡。
「…………ねえ……春……?」
「…………なに……?」
「…………どうして……泣いてるの?」
問われて、アタシは小さく笑う。
「……それ……つくしにも聞きたい。
――つくしも、どうして泣いてるの……?
●〇●〇●〇●
「――珍しいね、先川さんから僕を呼び出してくれるの」
何も気配なんて感じなかった。
唐突に後ろから声を掛けられて、びっくりしてしまう。
飲んでたりんごのジュースをこぼしかけた。危ない。
「……青宮君……声掛けてくれるなら前から現れてよ……。びっくりしちゃうじゃん……」
「うん。たぶんそれ、前から現れても絶対びっくりしてるやつだよ。どうやったって先川さんは僕を見て驚く」
「いやいや、別にそんな未確認生命体みたいな風に言わなくてもいいんじゃ……?」
「仕方ないね。事実だし」
楽しそうにクスクス笑って、すぐそこの段差に腰掛ける青宮君。
今は昼休み。
ここは体育館横。
自動販売機の近く、体育館前は、ジュースを買って駄弁ってる人がいっぱいいるけど、ここは少し離れてるから全然人がいない。
すぐそこにはグラウンドが広がってるから、向こうの方でサッカーをしてる男子たちを眺めてた。たぶん、体育の前だと思う。
「……ていうか、青宮君」
「ん? 何?」
「青宮君って、まだアタシのこと『先川さん』って呼んでくれるんだね。男子になったこと知ってるのにさ」
彼は小さく鼻で笑った。
でも、それは決してバカにしたような笑い方じゃない。
青宮君の癖のような、何気ないものだった。
「そりゃまあ、ね。今さら呼び方変えるのもどこか露骨だし」
「理由、何も無いってこと?」
「ううん。理由はある。単純」
「何?」
「先川さんが、自分は女子であり続けたいって思ってるのが伝わってくるから」
彼はサラッと言う。
掛けていたメガネを取り外して、レンズの部分を宙に透かして見てる。
埃のようなものが付いたのかもしれない。
「体は男子になったとしても、君の思いがそれに見合ってないなら、僕は先川さんのありたい方を尊重するつもりだよ」
「……優しいんだね、青宮君って」
「そりゃもちろん。僕は君のことが好きだから」
「男子になっても?」
「男子になっても」
「それって結構なカミングアウトじゃない?」
「君に言う分には、僕はあまりそういうの気にしないよ。男子も女子も恋愛対象なんだ」
「……へ、へぇ……」
……と言った三秒後くらいにハッとする。
へぇ、じゃない。
アタシは動揺を顔に出して、彼に問うた。
「そ、そうだったの!?」
青宮君は何食わぬ顔でアタシの目を見て頷く。
「うん。そうだよ。そんなにびっくりすることかな? 自動販売機の前にいる人たちにも声聴こえてない?」
「あ……」
もう遅いけど、口を塞いで自販機前を確認する。
大丈夫そうだった。誰かがこっちに来るとか、そういう雰囲気は無い。
「え……えぇぇ……そうなんだ……そうだったんだ……」
「そうなんだよね。まさかだけど、引かれたかな?」
「う、ううん。そんなことない。そんなことないよ。アタシだって今はこんなありさまなんだし」
「ならよかった。何でも話せるとは言ったけど、何だかんだ君に引かれるの、割とキツめではあるんだ」
「あ……そうなんですね」
「うん。好きな人だしね。そこは僕も人間。未確認生命体にはなり切れない」
「……だから別にそこはUMAになろうとしなくてもいいんだってば」
苦笑して、アタシはおもむろに足元を見つめた。
そこにあった小石をイジイジと踏み、弱い力でグラウンドの方へ蹴る。
小石は飛んで行って、何も無いところでつまらなく止まった。
「まあいいや。僕のそういう細かい話はまた今度するとしてさ、今日呼び出してくれたのは何があってのこと?」
「え……?」
「嬉しかったよ。先川さんから呼び出されるとかあんまり無いし、その呼び出し方も悪くない。下駄箱に手紙を入れられるなんて、なんかラブレターでももらった気分になる」
「……じゃあ、今度からそういうの止めるね」
「え、止めるんだ。せっかく僕は嬉しい気持ちになったのに」
「だって、勘違いして欲しくないもん。ラブレター、とか」
損したな、と頭を掻く青宮君。
アタシはそれを見てまた苦笑し、話を続ける。
「呼び出したのは、ちょっと話したいことがあるからだよ」
「ふんふん。話したいことね」
「昨日、放課後につくしと二人きりで遊んだんだ」
「うんうん。言ってたやつだね。楽しかった?」
「…………うん。楽しかった。すごく」
半分嘘。半分本当。
嬉しかったけど、悲しかった。
「それで、聞きたかったこと、つくしに訊いたんだ。アタシ」
「うん」
「そしたらさ、また新しく訊きたいこと……というか、言いたいことが出てきて、訳わかんなくなっちゃったんだよね」
「んー……うん。うん。うん……? ちょっと待って? どういうこと?」
「ごめん。そもそもアタシがつくしに訊きたいことって何なのか話してないから、青宮君からしたら意味不明だった」
「申し訳ない。その通り」
頷く彼を見て、アタシは小さく笑んだ。
そして――
「告白したんだ、アタシ。つくしに」
「……え?」
「それで、こっちからも訊いたの。つくしに対して、アタシのこと好き? って」