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第8話 『好き』が本当に戻るまで

 月曜の朝。


 目覚めたアタシの声は、変わらず低い。


 でも、不思議と死にたくなるような思いにはならなかった。


 昨日。


 日曜の朝よりはマシだ。


 学校にも行ける気力があった。


 たぶん、つくしのおかげ。


 つくしが家に来てくれて、アタシと約束してくれたからだと思う。




 ――好きって言葉、恋人仕様に変えてみよ?




 そうやって言われて、嬉しさと、悲しさが頭の中を覆った。


こういう時、大抵は九対一くらいの割合じゃないと、悲しさを中和させることができないんだけれど。


 五対五くらいだった五の悲しさをどうにかできているのは、アタシと同じようにつくしが泣いてくれていたからだ。


 どうして泣いていたのか、確かな理由はわからない。


 でも、なんとなく推測できる部分があった。


 その推測は当たってないかもしれないけれど、アタシからしてみればそれはそれで良くて。


 遠くへ行きかけていたつくしが、奇跡的なくらいにまた近くまで戻って来てくれた感じがした。




「……いつかまた……『好き』が本物に戻ればいいな……」




 鏡の前で髪の毛を整えながら、男の子になってしまった声で独り言ちる。


 けれど、違った。


いつかまた、じゃない。


 すぐに、だ。


 心の中で訂正し、アタシは冷蔵庫から、昨日つくしにもらったケーキを取り出すのだった。






●〇●〇●〇●






「おはよ、春」


 学校に着き、校門を一人で通り過ぎたタイミング。


 横から驚かせてくるように声を掛けられ、アタシは頓狂な声を上げてしまった。


「つ、つくし…………? ……びっくりした……」


「あははっ。作戦成功。おはよう」


 胸をひと撫でし、呼吸を軽く整えてから返す。


「……おはよ。今日も相変わらず髪綺麗。浜風、凄い吹いてたのになんで?」


「……さあ? なんででしょう?」


 言いながら、アタシの髪の毛を手で軽く整えてくれるつくし。


 男の子になったからって、背丈は前と変わらない。


 同じ目線なのが唯一の救い。


「正解は簡単。いつも春と会う前にちゃんと整えてるから、だよ?」


「え……」


「友達とはいえ、見せられるようにしときたいから。私なりのこだわり」


「……」


 たぶん、女の子のままだったら、こんなこと聞き返せてなかったと思う。


 アタシは少しの間の後、ぎこちなくつくしに問うた。


「……じゃあ、毎日やってた、お互いの髪を整えるっていうアレは……?」


「へ……?」


「髪が風で乱れるから、学校に着いたら二人で整え合おうって言って始めたと思うんだけど……」


「あ……あぁ~……」


「自分でも整えてたら……アタシがやらなくても……」


 そうやってアタシが言いかけていると、だった。


 アタシの髪に触れていたつくしの手がスルスルと下の方へ行き、わき腹の方へ到達。


 思わず体をビクつかせてしまうけど、身をよじったところで遅かった。


 つくしは、アタシのことを強引にくすぐり始めた。


「あっ……つ、つくっ……ははっ……! ちょ、や、やめっ、あはははっ!」


「君は聞いてはならないことを聞いてしまった。その罰だよ。ふふふ~」


「ほ、ほんとやめっ……! 周りで人……見てるからっ! あははははっ!」


 アタシがそうやって訴えても、つくしの手は止まらなかった。


 限界を迎えて、立ってられなくなったところでようやくだ。


 つくしはくすぐるのを止めて、その場にしゃがみ込むアタシを見下ろし、意地悪な笑みを浮かべてる。


 なんか前と比べて、つくしからのボディタッチが増えた気がした。


 これも『好き』を恋人仕様に変えていってるからなんだろうか。


 わからない。


 わからないけど、ちょっと嬉しい。


 消えたドキドキを代わりに埋めてくれてるような気がして。


「はぁ……はぁ……もう……いきなりくすぐり始めるとか……つくしの変態」


「ふっふっふ。口ではそう言いつつもまんざらではない表情だよ? 春?」


 手をわきわきさせながら、本当に変態っぽく言うつくし。


 アタシは、そんなつくしをジト目で見つつ、制服を正した。


「……今度からつくしのことは変態って呼ぶ。決めた」


「え~? じゃあ、春も私のことくすぐってみる?」


「しないって、そんなの……!」


 完全にからかわれてた。


 一人でクスクス笑ってつくしは楽しそうだ。


「だいたい……その……だ、男子……になったアタシがつくしの体触るとか……普通に許されないことじゃん……? 冗談で変態とか言えるレベルじゃない気がするし……」


「ふふっ。うん。そうだね。あまり冗談にはならないかも」


「で、でしょ……? だから、そういうボディタッチ系のからかいは止めた方が……」


「じゃあ、からかいじゃなかったらいい?」


「へ……?」


 うつむき気味に喋っていた顔を上げる。


 つくしは、冗談と本気の入り混じった表情でこっちを見つめていた。


 自分がどんな顔で見つめ返していいのか、少しわからなくなる。


「からかいじゃなかったら……春はもう少し……私に触れられたかったり……するのかな?」


「えっ……!?」


「もし触れられたいなら……私は春の気持ちに応えるけど……?」


 アタシ以外の誰かに聞かれないよう、つくしは声を最小限に抑えていた。


 そんな小さい声だから、必然的に聞こえるよう体と体の距離も近くなる。


 答えは二つ。


『はい』か『いいえ』。


 でも、簡単に決められない。


 どっちを選んでも、アタシは幸せになれない。


 それはいい。


 つくしはどっちを選んで欲しいんだろう。


 問題はそこだ。


 それがわかったらすぐに答えなんて選べるのに、アタシは問うてくるつくしへちゃんとした答えを伝えられなかった。




「あなたたち? そこで何してるの? そろそろ教室へ行きなさい?」




 名前のよくわからない女性の先生に促され、アタシたちは消化不良のまま歩き出す。


 歩きながら、つくしはクスッと笑った。


「ごめんね、春。なんか答えづらい質問しちゃって」


 アタシは首を横に振る。


 つくしが謝ることない。


 でも、アタシの親友は、それでも、と謝り通した。今の質問は確かに答えづらいよ、と。


「ああいう聞き方はダメだよね。きっと彼女だったら失格」


「…………つくし…………」


「ねえ、春? なら、ちょっと挽回させて?」


「……?」


「今日の放課後、デートしよ? デート」


「へっ……?」


「クレープ食べに行ったり、色々しようよ。ね?」


 言いながら、つくしはアタシの手を取ってきた。


 アタシは握られた手を見つめ、やがて彼女の顔へまた視線を戻す。


 にこやかに笑むつくし。


「せっかくだし、女の子同士だったらできなかったこととかもやっちゃったりして、さ?」






●〇●〇●〇●






 朝のホームルームが終わって、アタシは一人で教室を出た。


 行き先はトイレ。


 今の性別は男の子だけど、制服はスカートだ。


 こんな恰好で男子トイレに入ったりすれば、絶対に問題になる。入るのは今まで通り女子トイレ。


 ただ、いつも使ってる教室から近いところは、なんとなく気持ちの問題で入れなかった。


 遠回りして、誰も人がいなさそうな体育館横のところまで行く。


 ここだったらあまり人が来ないし、仮に来たとしても一人とか二人くらいだと思う。


 罪悪感に囚われたりすることもない。


「……うん。誰もいない」


 到着して中を見ても、そこには誰もいなかった。一安心。


 アタシは個室の中の一つに入る。


 変わってしまった自分を一番実感する『トイレ』は未だに慣れないけど、恥ずかしさをどうにか耐えながらするしかない。


 こんなのでも、今はアタシなんだから。


「……それにしても、ホームルーム前につくしが言ってたこと……」


 女の子同士でできないことをやろう、って何なんだろ……?


 こんなこと絶対に言えないけど、いやらしい意味にしか聞こえない。


 いや、でもあのつくしだし。


 気軽にそういうことを言ってくるようなタイプじゃない。


 もっと別の意味だと思う。


 思うんだけど……。


「…………もし本当にそういうことだったら…………?」


 どうしていいかわからなくなる。


 恋人っぽい『好き』に変えていくための工程ってこと……?


 ていうか、そもそもなんでつくしは恋人っぽい『好き』にしていこうってアタシへ提案したんだろ……?


 そこからわからないのに……。


「……っ……」


 一人で悶えていると、だった。




「……先川さん、いるよね?」




 ドアの外から自分を呼ぶ声がして、心底驚いてしまう。


 変な声を出してしまい、心臓が一気に跳ね出した。


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