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第7話 悲しい『好き』

 本当に好きな人とするキスは、きっと幸せに満ち溢れていて、悲しいことも辛いことも、すべてを吹き飛ばしてくれる。


 少女漫画や映画で見たそれは、何も経験したことがないアタシにもわかるくらい尊くて、同時に胸を締め付けられる。


 自分にはこんな思い、たぶんできない。


 希望と現実の差を思い知って、下を向くしかなかった。




「――……んっ……んんっ……」


「……はる……ごめんね……はる……」


「……っふ……はぁ……つ、つく――んっ……」




 ――なのに。


 カーペットの上。


 アタシは気付けばそこに押し倒されて、つくしとキスしていた。


 最初は何が起こったのかわからなかった。


 身を寄せて来るつくしに戸惑いながら、それでも流れるように体重を感じる。


 何かを考えている暇なんてない。


 アタシがつくしの名前を呼ぶ前に、つくしはアタシの唇に自分の唇を重ねていた。


 頭の中がキュッとなる感覚。


 呼吸の権利をつくしに奪われ、どうしようもないくらいにアタシは支配された。


「っは……んんぅ……んっ……つく……ひっ…………」


「っふぁ……はぁ……んっ……はる……はる……はるっ……」


 唇だけじゃない。


 次第につくしは舌を絡ませ、本当にアタシの全部を自分のものにしようとする。


 戸惑いでいっぱいだった気持ちが、真っ直ぐつくしへ向き始める。


 ……嬉しい。


 なんでこうなっているのかは全然わからないけど。


 真っ黒に塗りつぶし続けていた自分の想いが、つくしのキスで透明になっていく。


 そうだ。


 これも何もかも、男の子になれたからだ。


 女の子のままだったら、きっとつくしもアタシへこんなことしてくれなかった。


 戸惑いながら、変わってしまったアタシにショックを受けても、こうしてまた受け入れてくれた。


 前向きに捉えてくれた。


 友達から恋人になれるのかもしれない。


 つくしの『好き』が、アタシの欲しかった『好き』に変わったんだ。


 ……けど、それでもアタシは……。




「…………はる…………?」




 キスをそっと止め、つくしが少し顔を上げる。




「どう……したの……?」




 アタシのことを心配してくれながら、首を傾げていた。


 頬に手を添えられる。




「…………泣いてる…………嫌……だった……?」




 指摘されたアタシは、小さく笑ってしまう。


 同じだ。


 目元を拭い、つくしにも言った。




「ううん……嫌じゃない…………嫌じゃないけど…………つくしもだよ…………?」




「…………え…………?」




 アタシは、仰向けの状態で軽く首を傾げて、




「…………泣いてる…………」




 頬に添えられたつくしの手に触れ、上から落ちてくる涙をそのままにして呟いた。








●〇●〇●〇●








 今は、なんとなく窓から入って来る陽の光が嫌だった。


 カーテンを閉め切り、薄暗い中でつくしを認識する。


 つくしは、アタシと一緒にベッドの上で横になってた。


 着て来てた服がしわになるのだけはダメだから、アタシのスウェットを貸してあげてる。


 二人で同じような恰好をし、ただ一言二言、ぽつりぽつりと横たわった状態で会話していた。


 つくしの持って来てくれたケーキは、テーブルの上でタッパーに入ったまま。


 冷蔵庫に入れようとしたけど、腐ったりしないから、と傍にいるよう言われてしまった。


 本当かな、と思ったけど、小っちゃい子みたいにねだるつくしが可愛くて、結局言われた通りそのままだ。


 生クリームは使ってないし、たぶん大丈夫。


「……春……?」


「……?」


「……やっぱり、気持ち悪い? 私が……いきなり『好き』って言うの……」


「ううん。全然だよ。……むしろ……アタシも不安。つくしのこと……『好き』って言って気持ち悪いと思われないか……」


 アタシがそう返すと、つくしはクスッと笑った。


 同じことを考えて不安になってる。


 それが少し面白かったらしい。


「……けど、不思議だね。春、突然男の子になっちゃうなんて」


「……たぶん、普通だったらこういうの、すぐ病院に行かなきゃだと思う」


「……やっぱりお母さん? 知られたくないからってこと?」


「…………うん。もうあんまり……迷惑掛けたくないんだ……」


 やり取りが途切れる。


 でも、その途切れた会話の合間を縫うようにして、つくしはアタシの指に自分の指を絡めてきた。


「……大丈夫。春には私がいるからね……?」


「……っ……」


「声が低くなっても……男の子になっても……どうなろうと……私は春の傍にいる……」


「…………つくし…………」


「だって私と春は………………」


「………………」


「……友達だもん。大切な……友達」


「…………うん」


「友達だけど……ね? さっき言った通り。関係……変えてこ?」


「……恋人……みたいに?」


 アタシがぎこちなく問うと、つくしは「うん」とか細い声で返してくれる。


「せっかく男の子と女の子なんだもん……。私は……春とだったら……ううん。春のことが好きだから……恋人になりたい……」


「…………アタシも」


「……好きって言葉……友達仕様から……恋人仕様に変えていくね……?」


「……うん」


「好きだよ……春……」


「アタシも……好き。つくしのこと……大好き……」


 きっとこんなやり取りは、本来ならもっとドキドキで、果てしないくらいに輝いていて。


 赤裸々にした『好き』を、アタシは心の底から喜んでいたはずだった。


「……カーテン……開けなくてよかった」


 陽の光を部屋の中に入れたくなかった理由も、自分の中ではっきりわかった。


 恥ずかしくてつくしのことを鮮明に見ていられない。


 それもあったのかもしれないけど、本当のところは違う。


 本当は、変わってしまったアタシの気持ちを照らされたくなかったからだ。


 薄暗い中で、つくしに嘘をつく。


 今のアタシには、恋人用の『好き』をつくしに与えられない。


 与えられるのは、どうしたって友達用の『好き』で。


 関係を繋ぎ止めておきたいだけの『好き』だった。


「……あれ……?」


「……あっ……」


「春……また泣いてる……。どうして……? また目にゴミが入った……?」


「…………つくしもだよ。どうして泣くの……?」


「…………わかんない。……わかんないや。なんでだろ……?」


「…………なんでだろうね…………?」


 アタシは、悲しそうに涙を浮かべているつくしの体を抱き寄せて、シーツに一粒、水滴を落とすのだった。


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