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第6話 距離が近い

 家に来ても大丈夫なことをつくしに伝えてから三十分後。


 アタシの部屋のインターフォンは鳴らされた。


 五秒ほど間を空け、意を決してアタシは玄関扉の方へ向かう。


 そして、待っているであろうつくしのために扉を開けた。


「あ……。お、おはよっ、春」


 無理に作った笑顔で、何も悩んでいない風を装っているつくし。


 決して派手じゃないけど、ロングスカートに身を包んだ姿は、素直に可愛いと思った。


 すごくつくしに似合っている。


 心の中のモヤが少しだけ晴れた気がした。


「……お、おはよ。つくし。ごめんね、来てくれてありがと……」


「う、ううん。そんな。謝らないで。むしろごめんねは私のセリフだよ。こんなに突然メッセージ送って家まで来て」


「そ、それは違うよ……! 悪いのは全部アタシ……。変なことになっちゃって……つくしにもすごく気を遣わせて……」


「……」


「……っ」


「……やっぱり……声……」


「…………え?」


 アタシが首を傾げると、つくしは手を横に振った。


「何でもない」


 そう言って、また無理やり笑顔を作る。


 そのタイミングで、ちょうどお隣さんが部屋から出て来たから、アタシはつくしに中へ入るよう促す。


 いつもなら流れるように、当たり前のように入って来ていた部屋の中だけど、今日はなんとなくつくしの方が遠慮しているようにも思える。


 やっぱり、アタシが変わってしまった事実は、つくしの中ですごく大きいことらしい。


 性別だけでもこれだ。


 気持ちに関してなんて、絶対に相談できない。確信した。


「ごめんね。相変わらず綺麗にできてなくて」


「ううん。全然そんなことない。春の部屋、いつも綺麗だから安心して?」


「そうかな……? あ、それ」


 ベッドの近く。


 置いているテーブルの傍でアタシたちは腰を下ろして座ったけれど。


 つくしが、バッグの中から四つ葉のクローバーのイラストが描かれたタッパーを取り出した。


 たぶん、それに作ってくれたケーキが入っているんだと思う。


 つくしは優しい表情で頷いた。


「そう。これ。今朝作ったんだ。シフォンケーキもどき」


 言いながらタッパーの中を開けてくれる。


 そこには、上手に焼き色の付いたケーキが丁寧に敷き詰められていた。


 すごく美味しそう。


「すご……。やっぱりつくし、こういうの作ったりするの、本当に上手だね」


「……そうかな? 形とか、もっとピシッとしたかったんだけど」


「今のままで全然いい。ふんわりしてる感じで、美味しそうな色してて。食欲すごく湧いてくるし」


「ほんと?」


「うんうん。すごい上手。嘘なんてつかないよ。アタシ――」


 ――つくしには本音でしか話さない。


 そう言いかけて、口を塞ぐ。


 今のアタシにそんなことを言える権利はどこにもなかった。


「……? 春……?」


 探るようにつくしがアタシの名前を呼んできてハッとする。


「ご、ごめん……! ちょ、ちょっと舌噛んじゃって……!」


 焦って嘘の言い逃れをしながら誤魔化すけれど、つくしとの間に流れているぎこちない空気はさらに悪化したような気がした。


 少しの沈黙が気まずい。


 何かを話そうとして無理やり話題を作ってみるけど、それが空回りしてばかりだ。


「……あ、アタシ、ケーキと一緒に飲めるもの入れてくるね。つくしは何飲む? 紅茶よりもコーヒーがいいんだよね?」


「……何か入れるなら私も手伝う。どうせケーキを分けるのにお皿とかがいるし」


「え……あ、そ、そっか」


「飲むものも春と同じでいいよ。一緒にしたい。色々」


 拒むことなんてできなかった。


 いつもにはない距離の近さを感じる。


 まるでアタシが距離を取ろうとしているのを察しているみたいに。


「……ほ、ほら。春、行こ? キッチンまで」


「……!」


 隣に立ち、つくしはアタシの手を優しく握ってくる。


 ただ、その手はどこか震えていて、今のアタシに対して怯えているような感じ。


 元気付けようとしてくれてるなら嬉しい。


 でも、アタシからしてみれば違う。


 一番はつくしが笑ってくれていることで。


 そんなつくしに対してドキドキすることで。


 無理に作っているその笑顔は、やっぱり胸に痛みが走るだけだった。


 唇を少し噛み、頷く。


 アタシ、ちゃんと笑顔で返せているのかな。


「春はこういうケーキの時、一緒に何飲みたい派? ちゃんと聞いたこと無かった気がする」


「……あ、アタシは……紅茶かな? ほら、いっつもお菓子食べる時も紅茶か普通のお茶だし」


「そういえばそうだね。外にいたらミルクティーとかも飲んでない? やっぱり今回もミルク入れる?」


「ううん。家には今牛乳無いし、そのままストレートで飲む。ちょうどペットボトルで二リットルのやつ買ってあるし」


「あ、ほんとだ。コーヒーもあるし、お茶も……野菜ジュースもあるね」


 アタシが開けた冷蔵庫の中身をつくしが読み上げてくれる。


 ただ、野菜ジュースっていう言葉に少し反応してしまった。


 元々、ここにはロールパンも袋入りであった。今はそれが無いけど。


「……ほんとにいい? いつもだったらつくし、コーヒーな気がするけど……?」


「うん。大丈夫。春とおなじものにして?」


 違和感は隠せない。


 でも、つくしがそう望むなら、アタシがそれを特別拒む理由も特には無い。


 紅茶の入った二リットルペットボトルを取り出し、コップに注ぐ。


 それからお皿二枚とフォークを二つ持って、テーブルの周りで腰を下ろした。


「……へ……?」


 ここでもやっぱりつくしが変だ。


 アタシと向かい合って座るわけじゃなく、密着しながら真隣に座ってくる。


「あ、あの……つくし……?」


「……? どうかした?」


 あっけらかんとして首を傾げられるけど、さすがにアタシも問うてしまった。


「今日……距離近くない?」と。


 つくしは小さく笑って、


「そうかな? 別に普段通りだと思うよ?」


「……ふ、普段通りではない気が……」


「普段通りだよ。普段、私が本当にしたかった距離感」


「え……?」


 ただでさえ近かった距離が、またさらに近付く。


「春……私は……」


「……あ、あの……つくし……?」


「ずっとこうしたかったんだ」


「――っ……!」


 刹那。


 アタシの体を押すようにして、つくしが前から体重をかけてくる。


 気付けば、アタシはつくしとキスしていた。


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