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第2話 変化

 アタシがこの春から通い始めた大津田高校は、普通科、水産科、農業科の三つに分かれ、校舎もそれぞれ違った場所にある。


 元々は三つが別々の高校だったんだけど、何年か前に一つになって、今の体制を続けてるらしい。


 アタシが通っているのは普通科で、校舎が海の近くにある。


 入学前、オープンキャンパスの段階で、つくしと一緒にツッコんだのは今でも覚えてる。


 農業科が山の中にあって、水産科が海の目の前にある。だったら普通科は街の中にあるべきでしょ、なんて言って。


 一応、水産科に比べたら海から少し離れてるけど、それでも距離的には海とそう遠くない。


 浜風が結構吹いてるし、朝登校する時もそのせいで整えていた前髪がクシャッとなる。


 男子はどうかわからないけど、女子の間では、よくこの高校の嫌なところとして挙げられていた。


 たぶん、アタシを除いて。


「――それで、春? 私に話したいことがあるって言ってたけど、何?」


 ホームルームが始まるまで、あと十五分くらいの時間。


 アタシは、つくしと二人きりで、誰もいない空き教室にいた。


 くしゃくしゃになって、鏡を見ずに自分で整えたアタシの前髪を、つくしは丁寧に整えてくれている。


 これがアタシたちの朝の日課だった。


 誰もいない空き教室を使って、二人で前髪を整え合う。


 なんとなくつくしには言いづらいけど、アタシはこの時間が大好きだ。


 朝からつくしを独り占めするみたいで。


 教室に戻れば、可愛いつくしは皆の人気者。


 男子にも、女子にも好かれていて、アタシの入り込む隙間なんてほとんど無くなってしまう。


 だから、一日の中のこの時間は、アタシが昼休みまでを耐えるための英気を養うタイミング。


 昼休みになったら、つくしはまたアタシと二人きりの時間を作ってくれる。


 アタシ以外の人とお弁当を食べたい時もあるはずなのに、いつだってアタシと一緒に過ごしてくれる。


 そんな優しいつくしが好き。


 中学生の時から変わっていないつくしが大好き。


「……えっと……う、うん。話したいこと……あるんだ。つくしにしか……言えないこと……」


 声をちゃんと出せない。途切れ途切れだ。


 男の子になったことを言うつもりなのに、ここに来てアタシは低くなった声を晒すことに抵抗感を抱いていた。


「私にしか言えないことかぁ。ふふっ。何かな? もしかして、愛の告白とか?」


「うぇ!?」


「あっ……!」


 つくしが前髪を整えてくれていたのに、アタシは動揺のあまりやや下に向けていた顔を上げてしまう。


 そのせいで、つくしの持っていたピンクの櫛が床に落ちた。


「あ、ご、ごめんつくしっ……!」


 すぐに謝ると、つくしはクスッと笑み、冗談っぽく「もう」と毒突きながら落ちた櫛を拾った。


 持っていたポケットティッシュで櫛の歯を拭いている。


「動揺し過ぎだよ、春。もしかして、本当だったり?」


「そ、それは………………違くて……」


「ん~? なんか妙に間があったね~? 怪しいな~?」


「ち、違っ……! 違うの、つくし……! 違う……!」


 顔が一気に熱くなった。


 ジト目で、わざとらしく疑いながらアタシの顔を覗き込んでくるつくし。


 茶褐色の宝石みたいな瞳は陽光を少し受けて輝き、手入れの行き届いている髪は艶やかで真っ直ぐで、彼女の動きに合わせてサラサラと流れる。肌も綺麗。何もかもが本当に綺麗。


 前髪だって、まだアタシが整えてあげてないのに、浜風なんか無かったみたいに整っていた。


そんなつくしと、アタシは目を合わせられない。


 横の方へ顔を逸らし、手を振ってどうにかこうにか否定。


 自分の中にいる、数少ない冷静なままのアタシが、『早く男だと言って、好きってことも伝えればいいのに』と言ってくるけど、そんなのすぐにできるはずがない。


 そもそも、まずは男の子になってしまったことを伝えなきゃいけないのに。


「ふふふっ。春はほんとに照れ屋さんだね。そういうとこ、可愛いから私好き」


「へっ……!?」


「残念だなぁ。私はこんなにも春のこと好きなのに、春は私のこと好きじゃないんだ~?」


「えっ……!? ええぇっ……!?」


「寂しい……」


「え、ちょ、つ、つくし……!?」


 バカなアタシは動揺してしまう。


 冗談だってわかっていた。


 わかっていたけど、それでもつくしに直接『好き』って言われてうろたえているのだ。


 気持ち悪いキョどり方してるんだろうって自覚があるのに、それを止められない。


 そんなアタシの様を見て、つくしはまたいたずらにクスクス笑う。


 口元に手を当てて、上品っぽい笑い方。


 ほら、やっぱり。


 ただ、やっぱりだけど、アタシは笑ってるつくしを見ることができたって事実で嬉しくなってる。


 どうしようもないくらい好きだから。


「なんてね。からかってごめん、春」


「っ……」


「春が私のこと、友達として好いてくれてるのはちゃんと知ってるからね」


 言いながら、つくしはアタシの頭を優しく撫でてくれる。


 もう、本当にどうしようもない。


 アタシ、ちゃんと隠せてるのかな。


 顔も赤くなってるだろうし、表情から好きが溢れてるかもしれない。


「けどさ、春?」


「……?」


「今日の春、明らかにいつもより声低い。大丈夫? 喉、傷めたりした?」


「えっ……」


 それはそうだ。


 隠し通せるはずがない。


 つくしは、心配そうにアタシを見つめてきてくれる。


「近頃、朝は冬くらい寒いもんね。ちゃんと布団被って寝てる? お風呂にも浸かってる? 大丈夫かな?」


「う、うん。大丈夫…………大丈夫……なんだけど……」


「……?」


「え、えっと、つ、つくし……その……」


 ここだ。


 もうここで言うしかない。


「あ、アタシ……」


 低い声で綴る『アタシ』は、自分で聞いてても違和感しかなかった。


 だから、もうつくしに話して楽になりたい。


 縋るような思いで、怖さもありつつ、アタシはつくしへ告げた。


「……お……男の子になっちゃってた……」


「…………え?」


「あ、朝起きたら……お、男の子になっちゃってたの。身長とかは全然伸びてないけど、声が低くなってるのはそのせいで……」


「…………? 男の子に……なってた?」


「そ、そう! 朝起きたらなってて、自分でもなんでか全然わかんなくて!」


「……」


「と、とにかくつくしには言わなきゃって思って……。あ、アタシ……お母さんにもこういうこと……言えないから……」


 声をくぐもらせながらうつむくアタシ。


 突然の告白に驚いたのか、つくしは黙り込んだまま、何も返してくれなくなった。


 空き教室に沈黙が下りる。


 聞こえてくるのは、廊下で話している人たちの声や、教室ではしゃいでる人たちの声。


 やっぱり、すぐには信じてもらえないだろうか。


 言ってることは、どう考えても変だから。


 ギュッと目を閉じていると、アタシたちのやり取りを遮るみたいにして、ホームルーム開始五分前のチャイムが鳴った。


 教室に戻って、席に着いておかないと。


「……春?」


「……う、うん?」


「今日の放課後さ、暇……?」


 温度の低くなったつくしの声。


 その問いかけに、アタシは頷いた。


 暇だよ、と。


「だったら放課後、私春の家に行ってもいいかな?」


「家……?」


 ――うん。


 と、つくしは頷き、


「今、春が言ったこと、もう少しちゃんと聞かせて?」


 どこか怖がっているような、そんな表情でアタシを見つめながら、そう言ってくるのだった。


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