『――私、春が好き』
高校に入学する前。
中学二年生の四月。
中庭の隅っこで、アタシ――先川春は好きな女の子から告白された。
『だって、春はこんなにも温かくて、花がたくさん咲いて、始まりの季節で、明るいんだよ? だから、大好き』
弾けだしそうな思いで、きっと赤くなっていたはずのアタシは、一瞬にして石みたいに固まる。
勘違いだ。
てっきり、つくしはアタシのことが好きなのかと思った。
アタシがつくしのことを好きなのと同じように。
『ねえ、春?』
『……?』
『春は、春のこと、好き?』
思わず苦笑いを浮かべてしまう。
笑っちゃうような聞き方。
『うん。好き』
『そっか。じゃあ、私と一緒』
『……たぶん、つくしが好きなものは、アタシも好き』
優しく微笑んでくれるつくしは、相変わらず温かくて、アタシはその温かさ以上の熱を受け取る。
そのせいで顔が少し熱くなって、視線をアタシの方から逸らすのがいつものこと。
好きって想いは、どうしようもないくらいに頭の中を駆け巡る。
普通にしてられてるのか不安。その不安を解消したい思いから、そっとつくしに視線を戻す。
つくしは、アタシの頭を撫でてくれた。
『今のは、春の本音?』
『……うん。本音』
アタシが言うと、つくしはクスッと笑って、
『嬉しい。私、春が何でも話せる人第一号になれつつあるみたい』
なれつつある、じゃない。
そんなの、とっくの昔になってる。
アタシの中で、つくしは特別。
もっと、もっと、何でも話したいくらい。
それこそ、アタシの本当の気持ち、とか。
でも、それが無理なのは知ってる。
女の子が女の子を好きになるのは普通じゃない。
絶対に今の関係じゃいられなくなる。
だから、アタシは自分の気持ちに蓋をする。
――つくしのことが好き。
この想いを宝物みたいに大切にして。
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目を覚ますと、そこには見慣れた天井が広がっていた。
木漏れ日の差す中庭の隅っこでつくしと一緒にいたのは、どうも夢だったらしい。
毛布を被ったまま、アタシは深々とため息をつく。
それもそうだ。
冷静に考えて、今の季節は秋。
春はここまで毛布を被らなくてもいいだろうし、十一月になった今朝の気温は、たぶん十度くらいな気がする。わからない。
布団から出たくなかった。
つくしとイチャイチャしてたのに、それが夢だと知って、なおのことだるさが重くのしかかってくる。
学校にも行きたくない。
誰かアタシの代わりに行ってくれる人はいませんか……。
募ってみるけど、一人暮らしのこの部屋にはアタシしかいないので、当然手を挙げてくれる人もいない。てか、仮にいたとしても、代わりに登校なんて無理だし。
まあいいや。仕方ない。起きよう。起きて学校に行きさえすれば、今度は本物のつくしと話せる。
さっそく一つ話題もできたしね。
今日は中二の時の夢を見たよ、って。
「……んしょ」
ベッドから出て、立ち上がる。
朝の時間はゆっくりしてられない。
お弁当の用意をして、顔を洗ったり、髪を整えたりしてたらあっという間だ。
だから急がないと。
そんなことを考えてた矢先のことだった。
「……ん?」
どことなく、動くことによって生じた違和感。
あまりこういうことは声に出して言えないけど、股間部分が明らかにおかしかった。
……?
え……?
強烈な異物感。
感じたことのないそれに、アタシは体全体の動きを止め、固まってしまう。
何か……いる……?
最初は洗濯物が丸まってポケットに入ってるのかと思ってた。
でも、違和感はそんなものじゃない。
これは、感覚的にアタシに付いてるような感じで……。
「え……? つ、付いてる……?」
とっさに出た声。
これも、自分の声として意識しながら聞いてみると、どこかいつもより低く聴こえた。
あり得ないことが考えとしてよぎる。
……ちょっと待って? え? え……?
パニックになり、反射的に置いている姿見の方へ駆け寄った。
「……っ!」
見た目や背丈はいつも通り。
……でも。
「……う……嘘……」
アタシは、なぜか男の子になっていた。
▼
「……な、なんで……? どういうこと……? 訳わかんないんだけど……?」
もはや登校の準備どころじゃない。
ベッドに腰掛け、放心状態。
朝起きたら、自分が女の子から男の子になってた。
頬をつねっても痛かったし、起きようと思っても現実は何も変わらなくて、これが夢じゃないとハッキリわかる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
頭の中を『どうしよう』の五文字がこれでもかというほどに浮かぶ。
パニックのあまり、もう一度姿見の前に立つアタシ。
気付かないうちに荒くなっていた呼吸をそのままにし、眼前に映る自分と対面する。
身長は変わっていない。
体格も女の子の時のまま。太くなってる部分があるわけでもなかった。
短い髪の毛もそのままで、冷静になって見ると周囲にはアタシが男の子になってしまった事実なんてバレないんじゃないかと思う。
問題は声だ。
声はわかりやすく低くなっていた。
元が高かったのもあるから、その分落差がひどい。
怪しまれるかもだけど、そこは喉を傷めたとか、適当なことを言っておけば大丈夫だろうか。
幸い学校内じゃあまり喋る方でもないし、会話する相手だってほとんどつくしだけ。
つくしには言わないと。
男の子になってしまったこと。
ていうか、言いたい。誰かに言わないと気がおかしくなりそうなのもあるけど、何よりつくしには言えないことを作りたくない。
中学の時、そういう願望を聞いたから。
『私は、春が何でも話せるような人になりたい』
……今日の放課後だ。
放課後、完全に二人きりになれたタイミングで言おう。
それがいい。
「う、うん。そうだよ。ちゃんと話せば理解してもらえるだろうし、き、気持ち悪がられることもないと思うし……」
「そ、それに、前向きに考えたら男の子になれたってことは、つくしへちゃんと想いを伝えられるってことじゃん……?」
「もしかして、神様がアタシにチャンスを与えてくれた……? え……そう。絶対そうだよ……」
不安の中で、不思議と笑みが浮かぶ。
暗い気持ちになってたのが、一気に明るくなった。
伝えよう。絶対。
男の子になったことも。
好きだよってことも。
アタシは心の中で決め、その決意を頼りに学校へ行く準備を進めた。