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細い糸、弱い光、軽い存在

『存在の耐えられない軽さ』という小説をご存じですか? 著者はチェコ人のミラン・クンデラ。なんて正鵠を得たタイトルだろう。

 ……と偉そうに紹介しておいて、僕自身、実はまだこの本のページを繰っていません。タイトルや評判に気圧されて、手がつけられていない小説が皆様の本棚にもする……なんてことはありませんか?


 時間は余計にあるのに金が少ない。さて、金は有り余っているのに時間が足りないのとどっちがマシだろう? ……虚しい問いだ。僕はどうしようもなく前者だから。

 でも今のところ金がなくてもいいんだ。図書館に行けば本が読める。それだけでいい。


 人口が少ないこの町にしては大きなマンションを通り過ぎ、分流だから控えめな川に架かる橋を渡り、田んぼ道に入る。遠くに図書館の屋根が見える。

 小学生の頃、畦道を歩いていたら糸トンボ——腹がすごく細く、そりゃ〈糸トンボ〉って名称になるよなと思う——が飛んでいた。哀しいかな、近年は全くいない。バイパスが通って自然環境が変わったから、と言う人もいる。そもそもが希少らしい。想い出の景色に浸るなんて未練がましいけれど……。


 ありがたいことに、この図書館には給水機もあるため長居ができる。読みかけのスコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』を続きから読み、その後、手塚治虫の漫画『火の鳥』を楽しんだ。『火の鳥』は〈望郷編〉まで終えたため、残りは明日また訪れた際のお楽しみだ。


 6月だから、見渡すと時刻の割に明るい。夕食までは時間があるし、遠回りして帰宅することにした。自宅とは逆方向に向かい、中学校を廻るコース。

 そこそこ暗くなった頃、懐かしの校舎に到達した。プールの裏手を歩いていると、ふと茂みに光るものが見えた。はじめ、街灯の光が空き缶か何かに反射し、それを僕の目が一瞬捉えただけかと思ったが、そもそもこの辺りに街灯はなかった。その光は移ろい、しかも明滅していた——ああ、そうか、蛍だ。その儚げな光は、あたかも彼自身がこの世界と言わば契約していることを懸命に証明するようだった。蛍よ、久しぶり、この町の自然をどうかよろしく。僕は歩くのを忘れて佇んでおり、プールの向こうで鳴った車のクラクションの音でようやく我に返った。


 今日僕の心を慌ただしく通り過ぎていったものを〈事件〉なんて呼んだら大袈裟かもしれない。夢野久作の小説『いなか、の、じけん』のように巡査なんかが登場したわけでもなく、ほとんど個人的な出来事だからだ。でも同じように、んだ。それに、ニュースで連日報道されたナントカの事件——あるいはこういう言い方は失礼かもしれないが、やはりどうしても他人事だ——よりも、ずっと忘れたくないと思ったんだ。糸トンボも生姜焼きも『グレート・ギャツビー』も『火の鳥』も蛍も。もしそれが細い糸で、弱い光で、耐えられないほど軽い存在だとしても。

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