聞き捨てならん! 貴様は今「ありがとう」などと口走ったな? 不届者め……臭い飯を食ってこい!
どうか、どうかご容赦を……。ああ我が孫娘よ、なんという……代われるものならこの老いぼれが……。
一般的に人間には口が1個ついており、耳が2個ついている。だったら、話すことの2倍聴くことをしなければならない……あくびの出るような説法だな。ただまあ〈口は災いの元〉や〈雄弁は銀、沈黙は金〉という言葉もあるし、つまりそういうことなんだろう。格言として残っているというのは割に信用できる。血液型占いよりは遥かに。そういえば最近この占いを朝のニュースで目にしないなと思っていたら、偏見を助長するとしてBPO(放送倫理・番組向上機構)から止めるよう声明が出たらしいよ。乾いた笑いを禁じ得ない。
サントリオというイタリアの医学者をご存じだろうか? 詳しくは省略するが、彼は人体から日常的かつ自然に水分が失われていることを突き止めるため、
さて、人生において幾度「ありがとう」と口に出したか数えている人間が果たしているだろうか。今まで食ったパンの枚数をおぼえているのと同じくらいレアだと思う。僕の場合そんなに脳に余裕があるんだったら最寄りのバス停の時刻表を覚える。その方が便利だよね?
脱線しすぎだ。話を「ありがとう」と言った回数に戻そう。そのうちの1回は食卓で離れた場所に置いてあったケチャップを、そのそばに座っていた姉に取ってもらった際だろう。また1回はそのケチャップを買いに行ったスーパーで、大安売りだったためあと1本しか残っていなかった際だろう。「おお、間に合った……神様ありがとう」と独りごちたりしてね。だってもうオムレツは作ってあるんだ。
おそらく「ありがとう」は
箝口令! よもや政府によって
その理由については憶測が飛び交っている。僕の意見を述べていいだろうか? 強い規則で考える力を奪うためだ。ルールはそれを守らせることと同時に、支配することを目的としていることがしばしばある。だから縛りがキツくさえあれば別に言葉狩りではなくてもよかったのだ。例えば、夜に出歩くことを完全に禁止するとかね。姉はこう考えを述べた。「あくまで餌で、この令を破る危険分子を誘き出して
この圧政は青天の霹靂ではなかった。コンテクストがあったのだ。
まず西の隣国が青以外の色を用いることを自主規制した。そして東の隣国では哲人政治が採択された。自転車と同じで止まると傾いてしまうという恐怖が国民と政府に蔓延したのだろう。
それから自由とは実際のところ窮屈なものなのだというのもある。エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』を書いた。ジャン=ポール・サルトルは「我々は自由の刑に処せられている」と指摘した。奇しくも近い時代に。管理された方が気楽なのかもしれない。ジョージ・オーウェルは反論するだろうか。
悪法もまた法なり。僕は打倒のために反旗を翻そうとは思わない。しかしよく読んでほしい、あくまで〈打倒のために〉だ。ただ僕は僕の正しいと思うことに邁進する。つまりは感謝を禁止するなんて不毛なんだ。馬鹿げているんだ。愚にもつかないんだ。
だからこの手記を読んでいる君に揚々とこう書き、そして朗々と伝えるべきだろう。
——朋友よ、読んでくれてありがとう。