「お母さん、ちょっとお金ちょうだい」と僕は頼んだ。無心すると生々しく
「何に使うの」
「え、読みたい漫画が……」
「あんたは遊んでばっかり! ちゃんと将来のことは考えてるの!?」
「子ども扱いしないでよ。ちゃんと分別あるって。悪いのは全部、漫画が面白すぎるところさ」
母は渋々お金をくれた。僕は付け加えた。
「あ、ジュースも飲みたいからその分も……」
流石にお金を追加してはくれなかった。これもやっぱりジュースが美味すぎるのが悪い。もうメロンソーダの口になってたのにな。
僕は貰いたてホヤホヤのお金をポケットに入れ、本屋に向かった。本の匂いを呼び起こす。あの紙とインクの匂いが好きなんだ。でも個人的に利便性には負けていて、紙:電子=1:9。
僕の場合、歩いている時と風呂に入っている時に普段より考え事が捗る。さて突然だが、〈
話を戻すと、哲人政治とは哲人=超賢い人(たち数人の場合もあり)に舵取りを全面的にホイッと任せてしまおうという政治形態だ。大衆の意見によーく耳を傾ける? ノンノンノン。衆愚政治なぞもってのほかだ、と。
実は僕が暮らしている市もこの哲人政治を実験的に採用している。だが、市民はそれを知らず、議会制民主主義だと騙されている。実際に選挙も行なわれているが、気の毒な話それは形骸。ゆくゆくはこの哲人政治を国規模まで拡大させる筋書きだ。名を〈政府セーフティシステム構築計画〉。
どうしてそれをお前が知ってんだ? という話だろう。ごもっとも。答えは簡単で
我ながら歳をとったとしみじみ思う。齢56。ちなみに母はまだまだ元気な79歳。僕が哲人なのは話していない。いや、話すべきではない。そのせいもあってか僕の将来のことが気がかりみたいだ。親にとっての子どもとは何歳になってもそういうものなのだろう。
でもまあ僕は今を楽しく暮らしているし、将来のことは……妻がよく考えてくれている。僕には性格上難しいことだから本当にありがたいが、老後資金の懸念から残念ながら僕の小遣いは少ない。アメリカ大統領の給料が目を見張るほどは高くないのと同じで、哲人である僕の給料もそこそこ。さらに妻は倹約家だ。そして僕も浪費家とまでは言わないまでも、お金を使うのが好きなタイプときている。だから欲しいものがあるとつい母を頼ってしまう。
何歳になっても漫画の面白さは色褪せない。作者の年齢を遥かに超えていることが多くてたまに寂しいけどね。どうでもいいけど芸術——特に文学——って作者が拠点としている国がまさに戦時中だと、大変な環境であることをさっ引いてもクオリティが低く落ち着いてしまう傾向にあると思わないかい? 『星の王子さま』は例外だけれど。
あとジュースも好き。ともすれば蟻ん子が腹の上でウロウロするくらい甘いのが。とはいえ特に中年の僕にとって飲みすぎは良くなく、一応ちゃんと量を管理している。……妻が。頭が上がらない。
こんなんだから、妻や母に
繰り返しになるが、僕は将来について考えるのが得意ではない(精励はしているつもりだ。本当に)。ただ政治の世界では「未来を見通せる」なんて驕りが最も危険で、むしろ〈当たるも八卦、当たらぬも八卦〉の精神でいるくらいが良い塩梅のようだ。まあ、カイロソフト的に楽しむさ。僕も偉そうなことを言うよな。でも実際に偉いんだもんね。
これはいつかの時代、どこかの市のお話。