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引っ込み思案なコメディアン

 父は私が生まれる前、(可愛かわい子ちゃんと出会いたい)(可愛い子ちゃんはどこにいるんだ)と常々思っていたそうで、夜な夜な街に繰り出してはナンパに精を出していたらしい。しかしその定義からしても美人は少なく、いても宇宙の法則よろしく既に彼氏や旦那がいてガードが固く、いよいよ虚しくなった折、そろそろ落ち着きたいという思いもあって地元の連れである母と結婚したとのことだ。それから数年後、私が産婦人科で産声を上げたその時、助産師さんから「元気な女の子ですよ」と手渡され、私のしわくちゃな顔を見て「、こんなところにいたのか」と独りごちたという。


 父は狭義のコメディアンだ。舞台や映画、テレビドラマの主に喜劇コメディに出演している。〈主に〉とある通り、過去には悲劇トラジェディを含む全般の作品に出演したが、明るい作風においてよく力を発揮することが自他共に認められたため、徐々にこちらを専門とするようになった。

 重要なのはここから。ただし、当人の性格ははだいぶ引っ込み思案である。いやいやそれは成り立ちが矛盾している、と思われるかもしれない。ほんまかいや、と。だが私が思うにこういう例はありふれているのだ。ボンボンで社会性のない政治家、頭が固く独創性のない芸術家、保身ばかりで向上心のない研究者。……愚痴っぽくなってしまったが、しかし稀有な例としてコメディアンにとって内気なのは一見マイナスだが、実はプラスに働くことも往々にしてある。それはわざわざ私が偉そうに解説しなくても、観ている誰もが知っていることだ。

 加えて、根暗なのに先述のナンパができたのは、父が役柄としてのチャラ男を自らに憑依させられたからだ。役者に限らずたまにそういう人間がいて、父は「楽屋では葬式のように暗いが客やカメラの前ではピカイチのお調子者だ」とも評されていた。フィクションだけれど『こち亀』の本田速人がバイクのハンドルを握るとガラッと人格が変わるのと似通っている。そういう人っていろんな分野にいますよね。誰しも多面的な性格を持っているのだ。


 そう、母のことを忘れてはいけない。母は子宮頸がんで早くにこの世を去った。その時、私はまだ小学生だった。記憶として最も色濃く残っているのは、箸の使い方が下手くそだった私を訓練するため、スーパーでアジの開きを買ってきて、私の手を取りながらこの魚の身をほぐし、箸の握り方や動かし方を教えてくれたこと。

 中学生の頃、クラスメイトに「あんた片親でしょ」とボソッと言われた。「そうだけど」と私は毅然として答えた。相手は淡々とこう返した。

「別に人から聞いたわけじゃないよ。私って片親の人間が雰囲気で分かるんだよね」

 私はヘラヘラして「ふうん」と無関心を装った後、トイレの個室に入って少しだけ泣いた。

 湿っぽくなってしまったが、私は自身の人生についてそれほど悲観的に捉えてはいない。これまでの歩みは喜劇かあるいは悲劇かと問われれば、私は前者と答える。母との眩しい思い出はいつも私を励ます。父はよく巡業先のご当地菓子を土産として買ってくるが、最近は私はもう昔ほど甘いものをたくさん食べたいとは思っておらず、こういった認識の齟齬の間に家族を感じて幸せな気持ちになる。


 父は役者——厳密には引っ込み思案なコメディアン——としてのキャリアに並行して、50歳をきっかけに劇作家にも挑戦し始めた。はっきり言っておきたい。こちらは全然パッとしていない。毒にも薬にもならん作品というかなんというか。おそらく父自身もそれを不甲斐なく感じているのだろうが、私の前では努めて胸を張っている。そしてこうご高説を垂れた。

「人生を痛快に綴ろう。幸せに生きれば喜劇が書けるし、不幸せに生きれば悲劇が書けるんだからな」


 父、母、私、それからこれを取り巻いたり取り巻かなかったりするこの世界の連中、こいつらが織りなす悲喜交々の茶番劇、とくとご覧あれ!

 ビーという開演ブザーが鳴った。次第に照明が暗くなる。始まる前にと誰かが咳払いをする。幕が上がり、誰からともなく拍手をする。その共鳴は胸の高鳴りと競い合い、福音のように劇場内を響き渡る。

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