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首都モスクワに海はない

 旅行会社が〈モスクワの海へ行こう!〉ってキャンペーンを打ち出してたから、ロシアのこの地といや最近読んだトルストイの『戦争と平和』にも登場してたし、一度くらい本場のピロシキとかボルシチを食ってみたいってのもあって、思い切って申し込んだんだよ。蓋を開けたら〈モスクワの海〉って月面の、それも地球から見たら裏側にある地形の名前らしいね。要は宇宙旅行だよ。確かに飛行機でどれくらい時間がかかるか地球の世界地図を思い浮かべた時に、首都モスクワに海はないんじゃないかってボンヤリ違和感があったんだ。

 想定とは違ったけれど、まあいいや、行ってみようかなって。宇宙旅行は初めてだから、それ用のパスポートを申請したり面倒だけど乗りかかった船、いや宇宙船だ。月にもお土産とか売ってるんだろうかね。


 ロシアといえばさ、ボクって子どもの頃に福岡で遥々ロシアから来たボリショイサーカスを観たことがあるんだよ。おじいちゃんに誘われて妹と一緒に。サーカスを選ぶなんてなかなか粋だよね。ただ今でも申し訳なく思ってることがあるんだ。ボクらを含むお客さんが劇場に入り座って開演を待つ間、音楽が流れてるんだけどそれに混じって象の鳴き声が聞こえるんだよ。大きくパオーンって。ボクと妹は「象がいる!」って大盛り上がりだったんだけど、結果から言うとこのパオーンはサウンドエフェクトで実際には象はいなかったんだ。それでボクと妹は勝手に期待を裏切られた気持ちになって拗ねちゃったんだよね。その時のおじいちゃんの胸中を思うと今でも心苦しいよ。

 調べた感じ、本国ロシアでの公演ではこの花形の象は出演する場合が多いみたいだ。ロシアから日本まで帯同させたら象自身もスタッフも相当な負担なのかもしれない。きっと待遇の改善をスタッフからはもちろん象からもちゃんと書面で要求されるわな。


 古い列車が心地良い揺れと、これまた甘美な等間隔のガタンゴトンという音を発しながら人生を運んでいる。それにしてもこの素性の知れない60歳くらいのおじさんはよく喋るな、と感心までしてしまう。僕とは見ず知らずの、そしておじさんとも知り合いではないらしい20代後半と思しきお姉さんが頷きながら真剣に聴いている。偉い。もしかしたら聖母なのかもしれない。今にマリア信仰が始まりそうだ。同席している僕も負担しようと耳を傾けて相槌を打ったりしてはいるけれど、やはりどうしても聞き流してしまう。全校集会での校長先生のお話のように右の耳から左の耳。

 おじさんは無精髭が生えており寝癖もあるが服装は小綺麗。貧乏にも金持ちにも見える。ほどよく痩せていて表情も豊かだから、なんというか印象として〈生命〉を強く感じる。お姉さんは端正な顔立ちで体型もスラリとしている。そのまま婚約者の両親への挨拶にも臨めそうなくらいシンプルなコーデ。今どき珍しい文庫本を膝の上で閉じていて、タイトルがよく見えないが僕としてはどんなジャンルなのか大変気になる。

 当初、偶然このお姉さんが同じボックスシートの真向かいに座ってくれたことを(正直)ラッキーだと思ったが、次の駅でこのおじさんが乗り込んで僕の隣に座ってこの有様。まあ悪い人ではないんだろうけれど。〈口下手〉は一般に口数が少ないものと思いがちだが、逆に多すぎるパターンも結構あるんだよな。過ぎたるは猶及ばざるが如し。


 おじさんの饒舌は止まらない。

 象で思い出した、岩と岩の間に落っこちて、そんでピタッと挟まっちまって身動きができずそのまま餓死した鹿の哀しいニュースを見たんだよ。びっくりしたのはその死骸だ。これが綺麗に骨だけ残ってんの。肉は残らず滴り落ちたんだな。自然にできた骨格標本で、まるで芸術作品のようだった。こんな……ん? おお、もう駅か。ついつい喋りすぎたな。話を聴いてくれてありがとうね。

 おじさんは右手を軽く上げ、同時に会釈をした。まもなく列車がホームに止まると、彼は頭上の荷物棚からボストンバッグと中折れ帽を降ろし、それを手に素早く降車した。僕は行方を目で追っていたがすぐに視界から消えた。なんだったんだ一体。

「災難でしたね」と僕はお姉さんに声をかけた。考えてみると竜巻のようだった。

「いえいえ、そんな。ありがとうございます。あなたこそ」と彼女は返した。アーメン。

 しばらくして、「待ち合わせができるって幸せなことですよね」と出し抜けに彼女は口を開き、こちらに笑みを向けた。

「そうですね、そこには相手がいますから」と僕は慌てて同意した。もっと気の利いたことが言えたらな、と小さく後悔した。


 地球から月へと向かう旅行者、ロシアから日本へと赴くサーカス団、身動きが取れない鹿、そして僕らを目的地へと運ぶ列車。AからB、あるいはAからA’、1から2、過去、それから現在を踏んで、さらに未来。エントロピーがどうたらはさておき、循環するために生まれてきた僕ら。移ったその先に使命があるとの誤解。

 退屈だけが人をニワカ哲学者にする。悪い気分じゃない。降りる駅までまだ距離も時間もある。誰に感謝すればいいか分からないが、ありがとう。まさか、もう例のおじさんみたいな人が同席したりしないよな。一難去ってまた一難という言葉もある。その窮地に立っ……座ったら、お姉さんの手をとって車両移動も辞さない。きっと民族大移動を敢行したゲルマン人のように大きな勇気がいるだろうけれど。

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