「三途の川って本当にあるんだ」と僕は驚いた。川幅は30mくらいで流れは穏やか。周りをぐるっと見渡しても僕が立っている雑草の生えた土手(対岸にも同じく)が見えない距離まで果てしなく続いているだけで他には何もない。恐ろしく殺風景。
いざ三途の川を目の当たりにして、どう行動すべきか分からない。もちろん戸惑いがあるが、しかしどこか落ち着きもある。形容しがたい心境だ。変化球を投じられたバッターのよう、という例えは伝わるだろうか? ……こう言うとまるで僕が野球の熟練者のようだが、実際は会社で草野球をやっているだけの素人だ。
これからどう行動するかに話を戻そう。しゃがんで川の水に手を浸す。中ほどの水深はここからはちょっと判断できないが、泳げば対岸に辿り着くことはできそうだ。でも、渡っていいのか? 冥土に繋がっている? 記憶が正しければ、姥と翁の鬼が近くにいて服を奪いにくるというよく分からない話もあったはずだが。いかんせん、僕に宗教分野の教養がなさすぎる。
まごまごしていたら唐突に後ろから誰かに肩を叩かれ僕は飛び上がりそうになった。そして、その主を見てさらに面食らった。この非現実的な世界にそぐわない、まるで税理士のような男だったからだ。スーツ、ネクタイ、革靴、ワックスで撫で付けられた七三分けの髪、35歳くらいか。他者に触れたことで、ふと自分はどうなのだろうかという客観視が生まれた。服は死装束、裸足、23歳の男を自認する。今更?
「シゴの世界へようこそ」と彼は言った。話し方まで税理士のようじゃないか。
「ということは僕は死んでしまったんですね」と僕は返した。
「死んでしまった? そんなバナナ」と彼は答えた。そんなバナナ?
「でも、『死後』って……」と僕は尋ねた。
「ルンルンです、私の想像通りのリアクションをしてくれて。『死んだあと』ではなく『死んだフレーズ』の『死語』ですよ。ちなみに今申した『ルンルン』も昔流行った言葉なんです。『花の子ルンルン』というアニメの影響が大きいそうです」と彼は笑った。僕はしばらく絶句してしまった。
「死後と死語、だいぶ下らないですね。この駄洒落、たぶん巷で100万回は擦られてますよ」と僕は呆れるのを隠せずに言った。
「態度Lですねえ。私に感謝してくださいね。あなたは本当に死ぬところだったんですから」と彼は驚くべきことを口走った。そしてこう続けた。
「繰り返しますが、あなたは本来、死ぬはずだったんです。しかし、ナウいヤングが死ぬのは忍びない。ツッパリとして悪さをしたわけではないし、素行はバッチグー。そういった人たちをなんとか救うのがマイブームでして、パソコン通信仲間と立ち上がって組織を作り、せっせと活動しているのです。上の目を盗んで対象者を死んだフレーズの世界に匿っているというわけで。詳しいことは省きますが」
「ということは、まだ僕は生きられるのですか?」
「その通り! 川とは逆方向へひたすら歩いてください。いずれ疲れ切って気を失います。意識を取り戻したら、あなたが慣れ親しんだ元のイケてる世界です」
「最後に1つ質問してもいいですか?」
「あたり前田のクラッカー」
「死んだあとの世界ではなく死んだフレーズの世界ならば、なぜ三途の川があるのでしょう?」
「これは三途の川ではありません。たまたま川があっただけです。でもそれはあながち偶然でもないみたいですね。臨死体験をした際に川を見るケースが日本人に多く、それはなぜかを解き明かした研究があります。週刊現代という雑誌に書いてあるのをたまたま見かけました。カール・ベッカー教授によると『本人が持っている文化的フィルターを通じて、その境界線をイメージしている』とのことで、この境界線とはこの世とあの世の間に引かれる線ですね。日本人にとって川が身近にあるから臨死体験でそれを見やすいというわけです。カール・ベッカー教授曰く『砂漠地帯のアラビアなどでは臨死体験者の多くが『燃える砂漠』があったと証言しています』とのことで、ほかにもポリネシア人が『荒れた海』を見るように裏付けとなる例はいくつもあるようです。これにはびっくらこいた」
「ありがとうございます。……本当に。無礼をお許しください」
「そういう時は『すんまそん』って言うんですよ。それでは、私はこれにてドロンします。ばいびー」
僕が意識を取り戻した時、目に入ったのは野球のユニフォームを着た同僚や上司だった。
「おお、気がついた! 待て待て、動くな。そのまま、そのまま」と誰かが言った。僕はそれに従う。そして、冷静に記憶を辿った。……そうだ会社でやってる草野球の練習だ。
「デッドボールが頭に直撃したんだな」と僕は同僚に確認した。
「いいや、違うよ。同じ直撃ならそっちの方がヘルメットがある分マシかもな。お前はバッティング練習のピッチャーで、バッターが弾き返した打球が頭に直撃したんだ。記憶が混濁しているのは相当ヤバいな。救急車をもう呼んであるから」
彼の発言とは裏腹に僕は少し安心していた。そうか、
救急車で病院に担ぎ込まれ、検査をしたり経過を診たりしてもらった。結論から言うと良好で、3か月経った今も一切問題はない。(明日、容体が急変するかも)という不安もあったが、これくらい日を重ねても平気ならもう大丈夫だろう。しかしそれ故、「ご心配をおかけしました」と同僚(僕の頭に打球を直撃させてしまった気の毒なバッターを含む)や上司、それから妻に言うタイミングも逃してしまった。「ご心配をおかけしました。お詫びが遅くなってすみません」。いや、「すんまそん」?
そんなわけないよなあ。いくらなんでもね。