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拝啓、親愛なるカップ焼きそば様

 超自然的に焼きそばが食べたい。時間もあるし麺、野菜、肉、それからソースなんかをスーパーで買ってきてフライパンでちょちょいと作ってもいいけれど、今はカップ焼きそばのあの良い意味でチープな味に恋焦がれる。拝啓、親愛なるカップ焼きそば様。しかし心配ご無用、この衝動はこれが初めてではなく雷みたいに時々轟くから、炊飯器の下の収納スペースには常にいくつかカップ焼きそばがストックしてある。それだけでなくカップラーメンやレトルトカレーなど簡単な調理(というか)で食べられるものが雑多に置いてあって〈蓄えがある〉というのはやはり心に余裕が生まれる。貯食行動をする齧歯類みたいだよね。まあそれはともかく今日はカップ焼きそばだ。 


 テレビでは討論番組が流れていて、どうすれば日本が遠く大西洋のアトランティス近海の漁業権を手中に収められるか、それから漁獲開始時期を国益にかなうかたちで制定できるかを論争している。このアトランティス近海でもしエビやイカが獲れるなら今後シーフード焼きそばを安く作れるようになるのかな、なんてことを考えていると番組ではちょうどこの論題が終わって次のそれの前振りが始まった。「文明とは何ぞや?」を考えるらしい。確かに言われてみれば難しい。文明は何によってどのように構成されている? まもなくCMに入った。良いタイミングだ。調理に取りかかろう。


 まずは外装フィルムを剥がす。すると蓋に作り方が書いてあるからそれに従えばいい。以前一度寝起きでぼーっとしており、麺を戻すためのお湯を入れる前にふりかけをかけてしまい麺を戻した後のお湯を捨てる際にふりかけまで一緒にシンクに流れてしまったことがある。この時、子どもの頃友だちと遊んでいたら夕方のいつもより早い時間にその子の母親が迎えに来て、その子から「今日から塾に行かなきゃなんだった、ごめんね」と告げられた時の寂しさを思い出した。だから先述の通り作るのは初めてではないけれど、しっかり作り方を読んで実行しよう。どれどれ。 


 日本国憲法で基本的人権が保障され国家が個人の領域を濫りに制限しないよう定められているのと同様に、お客様がこのカップ焼きそばをどのように作るかを弊社が制限する意向は一切ございません。ここには弊社が想定する作り方の一例を示します。 

 電子レンジによる調理はできません。カップが破損する危険性があるため食用油を加えないでください。


 易しい易しい易しい作り方

 この面を上にして(以降、完成まで逆さにしない)蓋をAからBまで剥がし(蓋の縁で指を切らないように注意)(剥がしすぎると後にお湯がこぼれることがあるため注意)、ソース(黒色の袋)、ふりかけ(緑色の袋)、マヨネーズ(黄色の袋)の3つの小袋を取り出す(これらは使うまで捨てない。小袋が麺の側面及び下部に入り込んでいる場合があるため取り忘れに注意)。

 600ml(国際単位系に従う)の熱湯(96℃以上、国際単位系に従う)を常温に戻らないよう可及的速やかに容器の内側の線まで注ぎ(火傷に注意)、蓋をする(上から物で押さえる必要はない)。

 3分(国際単位系に従う)後にCをゆっくり剥がし(縁で指を切らないように注意。Cは捨ててよい)湯切り口を出す。

 カップをしっかり持ちゆっくり傾け湯切り口から熱湯のみを可能な限りすべて捨てる(火傷に注意)。

 蓋をすべて剥がし(蓋の縁で指を切らないように注意)、先ほど取り出したソース、ふりかけ、マヨネーズをかけ(順不同)、よく混ぜたらできあがり(ソース(黒色の袋)、ふりかけ(緑色の袋)、マヨネーズ(黄色の袋)の3つの空き小袋は捨ててよい)。

  なお、製品にお気づきの点がございましたらお手数をおかけしますが外装フィルム、蓋、現品を保管のうえカスタマーセンターまでご連絡ください。


 さて、ソースとふりかけとマヨネーズをかけ終え、あとは混ぜて「いただきます」だけだ。美味しさと出会う期待に胸を躍らせつつカップ焼きそばをキッチンから食卓に運ぶ。しかし蓋を開けた瞬間、僕は大きく息をついてしまう。熱い麺を冷ますためではない。このカップ焼きそばを何で混ぜ、そして食べればいいか分からないのだ。箸で? ナイフで? フォークで? スプーンで? 外装フィルムや蓋の記載を見てもそれについてどこにも書かれていない。今からメーカーのカスタマーセンターに電話して訊かなければならない。その煩わしさに思い至ってのため息だ。

 うん? このカスタマーセンターに電話するのは初めてではないな。同じような内容を問い合わせたことが過去にある。どのような回答をもらったっけ。憶えていない。しかしあちらさんも言葉足らずで不親切だな。


 えー、文明の発達は〈不確かさ〉の排除の反復によって成り立っています。ええ。人類は文明と二人旅をしてきましたが、ここで袂を分かつまではせずとも、そう、互いを偲びつつ別の道を歩まなければならない段階にあると言えますね。たとえ目的地が同じだとしてもです。はい。


 テレビで訳知り顔の専門家が論じている。いや、気を取られている暇はないぞ。早く電話をしなくては。スマホはどこだ。スマホの取扱説明書は2階だな。ああ、こんなに好きな焼きそばがそうとも知らずに冷めてしまう……。

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