あなたのポケットには何が入っていますか? あなたが愛煙家ならマールボロとライターが、有袋類であるコアラなら赤ん坊が、大空なら急激に下降する航空機が、ドラえもんならのび太くんを助けるためのひみつ道具が入っているかもしれない。
「もう死んじゃったけど昔飼ってた犬が失明したんだ。机の脚とかドアにぶつかってたから様子がおかしいと思って動物病院に連れて行ったら獣医にその事実を告げられた。突発性後天性網膜変性症。僕は一生この病名を忘れない。もっといろんな景色を見せてあげればよかった。その後もあの子はボール遊びをしたがった。目が見えなくても楽しいのかな、楽しんでくれていればいいなと思っていたけど、獣医曰く犬はボール遊びで、むしろ主人が楽しそうにしていたことを憶えているんだってさ」
夕方になりこの街も少しだけ昼間の熱気を追い出したものの、まだ首筋が汗ばむ晩夏の暑さがある。僕らが座っているバス停のベンチは樹脂でできており掌が受け取る感触は割りにツルツルしているがどこか埃っぽい。彼女は口を開いた。
「私の母も子宮頸がんで早くに亡くなったんだけど、私が小学生の頃、母は『テニスの親子大会に出場したい』と言っていた。親と子でダブルスを組んでプレーをする。当然、対戦相手も親子。母は学生時代から大人になってもずっとテニスをやっていて、でも私は興味がなかったし、それから親子でプレーするというのもなんだか気恥ずかしくて実現はしなかった。もし母が早逝……の範疇なのかな、37歳で他界することが分かっていればこの親子テニス大会にエントリーしたのにね」
排気ガスの匂いがする。不届き者がポイ捨てしたであろう空き缶が隅に落ちているのが目に入った。ゴミ箱がちゃんとあるのにな。僕はそれを拾ってゴミ箱に放り入れた。
僕が9歳のある日、祖父にオルゴールを貰った。当時は曲名を気にしていなかったが後々分かった。チャイコフスキーの『くるみ割り人形』。街の電話ボックスに籠って聴いた。この中は世界と隔絶されているようでワクワクしたから。そのオルゴールはいつの日か紛失してしまった——紛失してしまった? 大事な物なのに? 子どもの頃は思い返しても不可解なことが多い。なぜか脈絡もなくこのことを思い出した。
「どうして映画や漫画では哀しいシーンで雨が降るんだろう?」と僕は彼女に尋ねた。彼女は少し考えてから答えた。
「やっぱり雨粒が涙みたいだからかな? あと、どちらも『暗い』のもあると思う。洞窟壁画が描かれる前から『暗い』という現象からは『光の量が少ない』と『明朗の逆』の2つの心象を感じ取ったのかもね」
「もしこの世界に雨が降ったことがなければ、反対に晴れも曇りも一切なく天気がいつもどこでも雨だったら『雨宿り』という言葉が辞書に並ぶこともなかったんだろうね」と僕は言った。
「うん、きっと」と彼女はこんなどうしようもない話にも愛想良く返事をしてくれた。
彼女は空を見上げた。「雨なんか降っていないにどうしてこの話題を?」と思ったかもしれない。でも夕立は降っているんだ。それは僕が掴んでポケットに仕舞ったけれど。
バスが向かってきた。これから到着して彼女だけが乗り込み、次のバス停を目指して発車すればそれは彼女との心地良かった同棲生活に幕が下りることを意味する。いや、この言葉に誤りがあることを自覚してしまう。心地良かったのは滑り出しだけで段々と僕らは窮屈さをより感じるようになったのだ。正しくは。
彼女は去ってしまった。カナカナカナと遠くでヒグラシの鳴く声が聞こえる。まだポケットの中で夕立が降っている。しかし、夕立さえ仕舞えたポケットにもこの哀しみは入りきれない。これは確かだ。
僕はバス停を後にした。