先代富朱王は家臣達の毎度の口論を聞く度に嫌な思いをしていた。
それというのも人の死に関わるものだったからだ。
「――では、武官ながら人を斬るのが嫌だと? 平和ボケにも程がある! そんなに三ノ者が良いものか?!」
一度怒った王にそれ以上は誰も言えない。
それは分かっている! と王はそうなれば即座にそこを離れ、思いを馳せた。
いつ頃からだっただろうか、一人の家臣の言葉を皮切りに続々と怖ろしい事を口走るようになって。
それは思ってはいけないことであり、必要な事だった。
「もしも、外道な方へ行っても、お前は付いて来てくれるか?」
「はい、王様」
と素直に聞き入れてくれる重臣は一人いる。
「確か、お前の二人目の息子は我が二人目の息子と同じぐらいの年齢だったな?」
「はい」
と、そう答えた男こそ、ハリョンの父であった。
「お前も子を持つ者、どう思っている?」
「はい――」
ハリョンの父は血気盛んな文官ではなかった。よく居る穏健派のずる賢い頭の切れる者だった。
それも賛同している。だから、王は長年悩んで来た事に決断を下した。
カゲの仕事はカゲが選んだ者にやらせると。
それは言葉で言えば簡単な事。だけれど実際の内容は三ノ者に代わり、殺さなければならない者を密かに殺すことだ。
罪のない者でも、事情があった者でもそうなればそれをしなければならない。それを決めるのは実行する者ではない。依頼した者だ。そう、悪いのは一番初めに言い出した者なのに、隠せない事実と向き合って怒りや悲しみから、自分の弱さと別れる為にその者をこの世から消すという選択を取る強行さ。
虚しい現実。
疲れて認めてしまう心。
そんな状態で行われる汚れ仕事を誰がやるのか。
その依頼を聞くのは三ノ者ではあるが、一つの国から争い無き四つの国にした誇りある三ノ者がそんな事を表立ってして良いはずがない! という逸脱した考えから富朱の者は悩み、争いを生んだ。
「
という一喝さえも効力がないと分かれば、王だって動く。
今までその汚れ仕事をしていたのは三ノ者が密かにお願いをした武官。殺しても賃金が出ないと不満を言い、良いぞ! 殺してやるよ! と殺しを楽しむような態度をとれば即座にその者にも罰が下る。
不平不満の蓄積の結果、必要のないと言われる者を選び、捨てられそうになっていた命を拾い、教育し使える者にするという当初の動きは数か月で崩れ、王の知れぬ所で変わり、何も知らない年端もいかない子供を捕らえ、教育し直しカゲにするというものになっていた。
それを聞いた時、王はやってしまったな……とは言ったが、責めはしなかった。
それをしたのは紛れもなく自分ではなかったから。
逃げる為の準備をし、それに関わらず生きていた王は何もしなかった。
正すことをせず、傍観した。
関わってしまったら最後、また一から考え直さなければならない。
それが嫌だった。
やっと嫌な思いをせずに生きられているというのに。
何故、また自分だけが悩まなければならないのか。
責任転嫁を許されず、王という立場だけで矢面に立たされる。
それが何とも歯痒く、いけ好かなかった。
何故、自分だけが……周りがそうさせるのか。
心が塞ぐ。
そんな時だった。全てを知った愛すべき二人目の息子を生んだ母が妊娠したのは。
二人目の息子が生まれてから一度もそういうのはない。
自分の行いのせいなのかと王は苦しんだ。それに値する事をしているのは分かっている。
だけど、それは裏切り行為だった。
きっと彼女はそういうのが許せないと抗議からしたのだろうが、それは身を滅ぼす行為。
ただの一夜の過ちも王という立場からは逃すことはできない。
まだお腹は出ていない。
生まれる前に殺すのが妥当ではあるが、お腹の子に罪はないと言える。
全ては自分が招いた過ち。
他の女に
彼女は喜んでそれを受け入れなかった。
むしろ、言いたそうなことを口から出そうともがいていた。
「それは言ってはならぬ。誰も幸せにならない」
と王は全てを受け入れてから決めた。
自分の子としてそのお腹の子を産ませ、そしてナギョンから母を奪った。
三人目の子は女の子。だけれど顔が似ていない。
王が父ではないのか? そんな事、言われなくても分かっていた。
たとえ、ナギョンに人生の中で一番悲しい出来事と言われるようになろうとも、王は王としての責務をやっとそこで果たすことにした。
痛感する。
まだ幼いナギョンを、ナクヒと名付けた赤ん坊を残して、不義の疑いで拷問を受け、死んで行くのが分かってもその父となった男の名を言わなかった理由。
全ては己が招いた不幸。
死の罪は全ての事を解決してくれなかった。この富朱を継ぐ者は
そうなったのも全て――。
そんな頃だった一人の文官の男がナギョンぐらいの男の子の手を引き、王のもとを訪れたのは。
「その子は?」
「息子です。以前、申し上げた」
「ああ、お前の二人目の息子か……。ナギョンの所へ」
「はい」
そうして幼いハリョンはナギョンの悲しみを埋める為、この日からナギョンの友となり、どこへ行くのも何をやるのも一緒となった。
それから時は流れ、ハリョンと十離れたハリョンの兄も文官となった頃。唐突にハリョンは父に言われた。
「一族初となる三ノ者になれ!」
それは寝耳に水で、それが父の文官長となる第一歩だった。
自分も優れた文官の道へ進むものと思っていたハリョンは更なる驚きに見舞われた。
「この富朱から離れ、青登で三ノ者となるのだ。そして、その三ノ者として立派に名乗れるようになった頃にまた富朱に戻って来い!」
それは無茶だった。
「何故です? 富朱でも、その三ノ者にはなれます! 何故、わざわざ青登に行かなければならないのです?!」
「次の王となられる方は富朱の三ノ者よりも青登の三ノ者の方が優れていると考えておられる。その王の今生の力となって、その王に尽くすことにより、この家を更なる繁栄に導いてくれ!」
頼まれた。初めて、いつも王にばかり尽くす父が自分を選んで来た。
「三ノ者をお嫌いではなかったのですか?」
「嫌いも何も……あの『カゲ』の呪いのような部分、それさえなければ、私だって四つの国に住む者だ。良い顔にもなる」
「それでは……」
「行ってくれるか?! お前の兄も喜ぶだろう!」
破顔一笑。こんな顔を見せられたら断れない。
いつも兄ばかりの、この人が。
こんな事、もうないかもしれない。
子は成長しても親を求めるものなのか。
心ならずも青登に行くことにしたハリョンはナギョンに別れを告げた。
「――では、いずれまた会う時にはお前は兄のものとなっていて、俺の友ではなくなっているのだな?」
「ああ……」
それは辛い別れなのかもしれない。親を求めたくともナギョンにはもう優しく包んでくれる人はいないのだろう。
だけれど、じっと何もせずに見ているだけよりは良いではないか。
きっと戻って来る時にはナギョンも王の弟として一目置かれているだろう。
それでしか、そうなったナギョンとは対等に話せない。
その考えに彼は気付いていない。
それで良いんだ。
そのくらい青登で三ノ者になるということは過酷だと今更ながら知った。
三ノ者になるまでに命落とす者がいるという。この富朱で文官になるよりも辛いかもしれない。何故なら、青登の三ノ者はカゲをも担うから。いくらハリョンの母の家系に武官が数人居れども易々と務まりはしないだろう。
「それでも、二人して大物になれば、すごい事になる!」
とハリョンはナギョンを励ました。
「それはそうかもしれないが……」
渋々といった感じでナギョンは納得した。
そして、四年の間にハリョンは青登で有名な宮廷外の三ノ者になった。
その身を赤から青に染め、この頑張りはいつか報われるのかという思いはもうなくなった頃、富朱の王が不治の病に伏した。
次の王はナギョンの異母兄だとハリョンは知っていた。
だから驚かなかった。
側室の子より正妻の子だというのは明らかだったし、何よりその側室は不義の罪で亡くなっている。
ハリョンは父に呼び寄せられ、富朱で唯一の宮廷内外の三ノ者になった。
そして、先代の王が二人の息子に何か言うのを聞いた。けれど、その内容は知らない。
もう死ぬ人の声をハリョンは聞かなかった。
やっと、ナギョンが自分になれる時を友としてではなく、三ノ者となって見守り、カゲというものを知ったナギョンの異母兄は嘆いた。
それは自分の父親が起こした罪。口減らしではない。
二人だけ助かったと聞いた時の顔は覚えている。
とても良かった……と言いたそうな心優しそうなそれは同時に自分が王になったら、絶対にそれを無くす! という強い決意の表れでもあった。
まだ生きているということが不幸なのか、王になることが分かっても救えるはずの命はまだ救えていない。
自分の手を汚すことを王となる人はまだ嫌っている。
なら、代わりにしましょうか? という話でもない。
待ちに待って、やっと先代の王から今の王となった時、王はもう一つ決めていたことを実行した。
自分の血にはあの先代の王の血が流れている。
恐ろしい事を平気で行える恐怖を克服できない部分。
だから子を残さないという――それはナギョンも然り。
けれどナギョンはそうではなかった。
恐れてはいない。正しいことをするだけだと日々を過ごす。
だから今の王は華妃をナギョンから奪った。
子を残されては自分が辛いから。
そうして何人もの女性を迎えた。
そして、あの救われた命が三ノ者になると分かった時、王は喜んで宮廷内外の三ノ者にすると言った。
それから文官長になったハリョンの父に顛末を記しておくようにと密命した。
これ以上の悲劇を生まない為に。忘れないようにする為に。
だが、富朱の者には知られてはならない事実。だから父も青登に近しい所でやっていたのだ。自分は悪くないと言い張る為に。
それなら――とハリョンの父はハリョンに言った。
あの事を書いておけと。隠せる場所ならあるだろう? 宝のようなチョム・チャンソンの本に――それがハリョンの燃やした部分だった。
そして、シファが宮廷内外の三ノ者になる前から宮廷では噂が始まっていた。
子が居なくなるのは何故かと。
それは答えの知らない者にとっての不安となり、答えを知っている者の恐怖となった。
噂は消えず、時は経ち、シファが富朱の宮廷内外の三ノ者になった頃には完全に誰もが知る事になっていた。
だが事実を知っているわけではない。
王の為に動く者もいなかった。
様子を探り、誰が犯人かと言い合い、嫌がらせをし合う。
王は止めさせたとばかり思っていたのにそうではなかったのかとさらに嘆き、ついにはハリョンを従え、宮廷を出て、自分でその事実を突き止めてしまった。
親が子を連れて行く。
それが意味する事はとても明瞭なのに、その原因は何なのか? と今も考えておられる。
あのナギョンでさえも、自分の妹のことを今も思ってくれる人がいないかと紫色の提灯を探しつつ、その事に触れ、分かってしまったというのに。
この王と来たら。
「人が――連れ去られているのか」
「はい」
王とハリョン様は出来ているという噂さえも味方にして、行動を共にする理由。
「お知りになりたかったのでしょう? これを」
「そうだ、この目で
王の顔は今にも泣き崩れそうで耐えていた。
その近くではシファがまた提灯の仕事と偽って、家々の提灯を調べ上げていた。
ハリョンは動じずに言う。
「事実です、きっと王がこの場に居なくとも、彼らはしていたでしょう。それが現実です」
王はもうその夜道を手を繋いで歩く普通の親子を見ていなかった。
「お前は、それを言うか?」
「はい、王が望むものは全てお伝え致します。民の生活、全ても」
こちらの気も知らないで――人は勝手に落ちて行く。
ハリョンは言い終えて、自分の部下となったシファを見る。
その資格があるか、彼女は分かっているだろうか。
何を止めるべきか、言わずとも分かってこその三ノ者だとハリョンはシファに視線を投げ掛けた。