ナギョンを先頭にシファは黙々と外を歩いていた。
王に次ぐ色の服を着る長髪の男は道行く人達を振り返させるのに十分で渋々付いて来るハリョンも気になる。
「あの」
「お前の家はどこだ?」
シファの言葉を遮って、ナギョンが訊いた。
「私の家は宮廷の外と言えば外なのですが、中とも言われている場所というか……」
「あれだろ? 都の中でも文官やら武官なんかがたくさん住んでる一角」
「ええ、そうです」
「違う。オレが言っているのはお前の実家だ。この辺ではないだろう? お前が言っていた村は」
「そうですね、私の生まれ育った村は青登近くではないです。でも、ちょっとはここら辺の都に近い感じで」
「それでも青登近くの方ではあるな」
とハリョンが言う。
「あ! でも……ナギョン様はちょっと……」
「何だ?」
「その服の色の他にないですよね?」
「ああ……失礼な奴だな」
ナギョンはやっと自分の着ている服の色について気付いたようで言う。
「いえ! あの、ちょっとやっぱり母がびっくりしてしまうと思いまして……」
「じゃあ、ハリョン、お前がオレの分まで聞くんだな」
「え?」
「だって、そうだろう。もうすぐ都を出る。ここまで来てしまったんだ。オレは帰らないさ、馬もない。面倒だ」
「着くのは夜頃になりますよ?」
「良い。問題はないだろう。王と違ってオレは誰にも期待されていないから。まあ、生きている意味はあると思うがな」
自分の存在価値を知っているからこその発言だった。
「あの、遊ぶのですか? 遊ぶ所なんてここにはないですけど」
とシファは全然分かっていないのか、そんなことを言ってしまう。
「大丈夫だ、他にもやることがあるからな」
「本当かな?」
シファが怪しんだ結果。
「その紫色の提灯……どこかで聞いた気が」
「うわー! ハリョン様!」
「何だ?」
シファはハリョンに小声で言う。
「それは内緒です!」
「何故?」
「だって、言っちゃったら、私の謎を解いてくれる人がいなくなっちゃうじゃないですか!」
ピッ! とハリョンはシファのおでこをデコピンした。
「いったい!」
「当たり前だろ! お前、情けない……」
上司としてハリョンは肩を落とした。
「言い換えましょう! 私の答えをきちんと正しく実証してくれないと困るのです」
「それが、ナギョン様?」
「はい!」
「そんなに上手く行くとは思えないけどな……。向こうだってこちらを使う気満々みたいだし」
「え?」
「とにかく、ナギョン様はここら辺に居られるということですね?」
「ああ、そうだ」
ハリョンが仕切り出してしまった。
これはもうお仕事の始まりだ――。
シファの生まれ育った家に着けば、辺りはまだ明るかった。
これは三ノ者としての意地で早く歩いた結果だろうか。
だけど。
「ひーひーしてるな、シファ」
「な、ハリョン様……そんな澄ました顔で、ナギョン様が一緒でなくなった途端、本気で歩くの止めてくれません?」
「ふん……お前の母親に早く会いたかったものでな」
「何で?」
「面白そうだからな、お前の母親は」
「えっ、面白そうって……全然ハリョン様には家族の話なんてそんなに……」
「聞いてるぞ、仲の良い者に母親の話をしては笑わしていると」
「そんな……私は真面目にあった事だけを話しているんです」
「それで、お前は母親から何の話を聞く気だ?」
「過去にあった事ですよ」
ハリョン様だって知ってるでしょ? とシファは詳しく言わない。
「カゲについて聞くと?」
「そうですよ。ハリョン様には耳が痛い事じゃないんですか? だから」
「このまま来るなって? 行くさ。だったら、尚更。俺には聞く権利がある」
「あの、ナギョン様がそう言ったからって」
「カゲという仲間を売らないか、見る為だ。安心しろ、ナギョン様は関係ない」
「ええー!」
結局、こうなるのかとシファは決意を新たに母に会う為、家の中に入った。
何やら家事をしている母の姿がすぐに目に入った。
「母さん?」
「ん? 誰だい?」
聞き慣れた母の少し強い口調にシファは答える。
「私よ」
「おや、まあ!」
振り返って来た母はシファを確認すると喜んだようにシファを強く抱擁した。
「苦しい……やめてよ」
「良いじゃないか。久しぶりなんだからっ」
と嬉しそうに言ったかと思うと黙ってしまった。
どうしたのだろう? とシファが母の顔を見れば、シファの後ろに居たハリョンを見ていた。
「そちらの方は?」
とハリョンの服の色から推測したのか、急に母が敬語になった。
「ああ……」
シファが紹介する前に、この母はできると感じたハリョンはにこっと笑った。
「あら! 美男で少し身分がお高くて、まさか!?」
偽りの色であるあの青登の時に着ていたハリョンの服を見て、母は言う。
「ええ、そうね。私の上司のハリョン様よ」
とシファは冷静に紹介した。
母と同じようにキャッキャッとなるつもりはない。
これは仕事だ。それだけの分別はある。
「じゃあ、結婚をする人ではないのね」
「何でそうなるの!」
と必死で言うシファとの笑える
「ハリョン様……」
言わんこっちゃないとハリョンはシファを見る。
「それはないですよ。彼女は俺の大事な一人しかいない部下ではありますが」
と上司としてハリョンは言った。
「そうですか」
残念……と母は落胆したように言う。
「他のご家族はいらっしゃらないのですか?」
というハリョンの質問に母は素直に答えた。
「ええ、皆、外に出てますよ。この子の妹であるソニョは三ノ者の養成所に、あの人は金を作る為に物を売りに行きました」
「では、お一人ですね?」
「ええ、この子を入れるとそうではありませんが」
と言う母にハリョンはうんうんと頷いた。
もうシファの出番だとハリョンはもう一度うんと頷いてシファに合図を送る。それを見たシファは口を開いた。
「母さん……辛いと思うんだけど、教えてほしいの」
「何だい?」
母のいつも通りの声にシファは勇気をもらった。
「私が小さかった時の事よ。ほら、覚えてる? 私が……というより、ソニョね。ソニョが連れ去られそうになって、私が大声を出して止めたやつ」
それを聞いた瞬間、母親の顔が一気に変わった。そして喋り出した。
「それは大変だった。皆で良かったね……となったものさ。役所に言っても動いてくれなくてね……。何だったんだろうね、あれは」
今でもあるの? とシファは訊きたかった。でも、それはできなかった。
ハリョンが目の前に居る。
「役所が動かなかったって」
「それが不思議でならなかったんだよ。前に起こった時もそうだったしね」
「前?」
「ああ、今ではこの村じゃないがね、よくこの辺ではあったのさ」
「え?」
「誰も知らない事件と言ってるよ、アタシ達の間じゃ……。あんたが買い物に行った帰りにあったんだ。水汲みに行かせたソニョが数時間経っても帰って来なくてさ。ほら、あの子の足でも数時間はかからないだろう? それでね、帰って来たあんたにソニョを探して来てくれって頼んだんだ。それでも見つからなかった。それにあんたも帰って来なくなった。だから、アタシもあの人と一緒に探しに行ったんだよ」
「あの人って、父さんね」
シファはハリョンに分かりやすいように言い直した。
「ああ、そうさ、それくらいしか頼るものがなかったからね。お前は覚えていないようだったけれど、ソニョは覚えていた。あの黒いのは何? といつもおっかないと言って寝てくれなかったよ。今ではぐっすり寝ているようだけどね」
「それは養成所の生活が厳しいからね」
と微笑し、シファは相槌を打つ。
「ああ、そうなのかい? ずっと養成所にお世話になっているからね、なかなかこの家にも帰って来なくてね……」
「その話はまた今度にして、続きを」
とシファは母を促す。
「そうかい? それでね、あんた達は何故か水汲み場ではなくて、その途中にある紅葉の名所のさらに奥にある隠れた銀杏広いの場に居たんだよ。ほら、有名な場所があるじゃないか、その辺に」
「あるわね」
とシファは母に同意する。
「そこで起こったんだ。ソニョはまだ七にもなっていなかった。あんたとはいくつ離れていたっけね……」
「五つね」
「そうだった……何でそんな所に居たんだいって訊けば、大好きな紅葉が見たかったとソニョは言う。そこに目を付けたらしいあんたは出会えたというわけだね。そして、そこに運悪くなのか居たんだ。あの全身黒尽くめの影色の男達が」
まるで見たように母は言う。
怒りも多少混じっている。
「何故、お前はそこに居たんだ?」
「え?」
それまで黙って聞いていたハリョンが口を出して来た。
「それは……」
やっと見つけたソニョを家に連れて戻れば、両親が心配して怒るのは当然だった。その怒りを収める為にも母の大好物である銀杏があれば、多少は機嫌が良くなるだろうという子供ながらの考えからだった。
「考えあっての行動です」
それしかシファは言わなかった。
ハリョンはそれ以上追及せず、黙った。
母はそれに少し関心を示したが、ハリョンの顔を見ると続きを話し出した。
「それでね、あんたが大声で叫んだらしいんだよ。助けてくださいー! って。ソニョの方はその前から口を塞がれていたらしいけれど」
「本当は違う」
え? と母はシファがぽつりと言った言葉を聞き逃したようで何を言ったんだとシファを見る。
けれど、シファは言わない。
あれは本当にひどかったのだ。
白い袋の中に入れられ、縄で手足を縛られ眠っているらしいソニョ。
それを取り囲んでいる全身黒い影色の服を着た同じような背格好の数人の者達。
何をしてるの! と問えば、ただ眠らせただけだと言った。そして、シファさえも連れ去ろうとした。
だから、シファは言ったのだ。
私の方が利口よ、助けてくださいー! と。
突然の出来事に影色の男達は慌てた。
それまで私だけを連れて行けば良いだの姉である私が妹を助けるのは当たり前だと言って従おうとしていた少女が手の平を返すような行動をしたのだから。
「それで――」
とハリョンは言った。
どの『それで』なのか、シファは考える。
「そこに居た大人がね、助けてくれたんですよ。数人居て良かった。あれは一人じゃ勇気が出なかったと言っていましたよ。本当、運だけは良いんだから、あんたは」
えー、それほどでもーとおちゃらけて言えるような雰囲気ではなかった。
「一目散に逃げたと言いますよ、その影色の奴らは。この子達を残してね。走って助けてくれた人達にお礼を言えたのが良い思い出です」
「そうですか、それは良かった」
とハリョンは優しい笑顔で言ったが、シファは全然笑顔になれない。
良い話を聞いたというのに。
「どうした?」
とハリョンは怪訝な顔になっているシファを見る。
「いえ……」
母はそう捉えたが、きっとハリョンはカゲのしくじりの原因を知ったのだ。
いや、知っているのではないか。もうすでに。
「ありがとう、母さん。もう行くわ」
「へ?」
「何を言っているんだい? 今、来たばかりじゃないか?」
「人を待たせているのよ」
本当よ、とシファは言った。
その顔がとても真面目なものだったからだろうか、母は食い下がった。
「じゃあね、母さん、また来るわね」
とシファはハリョンと共に家を後にした。
もう辺りは薄暗くなりそうな頃だった。
「――どうして? という顔だな」
とハリョンはナギョンとの待ち合わせ場所に向かいながらシファに言った。
「え?」
「オレがカゲの事を知っているように、また誰かも秘密を知っている」
「何ですか? それ」
「人気がない所だったら、良いかと思うのと同じだ。お前は言ったんだろう? こんな事、三ノ者が絶対許すわけがない! と。だから、三ノ者になったと聞いた」
誰から? なんてシファは言わなかった。
「養成所に行かれるんですか? ハリョン様は」
「ああ、良い逸材がないか見ている」
「それでは、私の妹もご存知ということですか?」
「そうなるな」
「……見張る為ですか? 私達を。連れ去られなかった私達が、善行をしようが悪行をしようが処分できるように!」
「それは違う!」
とハリョンはシファに強く言った。
「お前がそういう人間だというのは王だって知っている」
「それでは何故! 何故、人が居なくなるというのがなくならないのです!? 誰もが願うのは平和の世です。王が子を成して、この国を続けさせられるように! 民はそれを不安がっています!」
「だから、なのかもしれないな……」
とハリョンは歩みを緩めた。
「だから、なくならないのだ。平和を恋しく願うばかりに」
と、もう言う事がないのかハリョンも黙ってしまった。
救いなどもうないのかもしれない。
不義の理由はそこにあるのだろうか。
「王に言うしかないな、それは」
「ナギョン様、暗くなったからと出歩かないでもらえますか?」
「時間潰しだ。そのおかげで見つけたんだ」
「何を? 待ち合わせ場所を忘れたとかではなく?」
「ああ、紫色の提灯をな」
と言うナギョンにシファはとても良い顔をしなかった。
それは朗報ではなく信じたくない話だった。