昨日来た場所。早々に忘れるわけがない。
今日はちゃんと早朝から来れたのかと言われる前に来てやった。
「と、思ったのに、どうしてもう居るんですか! それに寝てるし!」
騒がしい声で起こされたというハリョンの顔がじーっと床を見ている。
「うわ! 汚い!」
いろんな書類で散らかっている。掃除をしろ……ということなのか。
「分かりました、やります」
「いや、待て、何も動かすな。それよりこれからは後宮の事もしなくてはならなくなった」
「それは私が居るからですか?」
「ああ、そうだ。そんな訳で早速、ご機嫌伺いに行って来てくれないか? お前も知ってるだろうが、あそこは王である男しか入れない男子禁制だ」
「そうですけど、あまりに唐突な」
「ちょうど良い仕事だと思うけどな。他の所と違い、この三ノ者は一つの国より別れた四つの国、それぞれに今でも残っている仕事の一つだ。小さき争いをもなくすことが目標なのに、その三ノ者が来ないとなっては話にならない」
「はい、分かりました……」
あまり良い返事ではなかった。
ハリョンは完全に自分の机から席を立ち、床に散らかった書類から一番新しそうな紙に書かれた物を一枚、シファに手渡した。
「これが今の後宮内の情報だ。行く前に読んでおけ」
「それは一人ではないから……名前を間違えることのないようにという配慮ですか?」
「そうだ、間違えれば大問題になる。そういう所だ、後宮は」
「……多い……こんなにたくさん側室もいらして、子が一人もいないなんて、今の富朱王は何を考えているのでしょうか」
「それは皆が思っていることだ。口に出すな。首がなくなるぞ」
怖い事を言う……と彼女はその紙を持って出て行った。さて、これからどうなるか、
*
この紙によると後宮での一番は
「はあ、もう嫌だ……こんな大勢抱えてどうする気なのぉ、今の王は……」
バサッと後ろに倒れ込みたい気持ちだ。だが、仕事中。それは叶わぬ……とシファはもう一度、その紙と向き合うことにした。
「私が入るとなると、っていうか、ここにハリョン様を入れてみると……うわぁ、とっても高い所にいる。ハリョン様って……」
もう一度覚える為にその紙を見て、自分とハリョンを入れて考えるシファには思う事があった。
「皆、綺麗な人なんだろうな……後宮の人って」
力関係的には富朱王、杜后、ハリョン、菊妃、茶妃、シファ、蘭妃、梅妃、華妃、丹妃、水妃、季妃、木妃だが、後宮的には富朱王、杜后、ハリョン、菊妃、茶妃、蘭妃、梅妃、華妃、丹妃、水妃、季妃、木妃、シファとなる。そんな最低となる自分が行って恥じない為に多少化粧を強めにして、後宮で着る用の淺鮭紅色の服に着替え、シファは覚えたばかりの名を繰り返し心の中で唱え、後宮に足を踏み入れた。
彼女達に仕える者が案内をしてくれて、まずは富朱王の正妻となる杜后に会うことができた。
杜后はやはり大変美しく、樞機紅色の服を着て、王より一歳年上のこともあってか、のんびりとくつろいでいた。簡単なシファの挨拶を聞くと今は何もない、下がれとだけ言い、次に会うことになった耐火磚紅色の服を着た菊妃、胭脂紅色の服を着た茶妃、紅寶石色の服を着た蘭妃、鮮紅色の服を着た梅妃、深粉紅色の服を着た華妃、櫻桃紅色の服を着た丹妃、腥紅色の服を着た水妃、灰紫紅色の服を着た季妃、蕃茄紅色の服を着た木妃までもが美しく、自分とあまり変わらない年齢で優雅に思い思いに過ごしており、杜后と同じ答えをして来た。
すごすごと後宮を後にし、ハリョンの待つ仕事場に戻って来たシファは自分の席に座るとただ一言、呟いた。
「疲れたぁ……」
「一気に行ったのか?」
「はい、だって、こっちは行ったのにあっちは行ってないって言われたくないじゃないですかぁ……」
呆れた……というような顔をハリョンはした。
「そんな感じだとずっとそうなるぞ。後宮でのお前の立場は一番下かもしれないが力の方では蘭妃様より上だろう。分けて行け、じゃないと他の仕事ができない。二人しかいないんだからな」
「それは分かっていますが……」
「じゃあ、今日はその書類を片付けたら終わりだな」
「え? もうそんな時間ですか!」
「ああ、お前はそんなのも気付かず、やっていたのか?」
さらに呆れた顔をされ、シファはムスッとした。
「ハリョン様は良いですよね、ずっとここに居るんだから」
「そんなことはない。王に呼ばれ、行ったり、他の者の争いに巻き込まれそうになったり」
「大変なんですね。ハリョン様って貴族の生まれだからですかね?」
「さあな、それより片付け頼んだぞ」
「はい!」
後宮に行く前より床に散らかっている書類が少ない。
「少し、片付けられました?」
「ああ、必要だったのでな、そこにあるのは適当に片付けといてくれ」
「はい……」
何とも歯切れ悪くシファは答えた。それなら全部片付ければ良いのに……と思ったからだった。
一枚一枚、拾ってはこっそりと見る。だが、良く分からない事が走り書きされていた。時々読めない字もある……こんなので大事なやつとか分かるのだろうか。
「ハリョン様」
「何だ? もう終わったのか、そしたら、帰れ」
「ハリョン様は帰らず、今日もここで寝泊まりですか?」
「いや、今日は帰る」
「そうですか……」
「何か言いたいことでもあるのか?」
「いや、ないですけど……あ、そうだ! ハリョン様は王に何の花をもらいました?」
「は? それをお前が知って何になる?」
「どういう人かと思いまして。王に最初にもらう花はそれになるまでに決められるじゃないですか。その花の意味を知るだけでもずっとこれから一緒に居なきゃいけない人にどう対応して行くか、それの対策にもなると思って」
「ほう、三ノ者らしい答えだな。俺は
そう言ってシファと同じような感じの
「葛の花ですか、私は桃玉五桃です!」
「知っている。見ていた」
「え、新任賦与式をですか?」
「そうだ。部下になる者の顔は見とかないとな」
「じゃあ、私と昨日会った時、初めて見た風にしたのはどうして!」
「それはお前がとてもビクビクしていたからだ。最初から怒っていては変に警戒され、面倒だろ? そういう面倒は嫌なんだ、俺は。分かったら、さっさと帰れ」
「えー、仕事ができない新人だと思われてます? 私、結構できるんですよ!」
「そういう自信過剰な奴も嫌いだ」
「えー! じゃあ、どうしたら好いてくれるんですか!」
「はっきり言うな、お前は……」
何か苦笑させることがあっただろうか、シファは真面目にハリョンを見た。
「面白い奴が入って来たと思って、明日から
「そうですが……、本当に明日から手伝わせてもらえます? 仕事」
「ああ、心配せずともたくさんある。雑用から大きなものまでな」
ごくり……と息を呑んでしまった。
「何、大した事はないよ。宮廷内外の三ノ者になれたんだ。胸を張って明日も来い、待っているから」
「はい! いえ、明日こそ、ハリョン様より早く来て、私が必要だって思わせてみせますよ!」
「ほう……、それこそ見物だな。俺の嫁にしたいくらいだ」
「え? 今何て……」
「ああ、まあ、無理だな。俺には許嫁がいる。小さい時から言われて来た」
「でも、そういうのって絶対結ばれないと思いますけど……失礼しました! 貴族は貴族でも私は底辺……」
「いや、良い、そうだと思う。きっと許嫁だと言われて来た彼女も王の女になるだろう。そういう話もあって、よく王の所に行っている。どういう者なのか? とな……」
「え、聞いちゃいけない話でしたね……これ」
「いや、良い。お前にはそういう事まで知っておいてほしいからな。何がどう作用するか分からん。そうだろ? 三ノ者としては」
う、二の句が継げない。
情報は多い方が良い。その方がいろんな所に繋いで行けて三ノ者としての活動もしやすくなる。そういう意味ではこういう話だって必要だ。
「ハリョン様も人が悪いですね。いつまでこういうのを続けるつもりですか?」
「お前がボロを出さず、使えるまでだ」
「それって……明日とかの話じゃないですよね?」
「そうだな、お前が使えるようになるには早くとも数年は必要なんじゃないか?」
「そんなにはいりません! 私は絶対そんな風にはなりません。見ててください! あっという間に使える奴になりますから!」
そんな大見得を切って、彼女は帰って行った。
「バカだな、あいつも」
そう言って、ハリョンは赤紫色した葛の花が描かれた葛花三玉をそっと服の方にやり、元に戻し