午後、俺たちは刃さんに言われた場所へ来ていた。
「これまた…随分と質素な建物だな」
「…そんなこと、菫さんの前で言わないでね。傷付くと思うし」
「まぁ実際問題、改装工事の話は通しておくべきだな」
推理にジト目を向けられながらも俺たちは建物内に入った。
「待ってたよ、推理と瑛都。それと…推理の助手、だったな?」
中に居たのは刃さんと同じくらいの年齢の男性が座っていた。
「この人が菫さん。そして、こっちは私の助手の弘乙。菫さんも元気そうだね」
「あぁ。最近になってまたガタも来たがまだまだ現役だ」
「刃さんにも見習って欲しいもんだな」
珈琲を淹れながらそう応える菫さんはまた何処か刃さんと違う風格を感じた。
「さて、刃は何処まで話したんだ?っても大体の予想は付くけどな」
「全部、菫さんに丸投げだってよ。暇だって言ってたし適任だろうって」
「彼奴らしいな。まぁ、私も説明しやすいし…其処は構わないのだがな」
「マジで迷惑だったら言ってくださいね。ぶっ飛ばすんで」
瑛都の言葉に苦笑すると菫さんは珈琲を口にし…息を吐いた。
「KLEAという人物は狡猾で計画的だ。そして…人を騙すことに長けている」
本当に、本当に厄介な存在だ。そう菫さんが言うと推理と瑛都は少し唸った。
「既に罠は仕掛けてあるが正直、頼りきりになるのは止めるべきだと言っておこう」
君たちは何か対抗策があるだろうか?そう疑問を呈した時だった。
「結局は相手も狡猾なんだし此方が動きを見せなきゃ流石に厳しいと思う」
「じゃあ…どうするんだよ?見せるって言ってもそうする手段はあるのか?」
「簡単だよ、私が囮になる。あっちも男より女の方が警戒はしないでしょ?」
「…」
「囮って顔は…割れてないのか?」
「私はそう安々と裏社会に素顔を晒すような馬鹿じゃないよ?」
心配したもののそう推理に嘲笑される。
「そうだとしても…危険過ぎるだろ。囮になるなんて」
「まぁ、それは危険だけど。私たちはそれ以上にこの事件を解決する義務を背負ってる」
「でも…お前は…」
そう口答えしようとする俺の意見に挟むようにして菫さんが声を上げた。
「少年、心配する気持ちは分かる。勿論、俺も協力はするから心配するな」
それでも、と宮乃先輩に視線を移したものの先輩はゆるゆると首を振った。
「…俺は何も言わない。お前自身の意見は自分で決めるんだ」
俺は…どうするべきなのだろうか?俺は…どう、すれば_。
「じゃあ、そういう方針で行くよ。事務所には私が連絡しとく」
ーあの時。止めることが出来たのなら…危険に晒すな。とそう言えば良かった。
ー何度、振り返っても_。何度、記憶を蘇らせても_後悔をする。
その後、菫さんのところを離れた俺と推理は先輩を送ってから家へと帰ってきた。
推理と家に戻って来た俺は自室へ入り溜息を吐く。
「流石に…キツイな」
菫さんと別れてから急に倦怠感に襲われたのだ。お陰で思考も半ば停止した状態である。
ベッドに倒れ込み目を閉じると身体の故障が少しづつ感じ取れるようになってきた。
先程よりはマシだがそれでも怠く偏頭痛もしている気がする。
「(熱は、ないな…)」
念の為に体温計で測っても平熱。異常なしだ…其処だけで判断するならば。
頑張って身体を起こし蛇口を捻った後、水を口に含ませる…身体の変化はなしだ。
「怠いし…ちょっと寝よう」
念の為に推理に寝ることを連絡すると改めてベッドに倒れ込んだ。
「(早く治れば良いんだが…)」
再び目を開けると少し身体が楽になっていた。
「お、起きたようだね」
声の方に視線をやるとエプロン姿の推理が立っていた。
「…何で居るんだよ、お前。後、そのエプロン俺のだよな?」
「看病してあげた恩人にその言葉は酷だと思うんだけどなぁ…」
そう苦笑しながらも俺の頭に手をやると彼女は安心したような笑みを浮かべた。
「うん、ちょっとだけ熱は下がったね」
「…熱、出てたんだな」
「其処に体温計あったし測ったと思ったんだけど測ってなかったの?」
「測ったは測った。でも、体温をちゃんと確認出来てなかった」
そう指し示した体温計は8度を指していた…どうやら頭は既に死んでいたらしい。
「本当に大丈夫なの?」
「俺は別にお前に心配されるほど貧弱な身体じゃないんだけどな」
「君は感じてないだけで無理してたんだよ_私にずっと付き合ってたばかりにさ」
そんなことはない。そう思っても声が出ず逆に咳き込んでしまった。
「…何時頃、来たんだ?」
「君に連絡を貰った後に作業をしてたんだけどね。気になって来てみたんだ」
「…それで不法侵入と」
「だから恩人に対する態度じゃないと思うんだけどなぁ。…御飯は食べれる?」
「食べれる…けど…。何だ、食べさせてくれるのか?」
そう貧弱な笑みを浮かべると推理は真面目そうに語った。
「君がどうしてもって言うのなら…世話好きな探偵がしてあげるけど?」
「…なら、遠慮しておく。俺は世話の焼けない助手だからな」
して欲しい欲求を我慢して俺は断った…推理にもう頭が上がらなくなるしな。
その後、推理はタオルや飲料水を新しい物に替えると自身の部屋に戻って行った。
俺の睡眠の邪魔をすることを危惧したらしい。…本当に調子を狂わせる奴だ。
俺が再び目を覚ましたのは深夜0時を過ぎた辺りだった。
「(キツくはあったものの…流石に寝過ぎたな)」
推理と喋った時にはまだ日も出ていたことを踏まえると大分寝てしまった。
それほどまでに身体は疲労を抱えていたか…それとも本当に寝過ごしたか。
まぁ、其処の真相というか詳細はどうでも良かった。結局は寝ていたのだから。
「少しは倦怠感も治ったようだな」
偏頭痛こそ残っているものの身体も先程に比べると楽になっていた。
「(そういえば家に帰って何も食べてないんだったな)」
帰って早々にベッドに倒れ込んだので当たり前と言えば当たり前なのだが…。
身体を起こし台所の方へ寄るとお粥が置かれていた。
「起きたら冷えてても食べること。そして、作った私に感謝をすること」
ラップで包まれたお粥…この文章を見る限り、推理が作ってくれたのだろう。
レンジの中に放り込みその待ち時間に熱を測る_熱は大分下がっていた。
「(推理自身も言ってたが本当に世話好きだよな、彼奴…)」
改めて心の中でながらも看病してくれた推理には感謝する。
…お粥の味はこの上なく美味しくて温かみを感じた。
「随分と呑気だね。君は」
今は朝の7時を回った頃、推理が当たり前のように窓から入ってきた。
「そうやって不法侵入する癖をそろそろ治すべきだと思うんだ」
「君は私の支える立場にあるはずだ。なら、君の家に入る権利もあるはずだ」
「あくまでそれは筋書きであって血縁関係でも何でもないんだけどな」
そういうと部屋着を脱ぐと俺の服を着た。
「隣が自分の部屋なんだから素直に部屋着を着とけよ」
「こうした方が君の趣味に合うと思ってね。好きでしょ?彼シャツ」
「俺の趣味を偏見で決めるな。そして、俺の趣味を勝手に語るな」
別に俺は彼シャツなど興味ない。…そもそも、恋愛だって出来ないんだし。
「君も素直じゃないねぇ〜。男子はこういうのが基本的に好きなんだよ」
「何処のラノベで得た知識なんだよ。此処は現実なんだから通用する訳ないだろ」
俺が飲み物を取る間に推理は当たり前のように寛いでいた。
「そうやって固く生きてると人生損するんだよ?…んっ、美味しい」
はむっとピザを食べながら推理は新聞を読んでいた。
「病人(仮)の部屋でよくピザを喰えるよな…。それに朝なのに_太るぞ」
「デリカシーの欠片もない発言をよく簡単に言えるね。ビックリしちゃったよ」
呆れた推理が2枚目へ手を伸ばした時、玄関のチャイムの音が鳴った。
「…こんな朝早くに誰だ?もうちょっと空気を読んで欲しいんだが」
「本当にそうだよね。私もまだピザを食べたいのに」
と謎の推理の援護を貰いながら(お前も同類なんだが)ドアを開ける。
「おはよう。そして、体調は大丈夫なのか?」
玄関のドアを開けると宮乃先輩が立っていた。
「あ、宮乃先輩だった」
「てっきり死んでると思ってたが_。その様子を見る限りは…大丈夫そうだな」
ほら、色々と買ってきたぞ。とスーパーで買ったらしい袋を貰い中へ招き入れた。
「なんだ推理も来てたのか。昨日の看病をした後に帰ったんじゃなかったのか?」
「帰ったよ?でも、助手の面倒を見るのは探偵の役目でしょ」
そう呆れたような表情で宮乃と喋る様子に苦笑しながら袋の中身を片付ける。
「それにしても、自分で気付かずにそんな状態になるなんて…何やってるんだ?」
「…余り心当たりはないんですけどね。気付かない間にってことだと思います」
「やっぱり、弘乙も体力作りをするべきだな。今は病み上がりだし来週に始めよう」
そうして俺と宮乃先輩での特訓を始めることとなった。…キツくないですよね。
「別に特訓させるのは良いけど…無理させ過ぎて死なせないでよ?」
「推理からそんなに心配されるなんて弘乙も好かれたもんだな」
「好きってよりは探偵と助手の関係だしね。其処は不安になるものだよ」
と反論されたのは…少し…心に傷を負った。
ー数日後、事務所にて。
「そんなに気になるのなら正直に話すべきだと僕は思いますけどね?」
「それ、俺に彼奴の相談をするのは無駄だと分かってての発言だろ?」
「…元上司なんですし多少は説得出来るんじゃないかと期待してるんですけどね」
「期待外れになると何度も言ってる。それに…俺にとっちゃ彼奴は要らないんだ」
「…言葉の綾を間違えるのは止めるべきだと思いますよ」
そんな言葉じゃ勘違いする人も居るでしょうし…そう助言したものの…。
「要らないのは語弊なく事実だ。それとも…理由を話した方が良いのか?」
「それは…」
口籠る俺を無視して刃さんは煙草の火を消した。そうしてゆっくりと息を吐く。
「2人の面倒を見るのは俺じゃなくてお前だろう。何度も言ってるはずだ」
「そうだとしても…それぞれに残された時間は有限なんですよ?」
そう言えたら良かったのかもしれない。でも…俺の弱さ故に_言えなかった。
「…俺は作業に戻る。お前も今日は用事があるんだろう?」
「そうですね。午後から弘乙と少し練習をしようかなと思ってます」
「…弘乙?あぁ、彼奴推理の助手だって奴。それを聞くに仲良くやれてるんだな」
「それはそうですよ。何しろ、大事な後輩の1人なので」
「後輩…ってことは1歳下だったな。彼奴のことはどう思ってるんだ?」
「評価、って意味なら冷静な奴で推理とはちゃんと関係性を築けてると思います」
「ってことは信頼してるってことだ。てなのにお前らは話さないらしいな」
「信頼してても話さない真実だってあると俺は思ってるので」
「…それだけ、お前は彼奴を
「それはそうですよ。必要以外の犠牲はあってはならないと僕は思いますけどね」
「…随分と愛着を沸かせてるようだな」
冷蔵庫から取り出したビールを注ぎながらそう刃さんは答えた。
午前中なのにも関わらず…朝から優勝するなんて。…
「何しろ、此処の事務所は推理と刃さんのみだったんで」
人が少なくて悪かったな。刃さんはそうボヤくと奥の方へ行こうとした。
「昼はどうするつもりなんですか?」
「…適当にする予定だ。それとも何だ?居ないのはお前らだけ推理は来るのか」
「別に来ませんよ。まぁ料理を食べたいなら今日は予定ないですし呼びますけど」
…別にそうでもないし気分じゃない。そう残した言葉からは覇気がないように感じた。
「…いつもの置いとくので…ちゃんと飲んで下さいね」
俺はそう言い残すと事務所を出た。
「…俺はどうするべきなんだろうなぁ」
刃さんの言うことは理解出来るしその意思を尊重する為に俺は事務所で働いている。
だが、今はどうだ?その刃さんの意見にも賛成出来ない状況になっているのだ。
「(歪んだな、俺も。…違う、俺は刃さんの…を認めたくないんだな)」
でも、誰だって大事な人の…を認められなくなるのは普通のことだろう。
「…俺は…どうするべきなのが正解なんでしょうね?影、師匠」
今は亡き、師匠の名を俺はそう呼んだ。…縋る声が届くことはなかった。