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銀色の花が狂い咲く
中靍水雲
恋愛スクールラブ
2024年10月25日
公開日
30,028文字
連載中
みずみずしい思春期の憂鬱に、銀色の花たちは、玻璃の感性によって狂い咲く

春街睡蓮に、一通の手紙が届く。

「ジャスミンの紅茶の香水です」

とても不審な手紙。
睡蓮はすぐに、それを捨ててしまったが――。

高校の入学式、夜桜をいう同級生に、声をかけられる。
「手紙、届きましたか?」

どうして彼女は、自分の住所を知っている?
そのあとも、ずっと後をつけられ、我慢の限界にきた睡蓮。
「何をしてあげたら、あなたはわたしに付きまとうことを諦めるの?」
「じゃあ、あたしと付き合って。あなたを愛しているの」

不安定で未熟な精神が、銀色に爆発するとき、曖昧な感情によって色づいたつぼみが花開く。

憂鬱な思春期をみずみずしくいろどる、ホラー・ガールズ・ラブ!

episode1 離れゆく愛を救ってください

 春街はるまち睡蓮すいれんは、自分の名前がきらいだった。

 春は、頭の沸いた人間を生み出す気温の毎日。土の中から、おぞましい昆虫や爬虫類もわかせてしまう。花粉が飛ぶから空気も悪くなるし、日差しも眩しくなるから、よりいっそうスキンケアが念入りになる。それからいちばん最悪なのは、可愛らしい厚手のコートも、お気に入りの革の手袋も、しまわなければいけなくなること。

 春は、下品なものしか呼んでこない。

 だから、空気の澄んだ冬のほうが、好きだった。

 睡蓮は「ふう」と息を吐いたあと、せっせと衣替えの続きをはじめた。

 はじめてから、もう二時間。まったく気が進まず、真っ赤なカーペットの床に座りこみ、何時間も服と戯れているだけになっている。

 春は、気に入る服がなかなか見つからない。

 クロゼットの中では、冬服に比べて、春服の量が極端に少ない。夏服はもっと少なかった。

「おしゃれをすることだけが、わたしの楽しみなのに。また、春になって、夏になっちゃうのか……」

 クロゼットから、膝下丈の上品なワンピースを一枚、パッと広げてみる。一番のお気に入りの冬服。衣替えをしたら、しばらくお別れになってしまう。

 今年の春こそ、気に入るシーズン服を見つけたい。じゃないと、また憂鬱な春になってしまう。

 春も夏も、好きになりたい。

 すてきな服こそ見つかれば、自分はどんな憂鬱からも、逃れられるのだから。

 部屋のドアが、軽やかにノックされた。兄・杠葉ゆずりはのノックの仕方だ。返事をしなくても、勝手に入ってくるとわかっている。案の定、数秒もせず、ガチャとドアが開いた。

「スイ。まだ、やってるのか」

「……二時間じゃ、おわらない。知ってるでしょ」

「何枚も服を持っているせいだろう。これじゃあ、時間がかかって仕方がないのは、目に見えてる」

「愛着がなくなったのは、譲ったりしてる。それでも、手放せないものはむり」

「まったく」

 杠葉はそういうと、持って来ていた手紙を丸テーブルの上に置いた。睡蓮は首を傾げて、カーペットから立ちあがった。

「なに、これ」

「見ればわかるだろう、手紙だよ。スイに」

 差出人を確認し、さらに首を傾げた。知らない名前だったのだ。丁寧でいて、大きなしっかりとした字だ。女性の筆跡に見える。

椎名しいな夜桜よざくら。いったい誰なのかしら」

「手紙を読めば、おのずと解るものだ。さて、ぼくはこれから、友人と出掛けてくるが、お前もたまには、誰かとどこかへ遊びに行ったらどうだ?」

「よけいなお世話」

「出掛けるなら、鍵はしっかり締めていってくれよ」

「出掛けない。衣替えがあるんだから」

「ほう。帰ってきたら、手伝ってやろうか? 兄の助けは?」

「いらない」

「ざんねんだなあ。それじゃあ、行ってくるよ」

 杠葉が出て行ったドアに向かって、鼻を鳴らし、続きを再開しようとする。しかし、手紙に中断されたせいか、すっかりやる気がなくなってしまっていることに気づいた。ソファに雪崩れこみ、ぐいっとからだを猫のようにのばず。

 しばらくソファでごろごろしたあと、思い立ったように立ち上がる。机の引き出しから、先月、骨董市で購入したばかりの蝶の装飾がほどこされた銀色のハサミを取り出す。手紙のはじに沿って、スーッと刃先をいれた。手紙を開封する。なかの便箋を取り出すと、ふわりと、よい香りが鼻をくすぐった。紅茶に似た香りだった。

『春街睡蓮 さま

 ジャスミンの紅茶のフレグランスです。

 先月の骨董市で購入しました。

 お気に召しましたら、あなたさまに差しあげたいです。

 椎名夜桜』

 読み終わったとたん、自然と眉根に、ぎゅ、としわが寄った。今度は、机の引き出しからシュレッダーバサミを取り出し、ゴミ箱の上でザクザクと切っていく。

 もちろん、個人情報の流出を防ぐためである。そう、自分にいいわけをした。

 ゴミ箱のなかで、雪のように何層にも積み重なった残骸を確認したあと、睡蓮は何事もなかったかのように、衣替えの続きをはじめた。


 ■


 十六夜いざよい高等学校の入学式は、雪解けの山の芽吹きのように、おだやかに終わった。

 帰り支度をまとめ、ひとり教室を出た睡蓮は、桜吹雪が舞うなかを校門に向かって歩きだす。

 トントンと肩を叩かれた。友人も、顔見知りも、この学校にはいないはずだ。クラスでの自己紹介タイムは、通常授業がはじまる明日の予定だと聞いた。だれも自分のことを知らないはず。では、先生だろうかと思いながら、振り向こうとしたとき。

「春街睡蓮さん」

 思春期の女子とは、あまり関わりたくないと思っていた。面倒な思想の押しつけあいは、くだらないと思っていたから。自分の思想は、自分だけがわかっていればいい。睡蓮は、そう思っていた。

 いっしょにトイレに行くことも、他人の悪口を共有して仲間になった気でいるのも、男子と恋愛をするのも、帰りにカラオケに行ってお互いを褒めあうのも、全部全部どうだっていい。

 自分の憂鬱で手いっぱいなのに、他人と関わりを持って、他人の感情に左右される青春だけは、ごめんだったのだ。

「お手紙、読んでくれましたか?」

 人懐っこそうな、天然パーマの黒髪ロングヘアをゆらし、少し恥ずかしそうに胸の前で手を組んでいる女子のことを、睡蓮は当然まったく知らなかった。

 返事をしない睡蓮に、天然パーマの女子は焦れったそうに、へらっと笑った。

「お手紙、届いたでしょう? あたしです。夜桜です」

 夜桜。椎名夜桜。

 その名前を聞いて、睡蓮はやっと手紙のことを思い出した。

 手紙をシュレッダーにかけたあと、約五時間かけて、ようやく衣替えを終わらせたので、手紙のことなどすっかり忘れてしまっていた。

 しかし、気になることがあった。

 なぜ、自分は彼女のことを知らないのに、彼女はなぜ自分の顔も名前も知っているのだろう。

 さらに今どき、手紙だなんてレトロな方法であんなことをしてくるなんて。

 関わったら、面倒な人間かもしれない。

 睡蓮は、落ち葉を巻きあげる木枯らしのような笑みを浮かべた。

「お手紙、ありがとう。お返事、書けなくて、ごめんなさい。あなたのこと、まったく知らないから、書けなかったの」

 すると、夜桜は目をきらっと輝かせた。

「いいの!」

「……そう?」

「うん。だって、こうしてお話できたんだもの。ねえ、このあと、カラオケにいかない? 春街さんと、いっしょに遊びたいの」

「……ごめんなさい。わたし、このあと兄と予定があるの」

 もちろん嘘だったが、いいわけには十分な理由だろう。

 会釈をして、さっさと校門へと歩いていく睡蓮。そのあとを、夜桜はしっかりと着いていく。

 通学路には、下校途中の学生たちが、まばらに歩いていた。

 今日から、学校から駅までの距離を、二十分ほどかけて通学する。

 自転車は学校に申請しなければ、使わせてもらえない。両親は仕事で海外を飛び回っているので、学校関係のことはほとんど、社会人の兄が代わりにやってくれていた。自転車申請のことも、もちろん杠葉に頼んでみた。しかし、なぜか首を横に降られ、大きな防犯ブザーを渡された。

「自転車になんか乗って、お前が怪我したらどうする!」

 とても過保護な理由に、睡蓮は呆れたのち、卒業するまでは我慢するしかないか、と諦めた。さらに、スマホにGPSアプリまで入れられるしまつ。

「……親族だから許すけど、わたしもう高校生なのに」

「家族に年齢など関係ない」

「……そういうもの?」

「そうだ」

 杠葉の表情は、とてもかたいものだった。

 中学までは、家から学校まで、毎日車で送迎をしてくれていた。高校に入るときも、杠葉は「毎日、送迎をしてやるからな」といっていたが、配布された『学校の決まり』に「送迎は緊急事態以外、原則禁止」と書かれていたため、やむなく諦めたらしかった。

 いいかげん、妹ばなれしてほしいところだ、と睡蓮は空をあおいだ。

 駅まで、あと五分ほどのところまで来て、睡蓮はいいかげんに足を止めた。

 学校を出てから、ずっと後をつけられていた。いつ、話しかけてくるのかと思っていたが、ここまでただついてくるだけなので、正直気分がわるかった。

 睡蓮が足を止めたので、相手も足を止めた。振り返ると、やはりそこには、椎名夜桜がいた。

「着いてこられると、困るんだけど」

「用がある方向がいっしょなだけ」

「あなたも、駅を使うの?」

「用があるのは、春街さん」

「……一度断っている要件を、執着するのはよくない」

 やはり、椎名夜桜は、関わると面倒な人間だ。睡蓮は急いで夜桜を背にし、駅の方へと歩き出した。

 夜桜は音もなく、そそそと着いてくる。

 どうしたものか、と睡蓮は息をついた。だが、彼女には家の住所がバレている。もしかしたら、こんな態度ではすでに手遅れなのかもしれない。

 もっとはっきり突き放すべきなのか。でも、下手に彼女を刺激して、これかの学園生活を面倒なことにしたくない。学校を居心地の悪い居場所にするには、あまりにも時期が早すぎるんじゃないか。

 なぜ、こんなことになったんだろう。憂鬱なのは、春のせいだけでよかったのに。

 そうはいっても、思春期の女子なんて熱しやすく、冷めやすいものだ。しっかりと話を聞いてあげれば、さっさということを聞いてくれるかもしれない。

 気だるげに夜桜に向き直った睡蓮は、髪をさらりと耳にかきあげた。

「遊ぶのは、むり。でも、話を聞くだけならしてあげてもいい」

「え?」

「どうしてあげたら、あなたの気はすむの? 何をしてあげたら、おとなしく、わたしの前から退散してくれるの?」

「うれしい! じゃあ、あたしと付き合って」

 欝々としていた気分がいっそう強まる。

 胸のうちで、ずくんずくんとわだかまっていく重たいものを、今すぐすべて吐き出してしまいたい、と衝動に駆られた。

「あたし、あなたを愛しているの」

 くちびるが、ぴくぴくと引きつる。無意識に、長い睫毛を伏せ、これ以上、夜桜を視界に入れないように努めた。

 さっき会ったばかりで、こんなことをいわれる経験は、これまでの人生で一度もないわけではなかった。整った容姿に生まれたせいで、道を歩けば、男女を問わず不躾な視線を向けられるのはもはや日常だった。兄との待ち合わせ場所に立っているだけで、声をかけられたことも何度もある。「一目ぼれしちゃったかも」なんて、軽いノリで、ナンパをされたこともある。

 人間の感情なんて、そういうものなのだ。相手の気持ちなんて考えず、自分の感情を優先し、結果、相手を傷つけていることに気づかない。

 つまり、くだらない感情に支配された人間は、相手をするに値しない。

 風が吹いた。睡蓮と、夜桜の黒髪をふわりと、舞いあげた。

 睡蓮の制服のセーラーが、ぱさりとはためく。雪原のような透き通る肌を、温かな風が凪いでいく。緩やかに描いた柔らかな髪が、スローモーションにゆらぐ。制服のスカートからスラリとのびた、成長期の細い足。

 夜桜が、うっとりと息を漏らした。

「本当に、物語のなかの世界の住人みたい」

「……なに?」

「心臓が、はち切れそう。太鼓みたいに、どくんどくんって、もううるさいの。春街さんが、まるで夢のなかにいる天使みたいで目が離せないの」

 風のせいで、少し乱れた髪を手櫛で整えながら、睡蓮は決心した。もう、はっきりといってやることが、夜桜のためなんだと思った。

 睡蓮と夜桜の身長はほぼ同じなはずなのに、睡蓮に対する夜桜の視線はまるで遠くにいるものを見あげ、ひざまずき、崇拝するようなものだったのだ。

「椎名さん」

「夜桜、と呼んで。あるいは、サクって。ねっ、どうか気軽に呼び捨てにして」

 興奮気味の夜桜に反して、睡蓮の心は、どんどんと冷めていく。どうして、こんなにも彼女に好かれているのか、まったく理解できなかった。

「椎名さん。わたしは誰ともつるまないし、ましてや恋愛なんてしない。だから、もう近寄ることも、話しかけることも止めてほしい」

「でも、さっきデートしてくれるって、いってくれた」

「……そうね。『どうしてあげたら、あなたの気はすむの?』と、いった。でも、そんな等価交換のような交渉で、わたしとの時間を手に入れて、あなたはそれで満足なの?」

「じゃあ、今度の日曜日ね!」

「……はあ?」

「朝十時に、そこの駅で待ち合わせ! うれしい! 幸せ! 本当に、愛しているからね。春街さん!」

 目を細めて、まぶしそうに睡蓮を見あげる、夜桜。スキップをして、睡蓮の顔の前までふわりと飛んで来た。

 気づいたときには、頬にやわらかな感触があった。キルトでも、オーガンジーでもない、体感したことのない肌触り。

 夜桜が制服のスカートをひらめかせ、満面の笑みを浮かべた。

「楽しみだなあー」

「ねえ、どうして駅の方向に歩いていくの?」

「だって、あたし、電車通学だもの」

 つまりこれから、時間帯があってしまったら、行きも帰りもいっしょの電車になってしまう。なるべく、同じ時間はさけるようにしなければ。

「春街さん」

 ぎゅ、と宝物を包みこむように、夜桜に手を握られた。

「あたし、尽くすタイプなの。登下校は、ひとりじゃ不安でしょ? あたしが送り迎えしてあげる。いっしょに通学しましょう」

 こんなことになるなら、杠葉にむりをいってでも、車で送迎してもらえばよかった。人生ではじめて、心のなかで兄の名前を呼んだ。

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