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十五章 「涙を流したわけ」

「まずは、悠希がそんな風に言ってくれたこと、私のことを考え思ってくれたことはすごく嬉しいよ。ありがとう」

 彼女は、静かに口を開いた。

「でも、」

「でも??」

 僕は、なぜか胸がそわそわした。

「でも、どんな頑張っても、できないことってあると私は思ってる。これから私がする話を悠希は理解できないだろうし、悠希に私を救うことは絶対にできない」

 彼女は、はっきりと僕のさっきの言葉を否定した。

 でも冷たく厳しいというよりも、切ない感情が彼女から感じられた。

 また、彼女の心の扉は固く閉ざされた。

 開きそうになったとしても、何かがきっかけでまた閉じることもあるだろう。でも、僕にはそれが何のせいかわからなかった。

 僕は「どうして?」と思ったけど、まずは彼女の話を聞こうとあえて何も言わなかった。

 相手の気持ちや思いを聞くことは大切だともわかったから。

「まずは、前のデートの日のことを私は本当は全部覚えていたよ。自分が言った言葉も、悠希がタクシーを呼んで家まで送ってくれたこともね。悠希は私がそのことを全く覚えていないと思っていたよね」

「うん、そう思っていたよ」

 彼女は前のデートの日のことを覚えていた?

 それなのに、いつもと変わらない感じで僕と話ができた??

 驚きとたくさんの疑問が頭の中にいっぱい浮かんだけど、僕はそれらをできるだけ表情に出さずにそれだけ言った。

「その時点で、悠希が何をしてくれても、私の辛さが理解できないじゃないかと思った。あの言葉は、単純なものじゃない。私の中で辛い気持ちが限界を超えたから、あふれてしまったものだから。それに、ただお酒を飲んだぐらいで忘れられる程度の辛さなら、私は今も苦しんでいないよ。私の辛さは、消えずにずっとあるんだから」

「そっか。そうだよね。僕は華菜の見えている部分しか見ないで、気になることも怖くて聞けなかったんだもんね」

 彼女の言葉が、僕の心に響いていく。彼女の言っていることは何も間違っていなくて、僕がただ考えが足りなかったと知らされる。

 あの日の彼女の言葉の重さを、僕は測り間違えた。いや、正しく測ろうとすらしていなかった。

 今なら彼女の言葉の意味が、少しはわかる。

 今の気持ちを少し前に持っていたら違った行動をすることができるのにと、僕はどうしても後悔してしまう。

 僕はこれまで様々な失敗、失言、選択ミスをしてきた。その度に後悔して、休んでまた考えて、なんとか前に進んできた。

 きっと他の人よりもたくさんの後悔をしてきた。

 そんな僕が、その中で今一番強く後悔していた。

 自分のダメなことより、彼女のために行動ができなかったことが心に強くダメージを与えた。

 一方で、彼女のことを愛しているのに、彼女を幸せにすることができない自分が情けなかった。

 思っているだけじゃ、何も変えられないのかもしれない。

「まあ、忘れていたふりをしていた私も悪いんだけどね。ずるいのは、わかってるよ。でも、そうすればいつかあの日の涙はなかったことになると思った。悠希にはあの日のことを忘れてほしかった」

「忘れてほしかった?」

 言葉にするということは、一般的に何かしらの助けなどを求めているからすることが多いのではないだろうか。

 それに彼女はさっき『私の中で辛い気持ちが限界を超えたから、あふれてしまった』と言っていた。

 それなのに、忘れてほしいとはどういうことだろうか。

「そう。それは、私が涙を流した理由に大きく関係している。まず、私が涙を流した理由は、私はこれから先も他人も自分も幸せにすることができないからだよ。いや、私には、自分も他人も『不幸』にしかできないからという方が正しいかな。私の心には、私以外に『堕天使』が棲みついている。心の中には、私以外に『堕天使』がいる。私とこの話をすれば、悠希はもう後には戻れないよ。それでもいいの?」

 彼女は今僕のことを気遣ってくれている。自分が辛いのに、まるで心にゆとりがあるかのように振る舞っている。それが、余計に僕を苦しめた。

 誰かの『苦しみ』を知ることは、苦しいことなのかもしれない。

 そして、『もう後には戻れない』とはどういう意味だろうか?

 彼女と深く話すだけで、僕の今後の人生が大きく変わるほどのことが起きるのだろうか。

 そんな考えも浮かんだけど、僕の気持ちは一切揺らがなかった。

「いいよ。僕はそれだけの覚悟があって、さっきの言葉を言ったのだから」

「やっぱり思い通りにならないね。できることなら忘れてほしかった理由は、私に関わると誰もが等しく不幸になるからだよ。とにかく、ただただ人を不幸にし、自分でさえも幸せにすることができない。そのせいで自分を責めて、自分の心を傷つけるだけの人生なんて辛すぎる。今までたくさんたくさん苦しんだ。それなのに、この先もっともっと苦しむことが簡単に予想できるのに、私は生きていなきゃダメなの? 私は決して人を不幸にしたくて、してるんじゃない。それなのに、関わった人は必ず不幸になる。それなら私が死ねば、不幸も減っていいじゃない!」

「華菜、大丈夫だよ。大丈夫だから」

 僕は彼女の手をゆっくりと握った。

 彼女の今の気持ちも、この話をすることにすごく勇気をだしたことも、よくわかったから。

 彼女は今までの人生をもがき苦しみ、生きていた。

 自分の存在を否定することで、心が保てることももしかしたらあるかもしれない。

 でも、それはきっと長く続けることはできないと思う。

 人は、自分が思ってるよりずっと弱い生き物だから。

 未来のことをあまり考えない僕でも、彼女が今、そしてこれからも辛くなりそうなことはわかった。

 そして、彼女の不安は何かしらの特殊さがあるように感じた。

 悩みや不安を無理やり分類わけすることは、意味がないことだと僕は思っている。そもそも分類分けしたところで何も起きないし変わらないから。

 それらは、悩みや悩んでる人と向き合うことでしか解決できない。

 そして、いつも弱気な僕だけど、今回は理解することを諦めない。

 彼女の苦しみを理解できないようじゃ、彼女も心から安心できないだろうから。

「人を不幸にすると華菜が思うわけと、心に『堕天使』が棲みついてるって言葉についてもう少し詳しく教えてもらえる?」

 僕は、さらに聞いたのだった。

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