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五章 「ごめん」

「華菜、ごめん」


 僕は、考えた末に謝ることにした。

 あまりにもシンプルすぎる答えだけど、物事は常に複雑である必要性はないと僕は思っている。

 どんな理由かわからないけど、彼女が不快な気持ちをしたことは鈍感な僕にもわかったから。

 それに対して謝ることは、間違ってはいないはずだ。

 食べることも飲むことも止めて、彼女をまっすぐ見つめた。『ながら』でするのは、相手に失礼だから。

 僕のこの言葉が、彼女の心まで届くように願った。

 『言葉』とは、ただの単語を集めて表現したものだけど、そこに僕たち人間は思いをのせることができる。

 それが、100パーセント相手に届くとは限らない。むしろ、届かない時の方が多いだろう。

 でも、僕はいつも『言葉』に、様々な思いをのせている。

 今回は、『彼女の心を軽くしたい』という思いだ。

 そして、たとえ一度で届かなくても、何度も相手に伝えることはできるし、懸命に伝えることで必ず届くと僕は信じている。

「あっ、うん。大丈夫だよ」

 彼女は、そう言ってくれた。

 僕は、まだ正確に思いが伝わっていない気がしたので、もう一度しっかり頭を下げた。

「本当にごめんなさい」

 そして、顔を上げてまたゆっくりと話だした。

「子どもの頃の思い出話をしようと僕が言ったのには、ちゃんと理由があるんだ」

「理由?」

 彼女は僕をまっすぐ見つめてきた。

「僕たちは六年以上付き合っていて、ある程度はお互いのことはもう知ってるよね? でも、もしかしたらまだ知らないことがあるんじゃないかと思った。それを知らないことで、相手が困っている時に助けることができないという状態になりたくないと思った。だから僕は突然だけど、子どもの頃の思い出話をしない? と言い出したんだよ」

「なるほどね。私たち二人のためなのね」

「もちろん、二人のためだよ」

 僕はそう話しながら、胸が痛くなった。

 彼女に言ったことは、嘘ではない。

 本当に今彼女を救いたいから話をしようと思った。

 でも、「あの日涙を流した理由を聞くため」という言葉を言わなかった自分に少し後ろめたさを感じていたのだ。

 思っていることや考えていることを全てそのまま言うことがどんな時も正しくないのは僕もわかっている。

 いや、正確には、大人になってやっとそのことがわかった。 

 成長していく過程で、僕は自分の思ったことをそのまま言葉にして、今までたくさん失敗してきた。

 最初は、何がダメなのかすらわからなかった。

 「正直でありなさい」と、学校の先生は確かに言っていた。

 しかし、わざわざ言わなくていい言葉というものが、世の中にはたくさんあるようだ。

 次に、どうしてそのような『特例』があることを学校で教えてくれないのだろうかと不思議に思った。

 この『特例』というものは、社会で生きていく上で結構重要なもののようだから。道徳などの時間に教えてくれてもおかしくない内容だ。

 でも、結局誰も教えてくれないから、失敗を重ね、僕は少しずつ学んでいった。

 当然他の人も僕と同じような経験しながら大人になっていくのだけど、僕は理解するのにかなりの時間がかかった。

 僕は人よりも覚えたり理解することがすごく苦手だ。僕以外の人の時間は、とても早くするすると流れているような気さえしている。

 まだ完璧とは言えないけど、今彼女に本当の理由を言うことは違うとはわかった。今更それをすることで、彼女が余計に不快な思いをするだろう。

 物事にはさらに厄介なことに『タイミング』というのもあり、これもかなり大事だ。

 今はもう本当のことを言うタイミングは過ぎてしまっているだろう。

 わかってはいても、彼女には今まで隠し事をしたことがなかったので、それがどんなものであっても心の苦しさは簡単には消えなかった。

 でも、彼女に言わないことと僕の今の心の苦しさを天秤にかけたら、彼女に言わないことの方が大事だとわかった。

 僕が勝手に苦しくなるのは別に構わないことだし、彼女にとってそれは問題とされることではないから。

「よかったら、華菜の子どもの頃の話をもっと僕に教えてくれないかな? もしかしたら、僕に話すことで何か新しくわかることもあるかもしれないから」

「いい話ばかりじゃないかもしれないよ?」

 彼女は、少し下を向いた。僕が涙の理由を聞きたいことと同様に、彼女にも話すことを躊躇う理由がきっとあるのだろう。

「僕は、華菜のどんな話でもしっかり聞くよ。華菜も知っての通り失敗ばかりしてきた僕だから、ネガティブなことには慣れているから。僕のことは本当に気にしなくていいから」 

「悠希は、いつも優しいよね」

 彼女の声色が、少しだけ変わった気がした。

「僕は優しさだけが、取り柄だから。僕から優しさをとったら何も残らないよ」

 僕は少しオーバーに戯けた。

「他にもいいところがたくさんあるから」

 彼女はそこで確かに笑った。内心、僕はすごくホッとしていた。

 僕のせいで、彼女には辛い感情になってほしくないから。

「ありがとう」

「改まって、どうしたの?」

「僕の言葉を、華菜が信じてくれたから」

「もう本当に真面目なんだから。当たり前でしょ。好きな人なんだから」

 さらっと言いながら、彼女はさらに話を続けた。

「さっき悠希が話をしてくれたから、今度は私がする番ね。どの話にしようかなー」

 話す内容に悩んでいる彼女を見て、彼女の不快な気持ち少しは拭えたかなと僕は安心した。

 僕の不用意な言葉のせいで彼女がなんらかの不快な気持ちになっただから、僕が明るい気持ちにするのが当たり前だと僕は感じているから。


 こうしてまた、子どもの頃の思い出話を再開したのだった。





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