マユカはその後、俺の言った通りに俺たちの前に姿を現さなかった。風の噂では街を出たと聞いた。
年末には書類仕事に追われたが、キョウコに手伝って貰っているからか、例年よりも余裕のある年末を過ごした。年始には親父の所にも挨拶に行き、近所の神社に初詣に行った。
仕事が始まり、大工の仕事に精を出し、書類仕事はキョウコに任せる…そんな平和で穏やかな日々。自分がこんなにも穏やかな日々を過ごす事になるなんて、思いもしなかった。
「え?クリスマスとか、何にもあげてないんですか?」
1月が終わり、2月に入った頃、仕事の休憩中にリョウタにそう言われる。
「何か欲しいもんあるか聞いたけど、キョウコは俺と一緒に居るだけで良いって言うから…」
そう言うと今度はダイスケが口を挟む。
「それは無いです、慶一さん。」
皆がそうだ、そうだと言う。
「仕方ねぇだろ、何あげたら良いか、分かんねぇし。」
キョウコは何も欲しがらない。その代わり、常に俺と一緒に居たがる。外にデートする事も、どこかに旅行に行く事も、外食でさえ行かなくて良いなら行きたくないと言う。流行りものにも興味は無いし、ブランドものにも興味は無い。ただ俺と一緒に居れればそれで良いと言うのだ。ダイスケが溜息をつく。
「慶一さん、今後の事とか、考えてます?」
そう聞かれて思う。考えていない訳では無かった。ただ、それを口にして良いのか迷っている。
「考えてねぇ訳じゃねぇよ。」
煙草を吹かしながら顔を顰める。
「結婚、とか?」
アツシが聞く。そう、結婚については年末頃から何となく頭にはあった。それでも。
「まだ早くねぇ…?」
呟くように言うと、ダイスケが笑う。
「時間なんて関係無いですよ、要はここの問題ですし。」
そう言って胸を叩くダイスケ。溜息が漏れる。
「まぁな…」
俺の様子を見て今度はマサトが言う。
「実際、結婚なんて、想像出来ないですもんね、俺ら。」
そうだ、結婚なんてものは想像が出来ない。今、居る仲間の誰もが恵まれた環境には居ない。だから誰も幸せな結婚、幸せな環境なんてものとは縁遠い。
「だからと言って今のままって訳にはいかないでしょう?」
ダイスケが言う。仲間の中でダイスケが一番、現実的で、義理堅い。
「何、ダイスケさんはキョウコちゃんと慶一くんが結婚するの、望んでんの?」
リョウタが聞く。ダイスケは笑って言う。
「俺は今まで慶一さんと付き合って来て、今が一番、慶一さんが幸せそうだと思ってます。てめぇの命を懸けられる程の女なんかそうそう出会える訳じゃないって山本の親父さんも言ってましたし。男として、ケジメはつけるべきだと思います。」
男として、か。確かにそうだ。
「まぁ、今のところは、キョウコちゃんに何かプレゼント渡すのが先じゃねぇ?」
マサトがそう言って笑う。
「んじゃ、何渡したら良いか、皆で考えようぜ。」
アツシが言うと皆、スマホで検索を掛け始める。そんな様子を見て俺は微笑む。持つべきものは友だな、と。
四苦八苦して選んだのは、ネックレスだった。一人で買いに行くのは勇気がいった。ジュエリー店なんて女と連れ立って入った事しかない。どれを見ても同じに見える。いや、ちゃんと考えろ、俺!どれがキョウコに似合うか想像しろ!困ったな…どうしようか…途方に暮れている俺を見て、店員が声を掛けてくれる。
「何かお探しですか?」
上品な店員。俺は苦笑いして言う。
「あー、あの、彼女に、その、プレゼントで、ネックレスでも買ってやろうかと、思ってて…」
気恥ずかしく思いながらもそう言うと、店員は少し微笑んで聞く。
「そうですか、彼女さんの好みとか、分かりますか?」
聞かれて考える。キョウコの好み…キョウコはそういえばアクセサリーの類なんて付けていなかったなと思う。
「あんまり派手なのは、ちょっと…控えめで和服にも合いそうなやつが良いんですけど…」
普段から浴衣や和服を好んで着ているキョウコ。きっとゴテゴテした派手なアクセサリーは似合わない。
「和服ですか、珍しいですね。」
店員が言う。そう、珍しいんだ、あんなに控えめで、芯の通った女は他に居ない。
「それでしたらアンクレットの方が良いかもしれないですね。」
アンクレット?何だ、それ。
「こちらにどうぞ。」
店員に案内されるままについて行く。
「こちらです。」
そう言われてケースの中を見る。細い鎖…ブレスレットに似た形。
「アンクレットというのは足首に付けるアクセサリーです。」
足首…。そんなもの、あるのか。そう思いながらケースの中を見る。その中の一つが目に留まる。細いプラチナの鎖、緑色の石がついている。
「これ、」
言うと店員が微笑んで言う。
「お出ししますね。」
店員が出してくれたそれを見る。それを付けているキョウコが目に浮かぶ。似合いそうだ。
「鎖はプラチナで、石はエメラルドです。」
そう言われても良く分からない。
「エメラルドの石言葉は幸運、幸福、夫婦愛、安定、希望なんですよ、彼女さんに贈るのにとても良いと思います。」
さて、プレゼントは手に入れた。どうやって渡すか。別に何かの記念日でもねぇし…。色々考えて頭が爆発しそうだった俺は全てが面倒になり、買って帰るなり、渡す事に決めた。別に何でも良いじゃねぇか。記念日なんて関係ねぇ。
家に帰るとキョウコはいつもと同じように夕飯の支度をしている。俺はリビングで煙草を吸いながら、ポケットの中の包みを意識する。キョウコがトタトタと歩いて来る。テーブルに夕飯が並ぶ。
夕飯を食べ終えて、片付けをした後。風呂までのほんの少しの時間。俺はキョウコの膝枕で寝転がっていた。良し、今だ。そう思ってポケットの中の包みを出してキョウコに渡す。
「ん。」
キョウコは差し出された包みを不思議そうに見ている。
「お前にやる。」
キョウコはそれを受け取ると、聞く。
「何…で…?」
俺は恥ずかしくて横を向く。
「べ、別に理由なんかねぇよ。クリスマスに何もやってねぇし?たまには良いだろ、それぐらい。」
次の瞬間にはキョウコが泣き出していた。俺は笑って体を起こし、キョウコを抱き締める。
「また泣くのかよ、泣き虫。」
キョウコは俺の腕の中で泣きながら言う。
「だって、慶一さんから、プレゼント貰うなんて、初めてで…」
俺は笑いながらキョウコの頭を撫でてやる。
「良いから、開けろよ。苦労して選んだんだから。」
キョウコが泣きながら包みを開ける。中には緑の石のアンクレットが入っている。
「アンクレットだってさ、俺、そういうの知らなかったけど、お前、和服良く着るじゃん。だからネックレスよりはそっちの方が良いだろうって店員が言うからさ。」
箱の中のアンクレットを取り出す。
「足、出せよ。」
そう言うとキョウコが膝を崩して、足を出す。足首にそれを付ける。
「外すなよ?」
言うとキョウコが頷く。和装のキョウコは俺に足を差し出している。シャランとアンクレットが滑る。なかなか良いな、これ。気に入った。