柴田先生に診せている間、慶一くんはソファーに座って貧乏揺すりをしている。
「慶一くん、君も手当を受けるんだ。」
言っても慶一くんはただ座っている。若い衆が慶一くんに近付くとそれを払う。
「あの子が気が付いた時、その酷い顔で会う気か?」
言うと貧乏揺すりがピタッと止まり、顔を上げる。やっと手当を受ける気になったようだ。
「君もすごい怪我じゃないか。」
言うと慶一くんが言う。
「俺の事は良いんです、俺は放っておいてもそのうち治るから。」
そう言われて笑う。
「確かにな。だがな。」
慶一くんを見る。
「惚れてる女に会うんだ、血ぐらい拭いておけ。」
手は人を殴ってボロボロ、蹴られたり殴られたりしたから顔も身体もボロボロだ。自分の手に巻かれた包帯を見て思う。もう人は殴らないと決めたのに。大工は手が命だ。大事な仕事道具である手を、痛めてしまった。でもそれをやる価値はあった。俺はキョウコを守る為なら自分が死んでも良いとさえ思った。柴田先生が部屋に入って来る。俺は駆け寄って聞く。
「キョウコは?キョウコは大丈夫なんですか!」
柴田先生は少し笑って俺の肩を叩く。
「大丈夫。殴られてはいるが、大した力では無かったようだ。それでも男の腕力だからな、脳震盪を起こしたんだろう。しばらくは安静に。2、3日したらまた診せに来なさい。」
柴田先生はこの田舎町の医者だ。小さい頃から何度もお世話になっている。
「それよりも慶一くん、君の方が酷いじゃないか。座りなさい、診せるんだ。」
俺は柴田先生に縋る。
「キョウコに、キョウコに会わせてください…」
布団に寝かされているキョウコ。キョウコの傍に行く。赤く腫れている顔…きっと怖かったに違いない。俺が付いていながら…守ってやると、そう思ってたのに…。こんな怪我させて…情けなくて泣けて来る。
「慶一さん…」
キョウコが呼ぶ。
「キョウコ…」
俺はキョウコの顔に近付く。
「ごめんな、ごめん…こんな怪我させて…怖い思いさせて…」
キョウコの手が伸びて来る。俺の頭をキョウコが撫でる。
「でも、慶一さん、助けに来てくれた…」
キョウコが笑う。怖くてキョウコに触れられない。触れたら壊れちまいそうだ。キョウコの手が俺の頬に触れる。
「慶一さん、怪我してる…」
俺は恐る恐るキョウコの手に触れる。
「俺は良いんだよ、俺は頑丈だから…キョウコと違って俺は…」
キョウコの手を優しく握って泣き崩れる。
「泣かないで…」
キョウコが涙声で言う。顔を上げて涙を拭く。
「抱き締めて…」
キョウコが両手を広げる。俺はそっとキョウコを抱き締める。あぁ、キョウコだ。俺の、大事な、キョウコ…。
「慶一さん、好き…」
キョウコが言う。
「知ってる、知ってるよ。」
鼻を啜る。
「慶一さん…キス、して…」
言われて俺はキョウコに口付ける。
その日は山本の親父さんのとこで世話になった。
「しばらく居て良いぞ。」
親父さんはそう言ってくれるけど、そうもいかない。我に返ると体のあちこちが痛んだ。
「様子を見に行かせたんだが、さすがは慶一くんだな。」
ソファーに座った親父さんが笑う。
「全員、伸びてたそうだ。」
俺は向かい側のソファーに座って少し笑って言う。
「覚えてないです…」
無我夢中だった。キョウコを助けなきゃ、と。親父さんは腕を組んで言う。
「後の事は俺に任せてくれるか?」
俺は親父さんを見る。親父さんは微笑んで言う。
「棟梁がくたばってからは俺が慶一くんの父親代わりをしていると思っている。だから俺にも格好つけさせろ。」
俺は頭を下げる。
「はい。よろしくお願いします…」
親父さんが笑う。
「止めろ、頭なんか下げるな。お前は俺の息子なんだから。」
俺の事を息子と呼ぶのは棟梁以来だなと思う。
「あの子のとこに居てやれ。後は俺が全部引き受ける。」
親父さんはそう言って立ち上がると俺の頭をクシャッと撫でて部屋を出て行く。
家にキョウコと戻った時には、家は元通りになっていた。ダイスケを筆頭に仲間が綺麗にしてくれていた。キョウコには2、3日の間、安静にして貰った。仲間が入れ代わり立ち代わり、飯の差し入れをしてくれた。柴田先生のところに診せに行き、太鼓判を押して貰う。顔のアザは一週間程で良くなった。
ドスンと日本酒をテーブルに置いて、頭を下げる。
「今回はありがとうございました。」
目の前の親父さんは何故か不機嫌だ。
「俺は止めろと言った筈だか?」
俺は頭を下げたまま言う。
「いえ、これはケジメです。」
親父さんが溜息をつく。
「分かった、受け入れよう。」
親父さんは俺の置いた日本酒を開けると、一口飲む。
「ほら、君も飲め。」
言われて俺は日本酒の瓶に口をつけて一口飲む。
「これで貸し借り無しだ。」
親父さんが言う。
「それで、山崎は?」
聞くと親父さんが笑う。
「親子共々、山に埋めた。」
それが本当の事なのか、物の例えなのか、分からなかったけど、そんな事はどうでも良かった。
「じゃあ、もう山崎のツラは見なくて済むんですね?」
聞くと親父さんは頷く。
「あぁ、未来永劫な。骨も見つからんよ。」
冗談なのか、本当なのか。俺は笑う。
「君が気に病む必要は無い。山崎はやり過ぎたんだ。」
親父さんが腕を組む。
「山崎は目に余っていた。俺がカタギに手を出せない事を良い事に、やりたいようにやっていたからな。だが、今回は話が違う。」
親父さんを見る。
「俺はな、テメェの大事なものを傷付けられて黙ってる程、人間出来ちゃいねぇんだよ。」
親父さんは真っ直ぐ俺を見ている。
「山崎は俺の大事なもんを傷付けた。大事な息子が、泣いて縋って助けてくれと言ったんだ。親として後始末は俺が付ける、それだけの話だ。」
そこで親父さんはフッと笑う。
「あの跳ねっ返りが一人の女にこれだけ入れ込むとはな。」
そう言われて気恥ずかしくなる。
「俺はな、慶一くん。君があの子を泣きながら背負って来たのを見た時に決めたんだ。これから先、君に組を継げと言うのは止めようとな。」
親父さんは優しい顔をしている。
「君ほどの男は居ないと今でも思っている。喧嘩も強い、男気もある、忠義に堅い、人望もある。それだけの器があっても、本人にその意志が無かったら、本人の意志を無視したら、それこそ俺の方が筋を通せない。俺は慶一くん、君の親だ。親なら子に自由に生きて欲しいとそう思うもんだ。」
目頭が熱くなる。
「もっと頼ってくれ。もっと甘えてくれ。何かあれば親として君を守る。君と一緒に戦ってやる。君と一緒に守ってやれる。俺はヤクザだが親子の情を袖にする程、腐っちゃいねぇよ。」
下を向く。涙が落ちる。
「それで、だ。」
親父さんが言う。
「その、あの子の好きなものは何だ?」
は?急に聞かれて俺は笑う。
「何スか、急に。」
親父さんは俺から視線を外して言う。
「最近の若い女が何を好むのか、俺は知らん。ここには野郎しか居ねぇから、誰に聞いても分からん。」
親父さんの顔が少し赤い。
「見舞いに持って行くのに、何が良いのか分からん。どうせ持って行くなら好きな物の方が良いだろう?」
この親父、マジか。そう思って笑う。
「キョウコは甘いもんが好きですよ。和菓子よりは洋菓子かな、シュークリームとかプリンとか。」
親父さんは後ろに控えている、若い衆に言う。
「聞いたな?この町で一番美味いシュークリームとプリンだ。買って来い。」
親父さんの口からシュークリームとかプリンなんて言葉が出るなんて。俺が笑いを堪えていると、親父さんが言う。
「挨拶させろ、親として。」
俺は微笑んで頷く。
「はい。」