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第63話 「こっちにおいで」

 今日だけ、閉店後に母も一緒に食事をすることになった。あさってからは、夕飯は帰って父と食べるという。


 テーブルに料理の皿を並べながら、彼が言う。


「本当にどうもありがとうございました。とても助かりました」


 母が楽しそうに言った。


「なんだか昔を思い出しちゃったわ。女の子たちって、人懐っこくてかわいいわね」


「お母さん、すっかりなじんでいましたね」


「内心、こんなお洒落なカフェに、私みたいなおばさんがいていいのかしらって思っていたんだけど」


「そんなことないですよ。待っているお客さんたちにも声をかけていただいて、みなさん笑顔でしたね」


 僕だけは、今日も相変わらずあたふたしてしまったけれど、母のおかげで店内の空気が和らいだのは事実だ。


「自分たちの母親と同じくらいの年齢だから話しやすいのかしらね」


「そうですね。きっとそうです」


 彼は微笑んでいる。彼と母が和やかに話しているのも、僕にとってはうれしいことではある。



 食事をしながら会話は進む。


「お客さんたちがあなたたちの写真を撮るのにも驚いたけれど、みんな料理やスイーツの写真を熱心に撮っていたわね」


 僕は説明する。


「SNSに投稿するんだよ。そういうのもお店に来る目的のうちだから」


「そうなのね。いつまでも撮ってばかりいないで、冷めないうちに早く食べればいいのにね」


 母がそう言うと、彼があははと笑った。母が、僕をちらりと見てから言った。


「でも、あなたたちが人気なのもお店が繁盛しているのもけっこうなことだけれど、一日中休む暇がなくて、ちょっと大変ね」


 僕がへばっているのを心配しているのだろう。すると、彼が言った。


「そのことなんですが、昨夜からずっと考えていたんですけど」


 彼が、僕と母を等分に見ながら言う。


「お昼と夕方の間に、いったん休憩時間を挟むのはどうですかね。夜は少しだけ営業時間を伸ばすとかして」


「ああ、それならいいかもしれないわね」


 母はほっとしたように微笑む。僕は思いついて言った。


「そうしたら、いったんマンションに戻ったりも出来るね」


 実は密かに、今のままでは、とてもマンションの掃除をする余裕がなさそうだと気になっていたのだ。昼に戻って、ちょっと片付けたり出来ればありがたい。


「そうだね」


「マンションから近くてよかったわね」


「あっ、そうだ……」


 ふとつぶやくと、二人が僕を見た。


「SNSを更新しなくちゃ。昨日もするべきだったのに、すっかり忘れていた。


 お客さんに来てくれたお礼を言わなくちゃ」


「そうだね」」



 というわけで、母を真ん中に、三人で自撮りをしてSNSに投稿した。


―― オープン初日、今日とたくさんのご来店、どうもありがとうございます。明日は定休日です。



 まさか自分がこんなことをするようになるなんて……。でも、すべてはニュアージュのためなのだっ。




 結局、その後も長くニュアージュで働くことになる母とはお店の前で別れて、二人でマンションに戻る。エレベーターに乗り込むと、彼がそっと肩を抱いてくれた。


「お疲れ様。昨日今日と、本当によくやってくれたね」


「あたふたしてばかりだったけど」


「そんなことないよ。晴臣くん、すごくがんばってくれた。


 お客さんたちも、すごく喜んでくれていたし、晴臣くん目当てのお客さんもけっこういたんじゃない?」


 それはどうだろう。たしかに写真はたくさん撮られたけれど、それを言うなら、母だってけっこう撮られていた。


「仁さん目当てじゃないの?」


 彼を見るお客さんたちの目はキラキラしていた。


「うーん……。真子たちが言っていたのはこういうことなのかなって思ったけどね」


 そうだ。真子さんたちは、まずは僕たちの写真で集客して、料理の味でリピーターを増やすとか言っていたのだった。


 たしかに、彼はイケメンだから、そういうこともあるのかなとは思っていたけれど、まさかここまでとは……。


「でも、みんな料理もスイーツもおいしいって言っていたよね」


「うん、やっぱりそれが一番うれしかった。内心、本当に自分の料理はお金を払ってもらえる価値があるのかと思ったりもしたからね」


 僕は、思わず彼の顔を見る。


「当たり前だよ! きっと食べた人はみんな幸せな気持ちになったはず」


 彼が微笑む。


「ありがとう」


 エレベーターが7階に着いた。




 部屋に入ると、やっぱり僕は、すぐにソファにへたり込んでしまう。一人で暮らしていたときは、滅多にそこに座ることはなかったのだけれど。


 叔父さんはまだ帰っていないようだ。彼も横に腰かけたので、僕はその肩にもたれかかる。


 彼が言う。


「明日は一日ゆっくりして体を休めよう」


「うん。……ああ、でも、掃除をしなくちゃ」


 昨日も今日も何も出来ていない。いくら叔父さんが寛大だといっても、高いアルバイト代をもらっているのだから甘えてはいられない。


 すると、彼が言った。


「僕も一緒にするよ。掃除機をかけるくらいだったら、全部僕がやってもいいよ」


「え?」


「晴臣くん、疲れているだろう?」


「仁さんだって」


「でも僕は、君よりはずっと体力があるから」


「僕はずっとだらだら過ごしていたから、体がなまっているんだよ。でも、そのうち慣れれば大丈夫だと思う」


 彼がふふっと笑った。


「君はいい子だね」


 そして、ちゅっと頬にキスをしてから言った。


「今日はゆっくりお風呂に浸かって、早めにベッドに入ろうか」




 疲れてはいるけれど、明日は休みなのだから少しはいちゃいちゃしたい。そう思っていたのに、先にお風呂に入った僕は(さすがに一緒には入らなかった)、彼がお風呂から出て来る前に眠ってしまった。



 はっとして目を覚ますと、部屋は真っ暗だ。あーあ。


 思わずため息をつくと、隣で身じろぎする音がした。


「晴臣くん、起きた?」


「あっ、うん」


「こっちにおいで」


 そう言うなり、掛布団の中に手が入って来て、優しく手首を掴まれた。


「あ……」


「何もしないよ。ただ、君に触れていたいんだ。


 枕を持ってこっちにおいで」


「うん」


 なんなら、してもいいけれど。



 そっと彼のベッドに体を滑り込ませると、包み込むように布団を掛けてくれた。僕は、彼の肩に頬を寄せる。


「あったかい」


「手、つなごうか」


「うん」


 幸せだ……。



「ねえ」


 すっかり眠気が醒めた僕は、ずっと気になっていたことを聞いてみた。


「もしもお客さんたちが、僕たちの関係を知ったらどう思うかな」


 SNSのアカウントはあくまでお店の宣伝のためのためのものなので、個人的なことは載せていない。当然、僕たちの関係も、名前さえも。


 それでも、真子さんや叔父さんに気づかれてしまったように、いつかお客さんたちにも知られてしまうのではないか。


 あわただしい中でさえ、僕はつい彼を見てうっとりしてしまう瞬間がある。忙しく立ち働く彼の姿が凛々しくて素敵過ぎて、否応なく目を奪われてしまうのだ。


 でも、だらしない顔をして彼に見とれている姿をうっかりお客さんに見られたら……。そんなことを考えていると、彼がのんびりした声で言った。


「さあ、どうだろうねえ。でも、カフェはあくまで料理を提供するところなんだから、僕たちのことは関係ないよ」


「そうかなあ……」


「心配?」


「うん。こういうの、嫌う人もいるだろうし、それに……」


「うん?」


「こんなこと、言っていいかどうかわからないけど……」


 逡巡する僕に、彼は優しく言う。


「なんでも言ってごらん」

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