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第62話 カオスな展開

「そうかあ。それは大変だったね」


 片づけを終え、ようやくマンションにたどり着いてソファにへたり込んでいるところに、叔父さんが仕事から帰って来た。今日から僕たちも遅くなるので、夕飯はさがみ屋で食べて来たという。


 僕はあまりに疲れてしまい、失礼だと思いつつ、立ち上がることが出来ないまま挨拶をしたのだった。


 彼が言う。


「真子に言われましたけど、僕の認識不足でした。SNSをフォローしてくれた人がたくさんいるのは知っていましたけど、まさか実際に来てくれる人があんなに多いとは思わなくて」


 向かいのソファにかけた叔父さんが言う。


「でも、よかったじゃない。みんな喜んで帰ってくれたんだろう?」


「それはありがたいんですけど……。二人だけではどうしようもなくて、急遽真子たちに手伝ってもらってなんとか切り抜けたんです。


 もしも二人がいなかったら、どうなっていたことか」


「それで二人とも、疲れ切ってソファに沈み込んでいるわけか」


「はあ……。僕はともかく、晴臣くんはただでさえ慣れていないのに、一日中立ちっぱなしで働いてもらって」


「えへ……」


 僕は、とりあえず笑って見せるけれど、覚えている限り、今まで生きて来た中で一番くらいに疲れているのは間違いない。足が痛いし、腕や肩もガチガチだ。


 彼が、心配そうな顔で僕を見てから続ける。


「明日も今日くらいお客さんが来たら、とても二人では無理なんじゃないかと。いずれはアルバイトを雇うことも考えますけど、明日急には……」


 叔父さんが言う。


「仕事がなければ、僕がお手伝いしたいところだけどね」


「いえ、そんな」


 少しの間思案していた叔父さんが、人差し指を立てて言った。


「そうだ。お義姉さんに声をかけてみたらどう?」


 叔父さんが、僕の顔を見る。


「お義姉さん、学生時代に喫茶店でアルバイトしたことがあるって言っていなかったっけ?」


「あ……そう、だったかな」


 よく覚えていないけれど。


「お義姉さんに電話してみたら? とりあえず、落ち着くまでの間だけでも手伝ってもらったらいいんじゃない?」


 え……。彼と母と三人でカフェを?


 戸惑う僕の横で、彼が言った。


「そうですね、お願いしてみます」


 そう言いながら、早くもスマホを取り出している。




 目覚まし時計のアラームで、徐々に意識が戻る。さっきベッドに入ったばかりのような気がするのに、もう朝なのか。


 今日もカフェは、昨日のように大賑わいになるだろうか。起きて用意をしなければと思うものの、体中が痛くて重くて、何よりまだ眠くて目が開かない。


 今までずっと、僕はマンションの掃除しかせず呑気に暮らしていたし、もともとあまり体力に自信はない。それが急にフル回転で働いたものだから、情けないことに、体が悲鳴を上げているのだ。


 横で、彼が起き上がる気配がする。そして、控え目な声がした。


「晴臣くん? ……大丈夫?」


「ん……」


 なんとか寝返りを打って目を開けると、彼が心配そうに見下ろしている。


「起きられそう?」


「うん、大丈夫」


「無理させてごめんよ」


「ううん、ホントに大丈夫だよ。今日はお母さんも来るし」


 恐ろしいことに(?)、今日から当分の間、母が手伝ってくれることになったのだ。彼の頼みを聞くと、最初は「私に出来るかしら」などと言っていたようだけれど、窮状を知り、結局は引き受けてくれた。


 自分の恋人と母親と一緒にカフェで接客をするなんて、考えただけでぞっとするけれど、多分、そんなことを気にするのは僕だけだろう。どっちにしても、今日、二人だけで営業するのは無理だ。




 僕たちが歩いて行くと、母はすでに店の前で待っていた。


「お母さん、おはようございます。急にお願いしてすみません」


 彼は慌てて駆け寄るが、僕は重い足を引きずって、とぼとぼと近づく。そんな僕を見て、母が言った。


「疲れた顔してるわね。昨日はずいぶん大変だったの?」


「お客さんが、すごくいっぱい来てくれて。でも大丈夫だよ」


「そう」


 ガラガラとシャッターを開け、ドアを開けた彼が振り返る。


「どうぞ」



「あら、素敵ねえ」


 初めて来た母が、店内を見回している。


「あの写真は、全部晴臣が撮ったの?」


「うん」


 彼が言う。


「僕はどうしても晴臣くんの写真を飾りたいと思って、お店のコンセプトも、彼の空の写真を中心に考えたんです」


「そうなの……」


 母は感慨深げに空の写真を見上げる。恥ずかしいような誇らしいような……。



 開店準備をしながら、彼が母に仕事の手順などを説明していると、早くも店の外に人が集まり始めた。それを見た母が言う。


「もしかして、お客さん?」


「そうみたいですね。ありがたいことに、SNSを見た人がたくさん来てくれて」


「女の子ばかりね」


「ええ」



 開店すると、昨日と同じように、ぞろぞろとお客さんが入って来た。


「危ないですから、ゆっくりお進みください。後ろの方は並んでくださいね」


 昨日に続き、今日も立ち尽くすことしか出来ない僕の前で、なんと、母がお客さんを仕切っている。昔取った杵柄というやつか?


 お客さんの一人が、母に向かって言った。


「もしかして、店員さんのお母さんですか?」


「えっ?」


 母が僕の顔を見る。僕も母を見返す。


 「店員さん」って、僕のこと? 母と顔を見合わせていると、お客さんが声を上げた。


「やっぱりそうだ」


「えっ!?」


「目の辺りがそっくりですもん。私、お店のSNSをフォローしていて、店員さんたちのファンなんです。


 お母さんにまで会えるなんてラッキー! 一緒に写真撮ってください」


「えっ、私ですか?」


 母が面食らっている。


「はい、美人のお母さんも店員さんも。昨日、店員さんたちと一緒の写真がいっぱいSNSに上がってて、私もぜひ撮ってもらいたいと思って」


「はあ……」


 ほかのお客さんたちも口々に言う。


「私も」


「私たちも!」


 思わずカウンターの奥に振り向くと、彼もこの様子をぽかんと見ている。


 な、なんなんだ。昨日にも増して、このカオスな展開は……。



 昨日、さんざん写真撮影に応じている以上、断るという選択肢はなく、今日もたくさん、母までも写真を撮られることになった。母もついにSNSデビュー(?)か。


 昨日は疲れていたので、スマホを開く余裕もなかったのだけれど、合い間にバックヤードでチェックすると、SNSのフォロワーは3桁ほども増えていた。


 とてもありがたいことだけれど、なんだか不安になって来た。カフェをやるって、こういうことなのか?




 今日も途切れることなくお客さんが訪れ、忙しい一日が終わった。


 母はテキパキと仕事をこなし、若い女の子たちともにこやかに話していた。緊張してギクシャクし、お客さんに何か言われるたびにあたふたしてしまう僕とは大違いだ。


 母とは人生も接客も経験値が違うのだし、そんなことを気にしてもしょうがないのはわかっているけれど、それでも、ちょっと落ち込む。母の前で接客したり、お客さんと写真に納まったりするのも恥ずかしかった。


 とにかく、今日も心身ともにくたくたになった。もちろん、一日笑顔で働いた母も彼も、疲れていることだろう。


 明日が定休日だということが唯一(?)の救いだ。

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