目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第61話 予想外のこと

 僕は、思わず彼を見る。彼はカウンターの向こうで、さっそく料理に取りかかっているが、会話は聞こえていたようだ。


「撮っていただくといいよ」


「はい……」


 するとほかの席の女性たちも口々に言う。


「私たちもお願いします」


「店長さんも一緒に」


 なんだか大変なことになってきた。彼は苦笑を浮かべながらも穏やかに言う。


「外でお待ちいただいている方もいらっしゃいますから、短い時間でしたら」


「それじゃ私たちも」


「みんなでいっぺんに撮ったらいいんじゃない?」


 ほかの席の女性たちも口々に言い出して、なんとその後、ほんの短時間ながら撮影会になった。その様子を、外で待っているお客さんたちが見ている。


 な、なんなんだこれ……。



 一通りオーダーを受けた後は、僕もカウンターの奥に入って彼の補助をする。彼は迷いのない手つきでテキパキと料理を作っていく。


 僕が言うのもなんだけれど、どの料理もスイーツも、見た目の美しさもさることながら、すべて自信をもってお勧めできるおいしさだ。それに、料理を作る彼は、なんて凛々しくて素敵なんだろう……。


 しばし彼に見とれた後、我にかえって窓の外を見た僕は、思わず声を上げた。


「あっ!」


 彼が手を止めないまま言う。


「どうかした?」


「真子さんと健壱さん」


 二人がこちらに向かって笑顔で手を振っている。彼は顔を上げると、二人を手招きした。



「すいません」


「ちょっとすいません」


 二人は、怪訝そうに見るお客さんたちをかき分けながら入って来た。


「仁兄ちゃん、晴臣くん、開店おめでとう」


「おめでとうございます。大盛況ですね」


 口々に言う二人に、彼はさらに手招きしながら言った。


「ありがとう。ちょっと奥に」


 そして、二人をバックヤードへと誘導する。ぽかんと見ていると、声をかけられた。


「晴臣くんも来て」




 彼が言った。


「まさかこんなにたくさんお客さんが来てくれるとは思わなくてさ」


 すると、真子さんが口を尖らせる。


「それは認識不足だよ。SNSが盛り上がってるの、見たでしょう?」


 それを言うなら、僕も認識不足だった。彼が言う。


「それは見たけど……」


「仁兄ちゃん、そういうのに疎いもんね」


「まあね。それで、急で悪いんだけど、二人にお願いしてもいいかな」


「なんですか?」


 そう尋ねたのは健壱さんだ。彼が聞く。


「二人が知り合ったのって、たしかファミレスのアルバイトだよね」


「はい、俺が厨房で真子がホールで」


「それならちょうどいい」


 彼の言葉に、真子さんがつぶやく。


「まさか……」


「そう、そのまさかだよ。ホントに急で悪いんだけど、ちゃんと謝礼は払うから、ちょっとだけ手伝ってもらえないかな。


 晴臣くんは接客は初めてだし、予想外のこともあって、二人じゃとてもさばき切れそうにないんだ」


 予想外のこととは、撮影会のことだろうか。二人で顔を見合わせてから、真子さんがニヤリとして言った。


「もちろん手伝うよ。開店祝いだから、謝礼はいいよ」


「いや、それは」


 言いかける彼に、健壱さんが笑顔で言った。


「いいっすよ。じゃあ、俺は料理を手伝うから、真子は接客な」


「オッケー」


 そういうわけで、二人は洗い替えに用意してあったエプロンを着けて、急遽手伝ってくれることになったのだった。




「ありがとうございました」


 最後のお客さんを送り出した後、彼は「OPEN」の看板をしまってドアを閉めた。


「は~、疲れたあ!」


 真子さんが、エプロンを外して、テーブル席の椅子を引いて座り込む。健壱さんが、向かい側の椅子にどさりと腰かけた。


 結局、一日中お客さんが途切れることはなかった。彼が二人に向かって言う。


「今日はどうもありがとう。急にお願いしたのによくやってくれて、本当に助かったよ。


 ちょっとだけって言ったのに、一日中働いてもらっちゃって。


 お腹空いただろう? なんでも好きなメニューをごちそうするよ」


 真子さんが言った。


「じゃあ私、シチューセット。お客さんが食べているのを見て、すごくおいしそうだったんだよね」


 昼食は、一人ずつバックヤードであわただしく、いわゆる賄いを食べただけだ。


「健壱くんは?」


「じゃあ俺も、シチューセットお願いします。カフェでシチューって、あんまりないですよね。


 やっぱり、ニュアージュのイメージですか?」


 彼が微笑む。


「そうなんだ。白い雲のイメージ」


 食器もすべて、約束通り叔父さんの会社で格安で購入することが出来た。シンプルながら優しいフォルムの白い食器類は、ニュアージュの料理にぴったりだと思う。


「『ニュアージュパフェ』もメレンゲパイも、ふわふわの雲みたいでかわいいよね。それに、晴臣くんの写真のパネルもすっごく素敵」


 真子さんが、そう言って壁の写真を見回す。


「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、彼が、カウンターに向かいながら言った。


「晴臣くんは?」


「え?」


「何を食べる?」


「あっ、僕も同じでいいけど、お手伝いするよ」


 そう言って彼の後に続こうとすると、真子さんが慌てたように言った。


「ごめん、私たち、ずうずうしく座り込んじゃって」


 彼が笑う。


「いいんだよ。お客として来てくれたのに、こき使って悪かったね」


「そんなことないよお。記念すべきオープンの日に立ち会えて、すごく楽しかったし」


 健壱さんも言った。


「俺もです。後でしっかりSNSに投稿しますよ」


「私も。それにしても、二人の人気、すごかったね」


「写真、バチバチ撮られてましたもんね。ほとんどアイドル並みですよ」


 あの後、お客さんが入れ替わるたびに何度か撮影会をしたのだった。


「私なんか、お客さんに嫉妬の目でにらまれちゃったよ。『何この女』みたいな」


 健壱さんが、あははと笑った。


「そう言えば、健壱くんも写真撮られてなかった?」


「ああ、なんかね。『俺は今日だけのヘルプですから』って言ったんだけど」


 真子さんが、口を尖らせながら言う。


「かわいい子にお願いされて、まんざらでもなさそうだったじゃない」


「そんなことないって」


「鼻の下がびろ~んって伸びてたよ」


 真子さんの言葉に、健壱さんは憮然とする。


「伸びてねえし」



 真子さんと健壱さんは、これから新幹線で地元に帰るのだという。彼が申し訳なさそうに言った。


「遅くまで悪かったね」


 真子さんは笑う。


「いいのいいの。どうせこっちで一日遊んでから帰る予定だったし」


「それなら余計に悪かったよ。予定を台無しにしちゃったね」


 健壱さんが言った。


「そんなことないですよ。食べ歩きでもしようかって言っていたけど、それより特別な経験ができて面白かったし、賄いもうまかったです」


「これからシチューセットもごちそうになるしね」


「すげー楽しみ。写真撮ってSNSに上げよーっと」


「私も!」


 さっきまでポンポンと言い合っていた真子さんと健壱さんは、顔を見合わせて笑っている。



 その後、四人で雑談しながらシチューセットを食べた。遠慮しつつ、謝礼を受け取った二人は、新幹線の時間を気にしながら仲良く帰って行った。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?