僕は、思わず彼を見る。彼はカウンターの向こうで、さっそく料理に取りかかっているが、会話は聞こえていたようだ。
「撮っていただくといいよ」
「はい……」
するとほかの席の女性たちも口々に言う。
「私たちもお願いします」
「店長さんも一緒に」
なんだか大変なことになってきた。彼は苦笑を浮かべながらも穏やかに言う。
「外でお待ちいただいている方もいらっしゃいますから、短い時間でしたら」
「それじゃ私たちも」
「みんなでいっぺんに撮ったらいいんじゃない?」
ほかの席の女性たちも口々に言い出して、なんとその後、ほんの短時間ながら撮影会になった。その様子を、外で待っているお客さんたちが見ている。
な、なんなんだこれ……。
一通りオーダーを受けた後は、僕もカウンターの奥に入って彼の補助をする。彼は迷いのない手つきでテキパキと料理を作っていく。
僕が言うのもなんだけれど、どの料理もスイーツも、見た目の美しさもさることながら、すべて自信をもってお勧めできるおいしさだ。それに、料理を作る彼は、なんて凛々しくて素敵なんだろう……。
しばし彼に見とれた後、我にかえって窓の外を見た僕は、思わず声を上げた。
「あっ!」
彼が手を止めないまま言う。
「どうかした?」
「真子さんと健壱さん」
二人がこちらに向かって笑顔で手を振っている。彼は顔を上げると、二人を手招きした。
「すいません」
「ちょっとすいません」
二人は、怪訝そうに見るお客さんたちをかき分けながら入って来た。
「仁兄ちゃん、晴臣くん、開店おめでとう」
「おめでとうございます。大盛況ですね」
口々に言う二人に、彼はさらに手招きしながら言った。
「ありがとう。ちょっと奥に」
そして、二人をバックヤードへと誘導する。ぽかんと見ていると、声をかけられた。
「晴臣くんも来て」
彼が言った。
「まさかこんなにたくさんお客さんが来てくれるとは思わなくてさ」
すると、真子さんが口を尖らせる。
「それは認識不足だよ。SNSが盛り上がってるの、見たでしょう?」
それを言うなら、僕も認識不足だった。彼が言う。
「それは見たけど……」
「仁兄ちゃん、そういうのに疎いもんね」
「まあね。それで、急で悪いんだけど、二人にお願いしてもいいかな」
「なんですか?」
そう尋ねたのは健壱さんだ。彼が聞く。
「二人が知り合ったのって、たしかファミレスのアルバイトだよね」
「はい、俺が厨房で真子がホールで」
「それならちょうどいい」
彼の言葉に、真子さんがつぶやく。
「まさか……」
「そう、そのまさかだよ。ホントに急で悪いんだけど、ちゃんと謝礼は払うから、ちょっとだけ手伝ってもらえないかな。
晴臣くんは接客は初めてだし、予想外のこともあって、二人じゃとてもさばき切れそうにないんだ」
予想外のこととは、撮影会のことだろうか。二人で顔を見合わせてから、真子さんがニヤリとして言った。
「もちろん手伝うよ。開店祝いだから、謝礼はいいよ」
「いや、それは」
言いかける彼に、健壱さんが笑顔で言った。
「いいっすよ。じゃあ、俺は料理を手伝うから、真子は接客な」
「オッケー」
そういうわけで、二人は洗い替えに用意してあったエプロンを着けて、急遽手伝ってくれることになったのだった。
「ありがとうございました」
最後のお客さんを送り出した後、彼は「OPEN」の看板をしまってドアを閉めた。
「は~、疲れたあ!」
真子さんが、エプロンを外して、テーブル席の椅子を引いて座り込む。健壱さんが、向かい側の椅子にどさりと腰かけた。
結局、一日中お客さんが途切れることはなかった。彼が二人に向かって言う。
「今日はどうもありがとう。急にお願いしたのによくやってくれて、本当に助かったよ。
ちょっとだけって言ったのに、一日中働いてもらっちゃって。
お腹空いただろう? なんでも好きなメニューをごちそうするよ」
真子さんが言った。
「じゃあ私、シチューセット。お客さんが食べているのを見て、すごくおいしそうだったんだよね」
昼食は、一人ずつバックヤードであわただしく、いわゆる賄いを食べただけだ。
「健壱くんは?」
「じゃあ俺も、シチューセットお願いします。カフェでシチューって、あんまりないですよね。
やっぱり、ニュアージュのイメージですか?」
彼が微笑む。
「そうなんだ。白い雲のイメージ」
食器もすべて、約束通り叔父さんの会社で格安で購入することが出来た。シンプルながら優しいフォルムの白い食器類は、ニュアージュの料理にぴったりだと思う。
「『ニュアージュパフェ』もメレンゲパイも、ふわふわの雲みたいでかわいいよね。それに、晴臣くんの写真のパネルもすっごく素敵」
真子さんが、そう言って壁の写真を見回す。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、彼が、カウンターに向かいながら言った。
「晴臣くんは?」
「え?」
「何を食べる?」
「あっ、僕も同じでいいけど、お手伝いするよ」
そう言って彼の後に続こうとすると、真子さんが慌てたように言った。
「ごめん、私たち、ずうずうしく座り込んじゃって」
彼が笑う。
「いいんだよ。お客として来てくれたのに、こき使って悪かったね」
「そんなことないよお。記念すべきオープンの日に立ち会えて、すごく楽しかったし」
健壱さんも言った。
「俺もです。後でしっかりSNSに投稿しますよ」
「私も。それにしても、二人の人気、すごかったね」
「写真、バチバチ撮られてましたもんね。ほとんどアイドル並みですよ」
あの後、お客さんが入れ替わるたびに何度か撮影会をしたのだった。
「私なんか、お客さんに嫉妬の目でにらまれちゃったよ。『何この女』みたいな」
健壱さんが、あははと笑った。
「そう言えば、健壱くんも写真撮られてなかった?」
「ああ、なんかね。『俺は今日だけのヘルプですから』って言ったんだけど」
真子さんが、口を尖らせながら言う。
「かわいい子にお願いされて、まんざらでもなさそうだったじゃない」
「そんなことないって」
「鼻の下がびろ~んって伸びてたよ」
真子さんの言葉に、健壱さんは憮然とする。
「伸びてねえし」
真子さんと健壱さんは、これから新幹線で地元に帰るのだという。彼が申し訳なさそうに言った。
「遅くまで悪かったね」
真子さんは笑う。
「いいのいいの。どうせこっちで一日遊んでから帰る予定だったし」
「それなら余計に悪かったよ。予定を台無しにしちゃったね」
健壱さんが言った。
「そんなことないですよ。食べ歩きでもしようかって言っていたけど、それより特別な経験ができて面白かったし、賄いもうまかったです」
「これからシチューセットもごちそうになるしね」
「すげー楽しみ。写真撮ってSNSに上げよーっと」
「私も!」
さっきまでポンポンと言い合っていた真子さんと健壱さんは、顔を見合わせて笑っている。
その後、四人で雑談しながらシチューセットを食べた。遠慮しつつ、謝礼を受け取った二人は、新幹線の時間を気にしながら仲良く帰って行った。