目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第60話 オープン当日

「はい」


 お粥の入った茶碗と木の匙を差し出してくれながら彼が言う。


「どこもピカピカで、掃除するところなんてたいしてなかったよ。晴臣くんがいつもきれいにしているから」


「……そう?」


「そうだよ。晴臣くんはえらいね」


「でもさ、おせち料理だって作らなくちゃならないのに」


 彼は微笑む。


「おせちは、僕も叔父さんも自分たちの楽しみで作るんだよ。面倒だったら、別に買ったっていいんだからね」


「そうか」


「さあ食べて。熱いから気をつけてね」


「いただきます」


 僕は、匙で掬ったお粥をふーふーしてから口に入れた。


「おいしい……」


 卵が入ったとろとろのお粥は、優しい味がして、体がほかほかに温まった。




 体調が回復して起きられるようになったのは30日だった。今年も残すところ、あと2日だ。


 朝、部屋を出て行くと、叔父さんが笑顔で迎えてくれた。


「おはよう。具合はどう?」


「おはようございます。おかげさまでよくなりました」


「よかった。これでまたみんなで食事が出来るね」


「はい。すいませんでした」


「いいんだよ。さあ、ご飯にしよう」


 叔父さんの言葉に、彼も微笑んでいる。




 トーストとコーヒーの朝食を取りながら、叔父さんが言った。


「今年もあとわずかだけど、カフェのオープンもいよいよだね。5日だっけ」


 彼が答える。


「はい、そうです」


「準備は順調に進んでる?」


「はい、だいたいのところは」


「あとは開店を待つばかりか。楽しみだねえ」


「はい」


 僕はやっぱり、とても緊張するけれど。さらに叔父さんは、僕たちを交互に見ながら言った。


「じゃあ、それまではお正月らしく、わりとのんびり?」


 彼が、僕をちらりと見てから言った。


「叔父さんは、お正月はどうされるんですか? 何かご予定があるんですか?」


「今年は、特にないんだよねえ。何も考えていなくてさ。


 まあ、時間だけはたっぷりあるから、昼間からお酒を飲んで、ゴロゴロしながらテレビでも見るさ」


「だったら、一緒に初詣に行きませんか?」


 それは、あらかじめ二人で話したことだ。だが、叔父さんは言った。


「いやあ、誘ってくれてうれしいけど、僕に気を遣わず、水入らずで行っておいでよ」


「そんな……」


 顔を見合わせる僕たちに、叔父さんは手のひらを振りながら言う。


「カフェがオープンしたら、なかなか出かけられなくなるだろう? 二人でデートを楽しんでおいでよ」


「はあ……」


「でも、その前に、今日明日でおせち料理をみんなでがんばって作ろう」



 デートに出かけることが出来なくても、彼とはずっと一緒にいるし、それで満足なのにと思ったけれど、あえて反論はしなかった。


 お言葉に甘えて、僕たちは、二人で此木神社に初詣に行くことにした。


 僕が神様にお願いすることは、すでに決まっている。カフェの成功と、みんなの健康と、末永く彼といられることと……。




 はあ……。暗闇の中、僕はため息をついて、ベッドの上で起き上がった。


 いよいよカフェがオープンする前日の夜だ。今日は最終的な準備に追われ、叔父さんも仕事の帰りにのぞきに来てくれたのだけれど。


「晴臣くん?」


 彼に声をかけられた。


「眠れないの?」


「あ……ごめん、起こしちゃった?」


「いや、僕も起きていたよ」


「仁さんも眠れないの?」


 隣のベッドでも、彼が起き上がる気配がする。


「まあね。いよいよ明日だと思ったら、なんだか目が冴えちゃって」


「僕も、なんだか緊張しちゃって……」


「大丈夫だよ」


 彼に、そっと抱き寄せられた。


「準備はすべて整っているし、晴臣くんは、接客もレジもバッチリだし」


 今までに、彼の指示を受けながら、店内で何度も練習したのだ。


「うん……」


「一緒にカフェをやること、君が受け入れてくれて、すごくうれしいと思っている。二人でいろいろ準備するのも、すごく楽しかったし」


「僕もだよ。仁さんの夢に僕も加えてもらえて、すごく幸せ。


 ただ、明日からついにお客さんが来るんだと思うとドキドキしちゃって……」


 彼が優しく髪を撫でてくれる。


「そうだよね。お客さん、来てくれるかな」


「SNSのフォロワー、すごく増えたし、お店に来るって書き込みしてくれている人も何人もいるよ。真子さんたちも、たくさん宣伝してくれているし。


 それはうれしいんだけど、僕、ホントにちゃんと接客出来るかなあ……」


「断言するけど、大丈夫だよ。なぜなら、晴臣くんは思いやりがあって、いつも相手の立場に立って考えることが出来るから。


 うまくやろうとしなくても、どうしたらお客さんが喜んでくれるか考えて行動すればいいんだ。だから、君なら出来る」


「あ……」


 胸が熱くなって、鼻の奥がツンとする。


「ありがとう」


 思わずしがみつくと、彼がぎゅっと抱きしめてくれた。




「ど…どうしよう」


 オープン当日、いよいよあとわずかで開店というときだ。僕たちは店内にたたずみ、お店の外の様子を見ている。


 以前、コーヒー専門店だった店舗は、入り口こそ木目も美しい木のドアだが、大きな窓から外の様子が見渡せる。窓の向こうに、開店を待っているらしい人たちが何人もいる。


 その多くは若い女性で、みんなスマホを手にしている。たしかにSNSにはそれなりの反響があったけれど、まさかここまでとは……。


 すっかり怖気づいてしまった僕に、彼が微笑みかけた。


「こんなに来てくれた人がいるなんて、ありがたいことだね」


「うん……」


「晴臣くんが一生懸命SNSで宣伝してくれたおかげだよ」


「うん……」


 たしかに、今までにないくらいがんばった。彼の料理はとてもおいしいから、それをたくさんの人に味わってほしいと思ったし、彼のお店が繁盛したらうれしいと思ったから。


 でも、こんなにたくさんのお客さんに、僕はうまく対応できるだろうか……。ほとんど半泣きになっている僕に、彼が言った。


「晴臣くん、準備はいい?」


「あ……うん」


 ここまで来たら、精一杯やるしかない。彼が、じっと僕の目を見つめる。


「それじゃ、開店するよ」


 ドキドキしながら僕がうなずくと、彼はうなずき返してから、ドアへと向かった。 



 彼がドアを開けると、待っていた人たちの中からちょっとした歓声が上がった。


「いらっしゃいませ。どうぞお入りください」


 彼がうやうやしくお辞儀をする。僕もそれにならって頭を下げる。


 並んでいたお客さんたちが、先頭からぞろぞろと店内に入って来た。その様子に圧倒されて固まっている僕に彼が言った。


「全部は入りきらないね。入れないお客さんには待ってもらわないと」


 そして、すぐにドアの外に向かって言った。


「大変申し訳ございませんが、よろしければそのまま少しお待ちください」


「はあい、待ってまーす」


 ツインテールの女の子が明るく言うと、周囲に笑いが起きた。



 僕たちは、手分けして水の入ったグラスとメニュー表を配る。緊張で手が震えて恥ずかしいけれど、そんなことにかまっている暇はない。


 テーブル席の、二人連れの女性の一人が言った。


「私たち、お店のSNSフォローしてるんです」


 向かい側に座った女性もしきりにうなずいている。


「あっ、ありがとうございます」


「後で一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」


「えっ、あっ……」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?