「はい」
お粥の入った茶碗と木の匙を差し出してくれながら彼が言う。
「どこもピカピカで、掃除するところなんてたいしてなかったよ。晴臣くんがいつもきれいにしているから」
「……そう?」
「そうだよ。晴臣くんはえらいね」
「でもさ、おせち料理だって作らなくちゃならないのに」
彼は微笑む。
「おせちは、僕も叔父さんも自分たちの楽しみで作るんだよ。面倒だったら、別に買ったっていいんだからね」
「そうか」
「さあ食べて。熱いから気をつけてね」
「いただきます」
僕は、匙で掬ったお粥をふーふーしてから口に入れた。
「おいしい……」
卵が入ったとろとろのお粥は、優しい味がして、体がほかほかに温まった。
体調が回復して起きられるようになったのは30日だった。今年も残すところ、あと2日だ。
朝、部屋を出て行くと、叔父さんが笑顔で迎えてくれた。
「おはよう。具合はどう?」
「おはようございます。おかげさまでよくなりました」
「よかった。これでまたみんなで食事が出来るね」
「はい。すいませんでした」
「いいんだよ。さあ、ご飯にしよう」
叔父さんの言葉に、彼も微笑んでいる。
トーストとコーヒーの朝食を取りながら、叔父さんが言った。
「今年もあとわずかだけど、カフェのオープンもいよいよだね。5日だっけ」
彼が答える。
「はい、そうです」
「準備は順調に進んでる?」
「はい、だいたいのところは」
「あとは開店を待つばかりか。楽しみだねえ」
「はい」
僕はやっぱり、とても緊張するけれど。さらに叔父さんは、僕たちを交互に見ながら言った。
「じゃあ、それまではお正月らしく、わりとのんびり?」
彼が、僕をちらりと見てから言った。
「叔父さんは、お正月はどうされるんですか? 何かご予定があるんですか?」
「今年は、特にないんだよねえ。何も考えていなくてさ。
まあ、時間だけはたっぷりあるから、昼間からお酒を飲んで、ゴロゴロしながらテレビでも見るさ」
「だったら、一緒に初詣に行きませんか?」
それは、あらかじめ二人で話したことだ。だが、叔父さんは言った。
「いやあ、誘ってくれてうれしいけど、僕に気を遣わず、水入らずで行っておいでよ」
「そんな……」
顔を見合わせる僕たちに、叔父さんは手のひらを振りながら言う。
「カフェがオープンしたら、なかなか出かけられなくなるだろう? 二人でデートを楽しんでおいでよ」
「はあ……」
「でも、その前に、今日明日でおせち料理をみんなでがんばって作ろう」
デートに出かけることが出来なくても、彼とはずっと一緒にいるし、それで満足なのにと思ったけれど、あえて反論はしなかった。
お言葉に甘えて、僕たちは、二人で此木神社に初詣に行くことにした。
僕が神様にお願いすることは、すでに決まっている。カフェの成功と、みんなの健康と、末永く彼といられることと……。
はあ……。暗闇の中、僕はため息をついて、ベッドの上で起き上がった。
いよいよカフェがオープンする前日の夜だ。今日は最終的な準備に追われ、叔父さんも仕事の帰りにのぞきに来てくれたのだけれど。
「晴臣くん?」
彼に声をかけられた。
「眠れないの?」
「あ……ごめん、起こしちゃった?」
「いや、僕も起きていたよ」
「仁さんも眠れないの?」
隣のベッドでも、彼が起き上がる気配がする。
「まあね。いよいよ明日だと思ったら、なんだか目が冴えちゃって」
「僕も、なんだか緊張しちゃって……」
「大丈夫だよ」
彼に、そっと抱き寄せられた。
「準備はすべて整っているし、晴臣くんは、接客もレジもバッチリだし」
今までに、彼の指示を受けながら、店内で何度も練習したのだ。
「うん……」
「一緒にカフェをやること、君が受け入れてくれて、すごくうれしいと思っている。二人でいろいろ準備するのも、すごく楽しかったし」
「僕もだよ。仁さんの夢に僕も加えてもらえて、すごく幸せ。
ただ、明日からついにお客さんが来るんだと思うとドキドキしちゃって……」
彼が優しく髪を撫でてくれる。
「そうだよね。お客さん、来てくれるかな」
「SNSのフォロワー、すごく増えたし、お店に来るって書き込みしてくれている人も何人もいるよ。真子さんたちも、たくさん宣伝してくれているし。
それはうれしいんだけど、僕、ホントにちゃんと接客出来るかなあ……」
「断言するけど、大丈夫だよ。なぜなら、晴臣くんは思いやりがあって、いつも相手の立場に立って考えることが出来るから。
うまくやろうとしなくても、どうしたらお客さんが喜んでくれるか考えて行動すればいいんだ。だから、君なら出来る」
「あ……」
胸が熱くなって、鼻の奥がツンとする。
「ありがとう」
思わずしがみつくと、彼がぎゅっと抱きしめてくれた。
「ど…どうしよう」
オープン当日、いよいよあとわずかで開店というときだ。僕たちは店内にたたずみ、お店の外の様子を見ている。
以前、コーヒー専門店だった店舗は、入り口こそ木目も美しい木のドアだが、大きな窓から外の様子が見渡せる。窓の向こうに、開店を待っているらしい人たちが何人もいる。
その多くは若い女性で、みんなスマホを手にしている。たしかにSNSにはそれなりの反響があったけれど、まさかここまでとは……。
すっかり怖気づいてしまった僕に、彼が微笑みかけた。
「こんなに来てくれた人がいるなんて、ありがたいことだね」
「うん……」
「晴臣くんが一生懸命SNSで宣伝してくれたおかげだよ」
「うん……」
たしかに、今までにないくらいがんばった。彼の料理はとてもおいしいから、それをたくさんの人に味わってほしいと思ったし、彼のお店が繁盛したらうれしいと思ったから。
でも、こんなにたくさんのお客さんに、僕はうまく対応できるだろうか……。ほとんど半泣きになっている僕に、彼が言った。
「晴臣くん、準備はいい?」
「あ……うん」
ここまで来たら、精一杯やるしかない。彼が、じっと僕の目を見つめる。
「それじゃ、開店するよ」
ドキドキしながら僕がうなずくと、彼はうなずき返してから、ドアへと向かった。
彼がドアを開けると、待っていた人たちの中からちょっとした歓声が上がった。
「いらっしゃいませ。どうぞお入りください」
彼がうやうやしくお辞儀をする。僕もそれにならって頭を下げる。
並んでいたお客さんたちが、先頭からぞろぞろと店内に入って来た。その様子に圧倒されて固まっている僕に彼が言った。
「全部は入りきらないね。入れないお客さんには待ってもらわないと」
そして、すぐにドアの外に向かって言った。
「大変申し訳ございませんが、よろしければそのまま少しお待ちください」
「はあい、待ってまーす」
ツインテールの女の子が明るく言うと、周囲に笑いが起きた。
僕たちは、手分けして水の入ったグラスとメニュー表を配る。緊張で手が震えて恥ずかしいけれど、そんなことにかまっている暇はない。
テーブル席の、二人連れの女性の一人が言った。
「私たち、お店のSNSフォローしてるんです」
向かい側に座った女性もしきりにうなずいている。
「あっ、ありがとうございます」
「後で一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」
「えっ、あっ……」