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第57話 二つのベッド

 大きく息を吐いた彼が、僕の手を引いてベッドへと誘う。


「あっ、ええと、ビーフシチューは?」


「大丈夫。鍋の火は切ってあるから」




 愛し合った後、荒い呼吸に裸の胸を波立たせながら、彼がつぶやいた。


「ごめん。気持ちを抑えられなくて……」


「ううん」


 そう言えば、彼と初めてしたのは、去年の彼の誕生日だった。なんだか感慨深い。


「あんまりうれしくて、君が愛おしくて、我慢出来なくなってしまった」


「僕も、すごくうれしい」




 そういうわけで、二人きりのバースデーパーティーは、予定よりかなり遅い時間に始まった。僕も、今日はもう泊ってしまってもいいという気になっている。


 ブリオッシュと一緒に食べるビーフシチューは、口の中で肉がほろほろとほどけて、とてもおいしかったし、付け合わせのニンジンのグラッセとマッシュポテトもおいしかった。



 そして、去年と同じように、ケーキや、ケーキと一緒の写真をたくさん撮った後で。


「うわ……!」


 もったいないと言いながらケーキを切った彼が、驚きの声を上げた。僕はニヤニヤしながら言う。


「中もすごいでしょう?」


 ブルーと白のシンプルなケーキの中には、フルーツがぎっしり入っているのだ。


「きれいだし、すごくおいしそうだね。この断面も写真に収めなくちゃ」


 そう言って、いつもの彼にはないくらい、何枚も写真を撮りながら言う。


「これ、全部晴臣くんのアイディアなの?」


「うん。内側はどんな感じにしますかって聞かれたから、色鮮やかなベリー類をぎっしり入れてくださいって言ったの」


「へえ、すごいなあ……。外側と内側のギャップがすごい。


 晴臣くん、センスいいね」


「そんなことないよ。僕は好き勝手なことを言っただけで、素敵なケーキにしてくれたのはパティシエさんだもん」


 スマホを置いて、彼がこちらを見た。


「君はホントに謙虚でいい子だね。でも、晴臣くんが考えたんだろ?


 やっぱりすごいよ。ただ者じゃない」


「えへへ、そう言ってもらえるとうれしいな」


「ねえ、カフェで出すスイーツのメニューも一緒に考えてくれる? ニュアージュらしさを前面に押し出したものにしたいんだ」


 料理のメニューに入れるものはだいたい決まっているものの、スイーツはまだこれからだ。


「もちろん、仁さんのためなら喜んで」




 彼の誕生日が過ぎると、いよいよカフェ開店の準備も本格的になってきた。細々としたことを決めたり、カフェを営業するための手続きをしたり……。


 さらに、彼は会社を辞めるのと同時に、マンションを引き払うことになった。つまり、カフェ開店を前に、叔父さんのマンションで同居を開始することになったのだ。


 僕は、引っ越しに備えて彼が荷物をまとめるのを手伝うために、たびたびマンションに通った。彼が会社に行っている間にも、合鍵で部屋に入って片付けたりする。


 そんなことも、なんだかうれし恥ずかしくて、ひしひしと幸せを感じる。まるで結婚直前みたいな……。


 だけど、この部屋とももうすぐお別れなのかと思うと、少しさみしい。初めて彼の料理を食べたのも、初めてキスしたのも、初めて彼と結ばれたのも、全部この部屋でだった。


 ほかにも、数えきれないほどの思い出がある。そのどれもが大切な宝物だ。




 真子さんと健壱さんのアドバイスを受けながら、SNSの準備も始めた。開店の1ヶ月前から運営し始める予定だ。


 当初、アイコンは僕が撮った空の写真にしようと彼が言っていたのだけれど、お店のロゴにしたほうがいいと言われた。それで、今まで考えてもいなかったロゴを急遽決めることになった。


 そういうものは、プロに頼むものなのかと思っていたのだけれど、今は自分で、しかも無料で簡単にロゴやマークが作れるサイトがあると教えられた。


 実際に、彼と二人であーだこーだ言いながら、数十分ほどで作れてしまった。あえて温かみを出すために手書き風の文字で作ったそれは、真子さんたちや叔父さんに見せたところ好評だった。


 彼がメニューに載せる料理を試作したり、その写真を撮ったり、真子さんたちに言われてSNSに載せる僕たちの写真も撮ったりして、あわただしく時間が過ぎて行った。


 実際、思っていた以上にやることはたくさんあった。お店を開くのって、本当に多変だ……。




 11月の終わりに、ついに彼がマンションに引っ越して来た。


 照れくささもあって、なんなら、ここにいる間は別々の部屋でもいいと思っていたのだけれど、叔父さんがテキパキと指示をして、引っ越し業者に、僕のベッドもゲストルームに運ばせた。


 今まで、不定期に二人で朝を迎えていたのとはわけが違う。これからは、バストイレ付きのゲストルームで、彼と寝起きを共にするのだ。




 その日の夜、パジャマを着てバスルームから出ると、さっきまで離れて置かれていた二つのベッドが、ぴったりくっつけられている。


「あ……」


 同じくパジャマ姿でベッドに寝そべっていた彼が、上体を起こしながら言った。


「このほうがいいだろ? 僕たち、そういう関係なんだし」


「それは、まあ」


 彼が、微笑みながら、ポンポンとベッドを叩いて言った。


「おいで」


 おずおずと近づき、僕もベッドに寝そべってみる。


「あ……なんかいい感じ。ゆったりしていて」


「そうだろう?」


 彼の部屋で、シングルベッドに身を寄せ合って寝ていたのとはずいぶん違う。そのままあお向けになって天井に目をやっていると、彼が体ごとこちらを見て言った。


「晴臣くん」


 彼の表情が真剣なので、僕も思わず上体を起こす。彼がベッドの上で正座をして、僕の目を見つめながら言った。


「これから先も、どうぞよろしく」


「あ……こちらこそ」


 言いながら、僕も慌てて正座する。


「君と出会えたこと、本当によかったと思っている。うんと大切にするから、ずっと僕のそばにいてください」


「僕も、仁さんと一緒にいられて本当に幸せです。これからも、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げてから、じっと見つめ合った後、二人して、ほとんど同時に笑い出した。幸せだ……。



 やがて彼は身を乗り出し、微笑みをたたえたまま僕の両肩に手を置いて顔を近づけてくる。甘く優しいキス。そして……。




 終わった後、いつものように羞恥心と闘いながら枕に顔をうずめていると、彼が僕の髪に触れながらささやいた。


「晴臣くん」


「ん……?」


「もう後1ヶ月で、いよいよ開店だね」


 やっぱり今日も切り替えが早い。半分だけ顔をずらして彼を見ると、僕の髪をもてあそびながら微笑んでいる。


「ええと、あのさ……」


 僕は、ずっと不安に思っていたことを打ち明けた。


「僕にちゃんとお手伝いできるかな」


「うん?」


「僕、ちゃんとしたアルバイトをしたことがないし、まして接客なんて自信がないよ」


 彼は、僕の額にかかる髪をよけながら言った。


「大丈夫。接客の練習をする時間ならあるし、君は出来ることだけしてくれればいいんだ」


「でも……」


「SNSだってやってもらうんだし、なんなら君は、ただお店に座っていてくれるだけでも、僕はうれしいけどね」


「それはさすがに……」

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