さすがに旅行に行ったことや、しょっちゅう彼の部屋に泊まっていることは控えたけれど、初めて会ったのが、小此木山に写真を撮りに行くためだったことや、将来の参考のために、カフェにランチに行くことなどは話した。
僕の話を聞き終え、母が言った。
「そうなの……。とても楽しそうね」
やっぱり恥ずかしい。まさか、母にこんなことまで話す日が来るとは思わなかった。
「うん……。まあ、ね」
母が話し始めた。
「あの日、あなたたちがうちに来た日の夜は、さすがに眠れなかったわ。やっぱり、ショックだったから。
あなたに恋人がいたことも、それが男性だったこともショックだった。でも、ずっと考えているうちに、だんだんわかってきたことがあるの。
多分私は、あなたの恋人がかわいらしい女の子だったとしても、同じようにショックを受けたんじゃないかなあって」
「え?」
「もちろん、いつかは大切な人ができて幸せになってほしいと思ってはいたけど、その一方で、いくつになってもあなたはかわいい一人息子で、ずっとお母さんだけの晴臣でいてほしいっていう気持ちもあったのよ。
矛盾しているようだけど、人の親ならば、誰でも大なり小なり思い当たる節があるんじゃないかしら。
二十歳にはなったけど、まだまだ子供だと思っていたあなたに将来を誓い合った相手がいることを知って、急に晴臣が遠くに行ってしまったようで、お母さん、そのことが寂しかったんだと思うわ」
「お母さん……」
「だけど、お母さんの一番の望みは、やっぱりあなたが幸せでいることなの。笹垣さん、礼儀正しくて誠実そうで、素敵な人じゃない?
あの人なら、きっと大丈夫そうな気がするわ。あなたには、あのくらい大人でしっかりした人が合っていると思うし」
「僕、頼りないから」
母がふふっと笑った。
「そんなことないわよ。でも、こんなことを言ったら失礼かもしれないけど、ご自身が寂しい思いをしたからこそ、あなたのことをより大切にしてくれるんじゃないかっていう気持ちもあるの」
そこで僕は言った。
「仁さんは、ご両親とは疎遠だったけど、その分、叔母さんたちによくしてもらったんだって。真子さんのお母さんだよ。
それで、カフェを始める前に、一度一緒に会いに行こうっていう話になっていて、真子さんは僕たちのこと応援するって言ってくれているから、事前にそれとなく伝えておいてもらおうかって」
「それはいいわね。やっぱり、いきなりだと驚くものね」
「……ごめん」
「いいのよ」
母はすべてを受け入れてくれた。こんな僕のことでも愛してくれ、幸せを願ってくれているのだと、胸が熱くなった。
父の気持ちはどうなのだろうと思ったけれど、母は、「私がいいと言えば、お父さんもいいのよ」と笑っていた。本当だろうかと思うけれど、結局いつも、最終的な決定権は母にある気がする。
今までずっとそうだったのだから、今回もそれでいいということにしておこう。どっちにしても、誰に何を言われたって、彼と別れるつもりは1ミリもないのだから。
カフェ開店に向けて、物事はどんどん動き出した。正式に店舗の賃貸契約を交わし、彼は11月いっぱいで会社を辞めることになった。
それまでは、会社に通いながら少しずつ準備を進め、12月は丸々開業準備に当てるという。お店で使う道具や食器、メニューの検討などは、僕も出来る限り協力したいと思っている。
ついにそのときが来るのだと思うと、ワクワクする反面、とても緊張する。今まで接客業どころか、まともにアルバイトをしたこともない僕が、迷惑をかけることなく、ちゃんとお手伝いできるのだろうか……。
10月になり、僕たちは、彼の叔母さんたちに挨拶に行くことになった。近くのホテルに部屋を取って一泊し、彼が育った街も案内してくれるという。
うれしいけれど、緊張もする。当日は朝早い新幹線で行くことと、僕自身、何かと心細かったこともあり、お願いして、前日は彼の部屋に泊めてもらい、翌朝、一緒に出かけることにした。
夕方、仕事終わりの彼と、駅で待ち合わせた。僕を見るなり、彼が目を見張る。
「そのジャケット」
「うん、言っていたやつ」
叔父さんに、やはりきちんとした服装で行ったほうがいいだろうかと相談したところ、デパートに連れて行ってくれ、ジャケットを買ってくれたのだ。叔父さんは、優しいだけでなく気前もいい。
彼がにっこり笑いながら言った。
「いいよ、すごく似合っている」
「それに、これも」
僕は足元を指す。僕がスニーカーしか持っていないと知った叔父さんは、ジャケットに合わせて革靴も買ってくれたのだ。
「うん、いい。いつものカジュアルなスタイルもかわいいけど、こういうのもいいね。惚れ直したよ」
上から下まで眺められて、ちょっと照れくさい。
部屋に着くと、ジャケットを汚さないよう、彼に倣って、僕も部屋着に着替えた。今日は、彼が作ってくれる夕飯を食べて、明日に備えて早めに休む予定だ。
彼が作ってくれた豚の生姜焼きはとてもおいしいのだけれど、明日のことを考えると、なんだか不安になってしまい、なかなか箸が進まない。
そんな僕を見て、彼が言った。
「晴臣くん、今から緊張しているの?」
「うん、ちょっとだけ」
「大丈夫だよ。真子がある程度のことは話してくれているし、叔母さん夫婦は、とても気さくだから」
「でも……」
「うん?」
「立派に育った甥っ子が、こんな、僕みたいなしょぼくれたのを恋人だと言って連れて行ったら、叔母さんたち、がっかりするんじゃないかと思って」
「晴臣くん」
彼が、真顔になってじっとこちらを見る。何かいけないことを言っただろうかと、僕はますます不安になる。
すると、彼が言った。
「君はしょぼくれてなんかいないよ。真面目だし、思いやりがあるし、いつも一生懸命で、僕はとても素敵だと思っている。
そういうところが大好きだし、見た目だって、とても素敵だよ。
叔母さんたちだって、きっと君を気に入るに違いないけど、もしもそうじゃなくても、僕はちっとも気にならないよ。だって僕は、君がどんなにいい子かよく知っているし、何より、誰よりも君を必要としているのは僕なんだから。
明日は、これからカフェをやることの報告と、僕が、この先の人生を共にすると決めた大切な人を紹介するために行くんだ。何も心配はいらないよ」
「あ……」
胸がいっぱいになって、いつものごとく涙がこみ上げる。慌てて目元を拭う僕に、彼は優しく微笑みかけてくれる。
「泣き虫なところもかわいいよ」
僕は、しゃくり上げながらとぎれとぎれに言う。
「もう、二十歳なのに、すぐにめそめそして、恥ずかしい……」
「泣きたいときは、我慢せずに泣けばいい。そういう君も、僕は好きだよ」
僕は、泣き笑いしながら言った。
「仁さん、僕のこと好き過ぎ……」
彼が、あははと笑った。
その夜は、淫らな行為に及ぶこともなく、僕たちは手をつないで眠りについた。明日の朝が早いからという理由とともに、僕がナーバスになってしまい、気持ちに余裕がないせいも大いにあった。
そんな僕を、いつでも彼は優しく包み込んで受け入れてくれる。そういう彼が大好きだ……。