その夜、僕たちは、実に久しぶりにバスルームで淫らな行為にふけった。くたくたになって、ベッドに身を寄せて横たわっている。
ちらりと顔を見ると、彼は微笑んでくれる。僕は優しくてきれいな笑顔を見つめながら、気になっていたことを聞いてみた。
「あのさ、本当に、もうご両親と会うつもりはないの?」
「うん。今さら会っても、話すこともないし、最近は、思い出すこともないよ」
「でも、ご両親は、仁さんのことを気にしているかも」
彼はふふっと笑う。
「まあね、気にしているかもしれないけど、今の家族に気兼ねもあるだろうし、実際、何も言って来ないんだから、会う必要ないよ」
「でも……」
「僕のこと、心配してくれているの?」
「だって……」
彼の孤独を思い、胸が痛い。
「大丈夫だよ。僕には晴臣くんがいてくれるし、叔父さんも、とてもよくしてくれるし。
ああ、でも、叔母さんたちには、いずれちゃんと話さなくちゃな」
「真子さんのお母さん?」
「そう、両親よりもずっと世話になっているし。いきなり話したら、やっぱり驚かれるだろうから、あらかじめ、真子にそれとなく言っておいてもらおうかな」
「それ、いいかも」
そこで彼が、体ごとこちらに向いた。
「一度、晴臣くんも叔母さんたちに会ってみる?」
「あ……うん、いいけど」
緊張するけれど、この先もずっと彼と生きて行くならば、やはりきちんと挨拶しなくてはいけないだろう。
「カフェを始める前に、旅行を兼ねて会いに行こうか。真子も歓迎してくれるんじゃないかな」
「そうだね」
真子さんがいれば、きっとうまくとりなしてくれるだろう。
翌日、彼と遅めの朝食を取っていると、ベッドサイドに置いたままのスマホが着信を告げた。慌てて席を立って手に取ると、母から電話だ。
彼が食事の手を止めて見つめる前で電話に出る。
「もしもし、お母さん?」
「晴臣、昨日はごめんなさいね」
「ううん、こっちこそ」
「取り乱してしまって、笹垣さんにも勝義さんにも、ずいぶん失礼なことを言っちゃったわね。悪かったと思っているわ」
「僕のせいだよ」
「そんなことないわ。ただお母さん、本当にびっくりして……」
「そりゃそうだよね」
息子がゲイだと知っただけでも驚いただろうに、恋人がいるとか、その恋人とカフェをやるとか、いきなり一度にいろんなことを言われて、冷静でいろと言うほうが無理だ。
母が続ける。
「それで、後から少し落ち着いて考えてみて、まずは一度、あなたと二人で話がしたいと思ったの」
「うん」
「いい?」
「もちろん」
「お父さんがいても邪魔なだけだから、平日の昼間にいらっしゃいよ」
僕は思わず笑ってしまった。
「いいけど、お父さんは何か言っていた?」
「ううん。あの人は考えるのが苦手な人だから、今のところは、ただ驚いているだけよ」
「ずっと驚きっぱなしなの?」
母も笑った。
「昨夜は、なんだか唸りながらビールを飲んでいたわ」
電話を切ると、食事を再開していた彼が言った。
「お母さん、なんだって?」
「一度、二人で話がしたいって。昨日は取り乱して、仁さんにも叔父さんにも失礼なことを言っちゃったって、反省していたよ」
彼は微笑む。
「あの場合は仕方がないよ。でも、お母さんはいい人だね」
「うん。僕がちゃんと話せば、きっとわかってくれると思う」
「そうだね」
「うにゃ~ん」
その日、家に入って行くと、この前はどこかに隠れて出て来なかった桃太郎がやって来た。
「モモ、久しぶり」
ひざまずいて顔を撫でると、ゴロゴロ言いながら顔をグイグイ押しつけてくる。
母は昼食を用意してくれていた。唐揚げとキンピラは、5月に作ってくれたのと同じだ。
「まずはお昼にしましょう」
「おいしそう。いただきまーす」
「たくさん作ったから、持って帰るといいわ。勝義さんと二人で、いつも食事はどうしているの?」
「叔父さんが作ってくれることもあるし、一緒に近くの和食屋さんに行くこともあるよ。安くておいしいんだ」
「そうなの」
「あっ、この前、教わって、初めてカレーを作ったよ」
「勝義さんに?」
「いや、あの……」
「笹垣さんに?」
「……うん」
「カフェを開くくらいだから、料理が上手なんでしょうね」
「うん、すごく」
気まずくなって、僕は唐揚げを頬張る。
「これも、すごくおいひい」
慌てて言うと、母は苦笑した。
「お母さん、笹垣さんのことを何も知らないから、話してくれる?」
「うん」
でも、何から話せばいいんだろう。思案していると、母が言った。
「自分が好きな人のことを親に話すなんて、照れくさいわよね」
「……まあね」
「私があなたの立場だったら、やっぱりなかなか話せなかっただろうと思うわ。性別云々ということを抜きにしても」
「お母さんも、昔はそうだった?」
「そうね。ボーイフレンドのことを家で話したりはしなかったわね」
当たり前だが、母にもそういう時代があったのだ。
「でも、お父さんのことは話したんでしょう?」
「お父さんとは上司の紹介で、半分お見合いみたいなものだったから」
「へえ、そうなんだ」
僕はずっと、両親のなれそめは社内恋愛だと認識していたのだけれど、意外だった。というか、母はともかく、父の恋愛など想像もできない。
「笹垣さんとは、SNSで知り合ったんだっけ?」
「そう。実は、最初は僕の一目ぼれ」
「あら」
この際だから、話せることは話してしまおうという気になっていた。母ならば、きっとわかってくれると信じて。
SNSの話から、母が見たいと言ったので、今までに撮った空の写真を見せた。
「へえ、素敵じゃない。マンションのベランダから撮るの?」
「だいたいはそう。すごく見晴らしがいいから」
「そうよね。うちのベランダから見たって、電線越しの空しか見えないもんね」
「叔父さんのマンションに引っ越さなかったら、空を撮ろうなんて思わなかったよ」
そうでなかったら、SNSをやることも、彼と知り合うこともなかったのだ。そんなことを考えていると、母がニヤニヤしながら言った。
「あなたが一目ぼれしたっていう、笹垣さんの写真を見せてよ」
「えっ……」
恥ずかしいけれど、ここまで来て見せないわけにもいかないだろう。僕は観念して、画像を開いてスマホを差し出す。
母がじっと、例の彼が猫を抱いた写真を見つめている。は、恥ずかしい……。
照れ隠しに、僕はまくしたてる。
「これは、仁さんの従妹の真子さんが東京に遊びに来たときに、猫カフェで撮ったんだって。SNSで猫の画像を検索していて、偶然見つけたんだ。
ほら、桃太郎ともたまにしか会えないし、猫を見て癒されようと思ってさ」
「ふうん」
僕をちらりと見てから、母は再び画面に目を戻す。
「あっ、それで、今年の春にも真子さんが東京に来て、そのとき、僕も会ったんだ」
「そうなの?」
ようやく母は、スマホから目を離した。
「その真子さんは、あなたたちのことは知っているの?」
「いや、それが、『友達です』って言ったんだけど、なんだかバレちゃって……」
「ふうん」
「叔父さんにも『友達です』って言ったのに、やっぱりバレちゃったんだよね」
そう言うと、母が笑った。
「なんだか面白いわね」
「そう?」
「うん、面白い」
そう言いながら、まだ笑っている。なんだかわからないけれど、僕もおかしくなって笑った。