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第53話 二人で話がしたい

 その夜、僕たちは、実に久しぶりにバスルームで淫らな行為にふけった。くたくたになって、ベッドに身を寄せて横たわっている。


 ちらりと顔を見ると、彼は微笑んでくれる。僕は優しくてきれいな笑顔を見つめながら、気になっていたことを聞いてみた。


「あのさ、本当に、もうご両親と会うつもりはないの?」


「うん。今さら会っても、話すこともないし、最近は、思い出すこともないよ」


「でも、ご両親は、仁さんのことを気にしているかも」


 彼はふふっと笑う。


「まあね、気にしているかもしれないけど、今の家族に気兼ねもあるだろうし、実際、何も言って来ないんだから、会う必要ないよ」


「でも……」


「僕のこと、心配してくれているの?」


「だって……」


 彼の孤独を思い、胸が痛い。


「大丈夫だよ。僕には晴臣くんがいてくれるし、叔父さんも、とてもよくしてくれるし。


 ああ、でも、叔母さんたちには、いずれちゃんと話さなくちゃな」


「真子さんのお母さん?」


「そう、両親よりもずっと世話になっているし。いきなり話したら、やっぱり驚かれるだろうから、あらかじめ、真子にそれとなく言っておいてもらおうかな」


「それ、いいかも」



 そこで彼が、体ごとこちらに向いた。


「一度、晴臣くんも叔母さんたちに会ってみる?」


「あ……うん、いいけど」


 緊張するけれど、この先もずっと彼と生きて行くならば、やはりきちんと挨拶しなくてはいけないだろう。


「カフェを始める前に、旅行を兼ねて会いに行こうか。真子も歓迎してくれるんじゃないかな」


「そうだね」


 真子さんがいれば、きっとうまくとりなしてくれるだろう。




 翌日、彼と遅めの朝食を取っていると、ベッドサイドに置いたままのスマホが着信を告げた。慌てて席を立って手に取ると、母から電話だ。


 彼が食事の手を止めて見つめる前で電話に出る。


「もしもし、お母さん?」


「晴臣、昨日はごめんなさいね」


「ううん、こっちこそ」


「取り乱してしまって、笹垣さんにも勝義さんにも、ずいぶん失礼なことを言っちゃったわね。悪かったと思っているわ」


「僕のせいだよ」


「そんなことないわ。ただお母さん、本当にびっくりして……」


「そりゃそうだよね」


 息子がゲイだと知っただけでも驚いただろうに、恋人がいるとか、その恋人とカフェをやるとか、いきなり一度にいろんなことを言われて、冷静でいろと言うほうが無理だ。


 母が続ける。


「それで、後から少し落ち着いて考えてみて、まずは一度、あなたと二人で話がしたいと思ったの」


「うん」


「いい?」


「もちろん」


「お父さんがいても邪魔なだけだから、平日の昼間にいらっしゃいよ」


 僕は思わず笑ってしまった。


「いいけど、お父さんは何か言っていた?」


「ううん。あの人は考えるのが苦手な人だから、今のところは、ただ驚いているだけよ」


「ずっと驚きっぱなしなの?」


 母も笑った。


「昨夜は、なんだか唸りながらビールを飲んでいたわ」




 電話を切ると、食事を再開していた彼が言った。


「お母さん、なんだって?」


「一度、二人で話がしたいって。昨日は取り乱して、仁さんにも叔父さんにも失礼なことを言っちゃったって、反省していたよ」


 彼は微笑む。


「あの場合は仕方がないよ。でも、お母さんはいい人だね」


「うん。僕がちゃんと話せば、きっとわかってくれると思う」


「そうだね」




「うにゃ~ん」


 その日、家に入って行くと、この前はどこかに隠れて出て来なかった桃太郎がやって来た。


「モモ、久しぶり」


 ひざまずいて顔を撫でると、ゴロゴロ言いながら顔をグイグイ押しつけてくる。



 母は昼食を用意してくれていた。唐揚げとキンピラは、5月に作ってくれたのと同じだ。


「まずはお昼にしましょう」


「おいしそう。いただきまーす」


「たくさん作ったから、持って帰るといいわ。勝義さんと二人で、いつも食事はどうしているの?」


「叔父さんが作ってくれることもあるし、一緒に近くの和食屋さんに行くこともあるよ。安くておいしいんだ」


「そうなの」


「あっ、この前、教わって、初めてカレーを作ったよ」


「勝義さんに?」


「いや、あの……」


「笹垣さんに?」


「……うん」


「カフェを開くくらいだから、料理が上手なんでしょうね」


「うん、すごく」


 気まずくなって、僕は唐揚げを頬張る。


「これも、すごくおいひい」


 慌てて言うと、母は苦笑した。




「お母さん、笹垣さんのことを何も知らないから、話してくれる?」


「うん」


 でも、何から話せばいいんだろう。思案していると、母が言った。


「自分が好きな人のことを親に話すなんて、照れくさいわよね」


「……まあね」


「私があなたの立場だったら、やっぱりなかなか話せなかっただろうと思うわ。性別云々ということを抜きにしても」


「お母さんも、昔はそうだった?」


「そうね。ボーイフレンドのことを家で話したりはしなかったわね」


 当たり前だが、母にもそういう時代があったのだ。


「でも、お父さんのことは話したんでしょう?」


「お父さんとは上司の紹介で、半分お見合いみたいなものだったから」


「へえ、そうなんだ」


 僕はずっと、両親のなれそめは社内恋愛だと認識していたのだけれど、意外だった。というか、母はともかく、父の恋愛など想像もできない。



「笹垣さんとは、SNSで知り合ったんだっけ?」


「そう。実は、最初は僕の一目ぼれ」


「あら」


 この際だから、話せることは話してしまおうという気になっていた。母ならば、きっとわかってくれると信じて。



 SNSの話から、母が見たいと言ったので、今までに撮った空の写真を見せた。


「へえ、素敵じゃない。マンションのベランダから撮るの?」


「だいたいはそう。すごく見晴らしがいいから」


「そうよね。うちのベランダから見たって、電線越しの空しか見えないもんね」


「叔父さんのマンションに引っ越さなかったら、空を撮ろうなんて思わなかったよ」


 そうでなかったら、SNSをやることも、彼と知り合うこともなかったのだ。そんなことを考えていると、母がニヤニヤしながら言った。


「あなたが一目ぼれしたっていう、笹垣さんの写真を見せてよ」


「えっ……」


 恥ずかしいけれど、ここまで来て見せないわけにもいかないだろう。僕は観念して、画像を開いてスマホを差し出す。


 母がじっと、例の彼が猫を抱いた写真を見つめている。は、恥ずかしい……。


 照れ隠しに、僕はまくしたてる。


「これは、仁さんの従妹の真子さんが東京に遊びに来たときに、猫カフェで撮ったんだって。SNSで猫の画像を検索していて、偶然見つけたんだ。


 ほら、桃太郎ともたまにしか会えないし、猫を見て癒されようと思ってさ」


「ふうん」


 僕をちらりと見てから、母は再び画面に目を戻す。


「あっ、それで、今年の春にも真子さんが東京に来て、そのとき、僕も会ったんだ」


「そうなの?」


 ようやく母は、スマホから目を離した。


「その真子さんは、あなたたちのことは知っているの?」


「いや、それが、『友達です』って言ったんだけど、なんだかバレちゃって……」


「ふうん」


「叔父さんにも『友達です』って言ったのに、やっぱりバレちゃったんだよね」


 そう言うと、母が笑った。


「なんだか面白いわね」


「そう?」


「うん、面白い」


 そう言いながら、まだ笑っている。なんだかわからないけれど、僕もおかしくなって笑った。

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