「気がついたときには、同性が恋愛対象だったんだ。だけど、きっと一生恋人なんてできないと思っていたから、誰にも言うつもりはなかった。
高3のとき、学校に行けなくなって、進学も就職もできなくて、お父さんたちをがっかりさせてしまったけど、原因は、実は失恋だったんだ。
あのとき、いくら聞かれても話せなかったけど、くだらない理由でごめん」
母が、ゆらゆらと首を横に振る。
「失恋って言っても、別に告白して振られたわけじゃなくて、片思いの相手に冷たい言葉を投げかけられて、勝手に傷ついただけなんだ。バカみたいだけど、苦しくて悲しくて、眠れないし、食べられないし、ただ涙が止まらなくて……。
そんなことで、みんなに迷惑をかけて、本当にごめんなさい。あのとき、もしも理由を打ち明けていたら、もっとがっかりさせてしまったかもしれないけど、少なくとも、今日、こんなことには……」
もしもあのとき、勇気を出して話していたら、こんなふうに今、両親や彼に辛い思いをさせずに済んだかもしれない。こみ上げる涙を必死にこらえていると、叔父さんが、穏やかな声で話し始めた。
「あのときの晴臣くん、ガリガリに痩せて、今にも倒れてしまいそうで、本当に心配だったなあ。アルバイトをお願いしたときも、内心は、こんな状態で一人暮らしをさせて大丈夫かなって、ちょっと不安だったんだ。
だけど、すごくよくやってくれて、久しぶりに帰って来たら、マンションの中はモデルルームみたいにピカピカだし、それに晴臣くん本人も、あのときの憔悴ぶりが嘘みたいに、元気そうで明るくて、本当にびっくりしたよ」
それから叔父さんは、両親に向かって語りかける。
「その理由が、笹垣さんに会ってわかったんですよ。はたから見ても、二人はとてもいい関係を築き上げていて、お互いを大切に思っていることがわかって。
彼がそばにいるから、晴臣くんはこんなに幸せそうなんだなあと思いました。バツイチの身としては、うらやましいくらいですよ」
さらに叔父さんは、父に向かって言った。
「さっきから一言も話さないけど、兄さんはどう思っているの?」
すると父は、目をしばたたかせながら言った。
「どう思っているも何も、俺だって突然のことに驚いているんだ。今まで、晴臣の趣味嗜好がどうだとか、具体的に考えたことはなかった。
女っ気がないのはわかっていたけど、内気だし、高校に入ってからは友達もいないようだったし、ただ単に、人付き合いが苦手なんだろうと……」
父の話が途切れたところで、彼が口を開いた。
「今日は、晴臣くんと交際していることとともに、これからのことなどもお話ししたかったんですが、日を改めたほうがいいでしょうか」
すると、母が疲れたように言った。
「まだほかにもあるのね。受け止められるかどうかわからないけれど、後回しにされたら気になって仕方ないから、今、全部話してください」
ずいぶん失礼な言い草だと思うけれど、それは多分、僕のせいでもあるのだ。僕のせいで、両親はひどく動揺している。
彼はあくまで誠実に、丁寧に話した。
「僕は現在、会社に勤めていますが、カフェを開くのが夢で、この数年、そのための準備をしながら暮らして来ました。本来ならば、あと3年ほどは貯金と勉強に当てるつもりでいたんですが、最近、とても条件のいい貸店舗が見つかりまして」
そこで叔父さんが話に加わる。
「実は、僕が彼にお勧めしたんですよ。マンションの近くなんです」
母が、叔父さんをじろりと見た。彼は続ける。
「カフェを開くのは、長年、自分一人の夢だったんですが、晴臣くんと出会って、彼と二人でカフェを営むことが新たな夢になったんです。
晴臣くんに話したところ、快諾してくれまして」
「つまり、これから、晴臣と二人でカフェをやるということなのね? 私たちが知らない間に、勝義さんもグルになって、そんな具体的なところまで話が進んでいるのね」
「グルだなんて……」
叔父さんの言葉には答えず、母は、彼を真っ直ぐに見たまま言った。
「このことは、あなたの親御さんはご存じなの?」
「それは……」
彼は口ごもる。
「ご存じないの?」
たたみかける母に、僕は言った。
「仁さんには家庭の事情があるんだよ」
「『仁さん』……」
彼が静かに話し始める。
「両親は早くに離婚し、それぞれ再婚して子供もいるので、僕はもう何年も会っていません。今後も会うことはないと思いますし、このことも、あえて報告するつもりはありません」
「そうなの……」
「ただ、晴臣くんのご両親には、ご理解いただけたらと思いまして」
数秒の沈黙の後、母は大きなため息をついた。叔父さんが言う。
「兄さんと義姉さんの気持ちもよくわかります。でも、どうすることが晴臣くんの幸せなのか、じっくり考えてみてください。
知り合って間もない僕が言うのもなんですが、笹垣さんなら、きっと一生晴臣くんを大切にしてくれますよ。僕も、必要とあらば、若い二人を全力でサポートするつもりです」
その後、両親とも黙り込んでしまい、今日のところはこのまま帰ることになった。帰りがけに、彼が「また改めてご挨拶に伺います」と言ったけれど、はっきりとした反応はなかった。
見送りもないまま玄関を出ると、ずっとこらえていた涙がこみ上げ、僕は泣いてしまった。
「晴臣くん」
彼が、そっと肩を抱いてくれる。
「僕のせいで、みんなに嫌な思いをさせちゃった……」
「違うよ、君のせいじゃない」
叔父さんも言ってくれる。
「誰も悪くないよ。兄さんたちは、今はまだ事実を知ったばかりで驚いているけど、君を愛しているからこその反応なんじゃないかな。
これは避けて通ることのできない道だったんだし、きっと時間が解決してくれるさ」
みんなで駅に向かって歩き出しながら、彼が叔父さんに言った。
「今日は本当にありがとうございました。同席していただいただけでも心強かったですけど、間に入っていろいろ話していただいて」
「いやあ、たいしたことは言えなかったけどね」
「そんなことありません。本当にうれしかったです」
「僕も……」
小さくつぶやくと、叔父さんが微笑みかけてくれた。
その後そのまま、僕は久しぶりに彼の部屋に泊まりに行くことになった。落ち込んでいる僕を見て、叔父さんが勧めてくれたのだ。
マンションの最寄り駅で叔父さんは降り、僕たち二人だけになった。空いた席に座りながら、彼が言った。
「今夜は何が食べたい?」
「そうだなあ……」
今のところ、あまり食欲はないけれど。
「何か作ってもいいけど、コンビニで買って行く?」
「うん」
彼だって、今日は大変だったのに、僕に気を遣ってくれる。しっかりしなければ。
「あのね、明日の朝は炊飯器ケーキがいいな」
そう言うと、彼が笑った。
「いいね、チーズを入れようか」
「うん、あれ大好き」
それに、彼のことも、親身になってくれる叔父さんのことも大好きだ。炊飯器ケーキと一緒にしてはいけないけれど……。