僕は心配になって、言いよどむ彼を見つめる。小さく息を吐いてから、彼は続ける。
「契約する前に、いろいろやらなくてはならないことがあります。会社もすぐには辞められないでしょうし、晴臣くんには話してあるんですが、カフェを開くときには、同時に彼と一緒に暮らし始めるつもりでいました。
つまり、カフェも晴臣くんも、僕にとっては一生の……。でも、それはまだちょっと無理だなあと」
「なあんだ、そんなこと?」
思わず顔を見ると、叔父さんはにこにこしている。
「それなら、うちのゲストルームを二人で使えばいいじゃない。晴臣くんのベッドも移動してさ。
もちろん、いずれカフェが軌道に乗って余裕が出来たときには二人で部屋を借りればいいし、当面の間のことだよ」
「でも……」
「おじゃま虫がいて申し訳ないけど、なるべく出しゃばらないように気をつけるからさ」
「そんな! そんなことはちっとも思いませんけど、そこまでお世話になっては……」
叔父さんは、相変わらずにこにこしている。
「どうせ空いてる部屋なんだから、遠慮しないでよ。家賃も本当はいらないけど、それだと居心地が悪いだろうから、ほんの気持ちだけいただくことにしようかな」
「あっ……ありがとうございます」
感激している彼の横で、僕の胸も熱くなる。叔父さんって、本当になんていい人なんだろう……。
だが、話はそれで終わりではなかった。
「あっ!」
彼が声を上げた。
「その前に、もっと大事なことがあります」
「……なんだい?」
「何よりもまず、晴臣くんのご両親にお会いして、僕たちの関係や、これからのことについてお話ししないと」
「あ……!」
今度は僕が声を上げた。そうだった、すっかり失念していたけれど、それがあったのだ。
「ご両親は、きっとショックを受けるでしょうし、簡単に許していただけるとは思いませんけど、少しでもわかっていただきたいんです」
「そうか、そうだよね」
叔父さんはうなずく。
「僕も協力するよ。君たちのことも、兄さんたちのこともよくわかっているつもりだからね」
「……ありがとうございます」
「そもそも、あの店舗を勧めたのは僕だし、知らん顔しているわけにはいかないよ。できることはなんでも喜んでさせてもらうから」
ああ、本当に叔父さんって……。涙ぐみそうになっていると、叔父さんが、フォークを手に取りながら笑顔で言った。
「さあ、ケーキ食べよう。紅茶が冷めちゃうよ」
「もしもし、お母さん?」
僕は翌日の午後、母に電話をかけた。
「あら、晴臣。久しぶりね」
「ああ、うん」
「どうしたの? 何かあった?」
「ええと、あの……今、話して大丈夫?」
母が、ふふっと笑ったのがわかった。
「大丈夫よ。お昼ご飯を食べ終わって、の~んびりしていたところ」
僕は、内心ドキドキしながら切り出す。
「あの、ちょっと話したいことがあってさ」
「なあに? 何か困ったことでもあるの?」
「いや、困ってはいないんだけど……」
おいおい、しっかりしろ。僕は自分を叱咤してから切り出した。
「あのね、大事な話があって、叔父さんと、それから、その、もう一人、親しい人と一緒に家に行きたいんだ」
「勝義さんと、親しい人?」
「そう。それで、お父さんとお母さんの都合のいい日を教えてもらいたいと思って」
「……そう」
「叔父さんたちは、お母さんたちの都合に合わせるって言っているから、日にちが決まったら教えてもらえる?」
「それはいいけど、いったいどういう話なの?」
母の声は、どこか不安そうだ。
「それは、会ってから話すよ」
だが、母はさらに言いつのる。
「親しい人っていうのは、女の子なの? もしかして……」
「違うよ」
遮るように言ってしまってから、今の言い方はきつかったと後悔した。だんだん僕も不安になって来た。
週末の午後、僕たちは、実家の応接間のソファ座っている。僕と彼の向かい側に父と母、叔父さんは、テーブルの角を挟んで僕の隣に、食卓から運んで来た椅子にかけている。
叔父さんにはあらかじめ、「僕はオブザーバーとして同席するけど、必要なときにはきちんと話をするから、まずは二人でやってごらん」と言われている。
張り詰めた空気の中、休日ながら、スーツを着た彼が口を開いた。
「本日は、お時間をいただき、どうもありがとうございます。笹垣仁之助と申します」
訳が分からないといった表情の両親は、曖昧にうなずく。彼は緊張の面持ちながら、落ち着いた声で続ける。
「晴臣くんのご両親に、ぜひ聞いていただきたいことがありまして、お邪魔させていただきました」
「あの……」
母が、僕と彼を見比べながら言った。
「笹垣さんは、いつか晴臣が言っていた『お友達』なのかしら」
僕は慌てて答えた。
「あっ、そう、だけど」
転んで怪我をして実家に戻っていたとき、たしかに彼のことをそう話しはした。彼が言う。
「晴臣くんとは、一年ほど前にSNSで知り合いまして、それからずっと仲良くさせていただいています。それで、ですね」
彼も、もちろん僕も、この先の展開を考え、とても緊張している。僕はドキドキし過ぎて、気分が悪くなりそうなくらいだ。
だが、勇敢にも彼は切り出した。
「ご両親は、さぞ驚かれることと思いますが、僕と晴臣くんは、その……恋人同士として真剣にお付き合いさせていただいています」
ついに言った! 部屋の空気が凍りついた。
僕はうつむいたまま、怖くて顔を上げることができない。沈黙を破ったのは叔父さんだった。
「兄さんたちが驚くのも無理はないと思うけど、彼はとてもいい青年だよ。真面目だし、将来のこともちゃんと考えているし、何より、晴臣くんのことをとても大切にしてくれている」
母が、きっと叔父さんをにらむようにして言った。
「勝義さん、知っていたの?」
叔父さんは、穏やかに答える。
「知っていました。日本に帰って来てから、何度か一緒に食事をしたり、将来の夢について聞かせてもらったり」
「知っていて、黙っていたの?」
「待ってお母さん」
僕は慌てて口を挟む。
「叔父さんを責めないで。叔父さんは悪くないよ」
母の顔から血の気が失せている。
「だけど、男同士でって、普通のことじゃないでしょう? どうして一言……」
ああ、やっぱりこういうことに……。すると、彼が頭を下げながら言った。
「すいません。いつかご挨拶に伺わなくてはと思いながら、時間が経ってしまいました」
彼が謝ることはない。そう思ったとき、叔父さんが言った。
「僕は、同性同士で恋愛するのが悪いことだとは思いません。人と人が愛し合うのに、性別は関係ないと思いますよ」
「悪いことだなんて言ってないわ。ただ、突然そんなことを言われても、頭がついて行かないのよ」
そう言って、母は両手で顔を覆ってしまった。
「……だったら、僕のせいだ」
思わずそうつぶやくと、はっとしたように母が顔を上げ、みんなの視線が僕に集まった。怯みながらも、僕は話し始める。