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第45話 明るい部屋で

 叔父さんが連れて行ってくれたのは、歩いて五分ほどの、裏通りにある「さがみ屋」という上品な和食屋さんだった。ここで暮らし始めてずいぶん経つけれど、こんなところにお店があるとは知らなかった。


「大将」


 叔父さんが、暖簾をくぐりながら声をかけると、カウンターの奥にいた坊主頭の大将の顔に、ぱっと笑顔が広がった。


「日下部さん、いつ帰っていらしたんですか?」


「今日の午後に成田に着いたばかりなんですよ。あっ、甥っ子の晴臣です」


 紹介されて、僕はぺこりと頭を下げる。


「こんばんわ」 


 大将は、僕にも笑いかけてくれた。


「いらっしゃい」



 僕たちは、畳敷きの個室に案内された。座布団の上にあぐらをかきながら叔父さんが言う。


「マンションにいたとき、よく来ていたんだよ。特に奥さんだった人と気まずくなってからは、かなり頻繁に」


 そう言って、叔父さんは苦笑した。


「そうなんですか?」


「うん。向こうの住まいの近くにも和食屋はたくさんあったけど、ここの味が懐かしくてねえ。


 でも、晴臣くんは洋食のほうがよかったかな」


「いえ、僕も和食好きです。キンピラとか」


「二十歳の男子にしちゃ、渋い好みだね。ここにもキンピラはあるんじゃないかな」


 叔父さんはメニューを開いて見ている。


「晴臣くんも、遠慮しないでなんでも好きなものを頼んで」


「はい」


「お酒は飲むの?」


「お父さんの晩酌のときに『付き合え』って言われて、ちょっとビールを飲んだりはしたけど、自分からは飲まないです」


「そう。最近は、兄さんとうまく行っているの?」


「うまく行ってるってほどでもないですけど、前みたいに嫌味を言われたり、ギクシャクしたりはなくなりました」


「それはよかった。兄さんは、なんでもずけずけ言うからなあ」


「叔父さんのおかげです」


 叔父さんが、きょとんとしてこちらを見る。


「えっ、僕?」


「叔父さんがマンションの管理を任せてくれてくれたから。お父さんは、初めは僕には無理だって思っていたみたいだけど、せっせと掃除しているのを知って、少しは見直してくれたのかもしれないです」


「なるほどね。でも僕は、晴臣くんなら、ちゃんとやってくれると思っていたよ。


 君は、真面目で几帳面な性格だってわかっていたから」


「そういうところ、お母さんに似たみたいで」


 叔父さんが笑う。


「そうだよね、兄さんはズボラだもんな。そのくせ人には厳しいんだから困るよね」


 叔父さんの言葉に、僕も笑った。叔父さんとならば、楽しく暮らしていけそうな気がする。




「あー、うまかった。腹いっぱいだ」


 帰り道、すっかり暗くなった路地を並んで歩く。冷酒を飲んでほろ酔いの叔父さんは上機嫌だ。


「僕もお腹いっぱいです。ホント、すごくおいしかった」


 どれも上品な味でとてもおいしいのに、値段は思ったよりリーズナブルだった。


「晴臣くんは、料理はしないんだろう? じゃあ、これからもときどきあそこで晩飯にしよう」


「はい」



 路地を曲がると、マンションが見えてきた。僕は聞いた。


「帰ったら、お風呂沸かしますか?」


「いや、シャワーでいいよ。僕は帰ったら、少し荷物の整理をしたいから、晴臣くん先に浴びていいよ」


「はい」


「出社は来週からだから、朝も僕のことは気にしないで、いつも通りにして。明日の朝は、多分寝坊するから」


「わかりました」




 自室に入ってスマホを開くと、彼からメッセージが来ていた。


―― 今帰りの電車の中。叔父さんは到着した?



 1時間ほど前のものだ。すぐに返信する。


―― お仕事お疲れ様。叔父さんは夕方に着いて、一緒に外食して、今マンションに帰って来たところ。



 すぐに返信が来た。


―― 久しぶりに会った叔父さんはどうだった?


―― 前に会ったときと全然変わっていなくて、すぐに普通に生活できるのはありがたいって言ってくれた。


―― そう、よかったね。


―― うん。仁さんは、もうご飯食べた?


―― 食べたよ。


―― 何食べたの?


―― 今日は忙しくて疲れたから、コンビニの弁当で済ませた。


―― 疲れちゃったの? 大丈夫?


―― 晴臣くんが自撮りを送ってくれたら元気が出ると思う。



 おっと、そう来たか。


―― じゃあ、今撮るから、ちょっと待って。



 急いでアプリで撮ってから、メッセージを添えて送信。


―― 元気になあれ!


―― かわいい。元気出てきた。


―― ホント? よかった。僕も仁さんの自撮りがほしいな。



 すると、すぐに画像が送られて来た。Tシャツを着て、ベッドでくつろいでいる姿だ。 


――今度の週末は来られそう?



 ちょっと首をかしげて微笑む姿にキュンとする。今すぐにでも、彼の隣に行きたいくらいだ。


 叔父さんは、いつでも好きなときに出かけてかまわないと言ってくれている。


―― もちろん行けるよ。



 だが、彼が言った。


―― でも、しばらくは泊まりは控えたほうがいいよね。



 叔父さんは、友達の家に泊まると言えば快く送り出してくれると思うけれど、今までのように毎週、しかも二日続けてというのは、さすがに気が引ける。


―― たまにはいいと思うけどね。


―― じゃあ、今度の週末は、泊まらない分、昼間から部屋でイチャイチャしよう♥




 午後の明るい部屋で淫らな時間を過ごした後、枕に顔をうずめる僕の髪を撫でながら、彼が言った。


「叔父さんとの生活にはもう慣れた?」


「うん」


「やっぱり、今までとは違う?」


「そうでもない。いろいろやることが増えるかなって思っていたけど、叔父さんは、自分のことは自分でするし」


「へえ、そうなんだ」


「今まで通り、掃除だけしてくれればいいんだよって言うんだ」


「ふうん」


「でも、朝ご飯は一緒に食べるよ。目玉焼きとか作ってくれる。


 叔父さんも、わりと料理は好きだって言っていたよ。夜は、たまに一緒に外で食べる」


「例の和食屋さん?」


「うん」


「叔父さんと暮らすの、楽しい?」


「わりと」



 それきり彼が黙ってしまったので、顔を上げて見ると、ぼんやりと虚空に目をやっている。


「仁さん?」


「ああ」


 ちらりと僕を見て、彼が言った。


「今の気持ちを正直に言うと、ちょっと嫉妬してる」


「え?」


「もちろん、おかしな意味じゃないけど、叔父さんは、晴臣くんと一緒に暮らせていいなあって」


「あ……」


 僕は思わず、裸の胸にしがみついた。彼と毎日一緒にいられたらどんなにいいだろう。


 年末に、ずっと彼の部屋に泊まり込んだときも、すごく楽しかった。あんなふうにして暮らせたら……。


 彼が、ぎゅっと僕を抱きしめる。


「変なことを言ってごめん」


「ううん、僕も仁さんと暮らしたい……」




 夜、マンションに帰ると、叔父さんはビールを飲みながらテレビを見ていた。


「ただいま」


「おかえり。楽しかったかい?」


 今日は友達と会うと言って出かけたのだ。


「はい」


 叔父さんが、ごくりとビールを飲んでから言った。


「今度ここに連れてきたら?」


「……え?」


「お友達だよ。なんならゲストルームに泊まってもらったっていいし」


 叔父さんは、何の気なしに言ったようで、すぐにテレビのバラエティー番組に目を戻し、司会者の言葉にあははと笑った。

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