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第43話 汗だく

―― 晴臣くんの気持ちはよくわかったよ。真面目な君らしい考え方だと思う。


 でも、困ったな。実は、秋に日本支社に配置換えになるんだ。


 日本に帰ったら、マンションから会社に通うことになるけど、晴臣くんにそのままいてもらって、今まで通り家の中のことをしてもらおうと思っていたんだよ。


 全部自分でやるのはちょっと大変かなあと思うし、他人を雇うのもいろいろ不安だから、できればこのままアルバイトを続けてほしいんだけど、ダメだろうか。


 返事は急がないから、もう一度考えてみてくれないかな。




「えっ、そうなの?」


 彼が驚きの声を上げた。返信をもらった日の夜、電話しているところだ。


「うん。覚悟を決めて、勇気を振り絞ってメッセージを送ったのに、なんだか拍子抜けしちゃった」


「お母さんたちは、なんて?」


「叔父さんがそう言っているなら、今まで通り続ければいいんじゃないかって言われた」


「そうかー。それで、晴臣くんの気持ちはどうなの?」


「うん。叔父さんが必要としてくれているなら、それでもいいのかなって。


 掃除は嫌いじゃないし、叔父さんには、仁さんに話してから返事をしようと思ってさ」


「へえ、僕のこと気にしてくれたの?」


「仁さんは大切な人だから、決める前に報告したくて」


「ありがとう、うれしいな。もちろん僕も、アルバイトを続けることに賛成だよ」


「ありがとう……」


 そう言ってくれて、僕のほうこそ、とてもうれしい。


「きっと叔父さんも、君の返事に喜んでくれるんじゃないかな」


「そうだといいけど」


「そうに決まってるよ」



 そうして僕は、今後も今まで通りにアルバイトを続けることになったのだった。




 骨はしっかり修復され、無事にギプスも外れたものの、手首が固まり、筋肉も弱っているので、しばらくリハビリに通うことになった。その間は、実家にとどまる。



 そんなある日、母と二人で昼食を取っているときに、僕は言った。


「あのさ、お母さん」


「うん?」


「僕の代わりに、ずっとマンションに掃除をしに行ってくれたでしょう」


「週に一回だけどね」


「だからさ、その分のアルバイト代は、お母さんに受け取ってもらいたいんだけど」


 そう言うと、母は笑った。


「そんなこと気にしなくていいのに、律義な子ねえ」


「僕の律義なところは、お母さんから受け継いでいるって言われたよ」


 母が微笑みながら僕を見る。


「誰に?」


 その瞬間、自分が失言したことに気づいた。僕はあたふたしながら答える。


「いや、ええと、友達に」


 それに対して、母が何げなく言った言葉に、僕はさらにぎょっとした。


「いつも電話で話している人?」


「えっ!?」


 驚いて見つめる僕に、母はひらひらと手のひらを振りながら言った。


「別に聞き耳を立てていたわけじゃないわよ。でも、いつも部屋から話し声が聞こえるから、そうなのかなって思っただけ」


「あっ……そうなんだ」


 たしかに、うちは安普請だから、内容まではわからなくても、声ぐらいは聞こえていたかもしれないが、それにしても、なんだか恥ずかしい。


「晴臣にも電話で話すようなお友達がいるのねと思って、お母さん安心したのよ。高校のときのお友達なの?」


「いや、それが、ネットで知り合ったんだ」


「あら……」


 母の顔から笑みが消えた。ネットで知り合ったと聞いて、心配になったのだろうか。


 僕は慌てて言う。


「SNSで知り合ったサラリーマンの人で、住んでいるところがマンションとわりと近くて。


 すごくいい人だよ。将来カフェをやるのが夢で、今はそのために貯金をしているんだって」


「そう。真面目なのね」


「うん、すごく真面目な人で、年上だけど気が合うんだ」


「そうなの。いい人とお友達になれてよかったわね」


 ついベラベラとしゃべってしまったけれど、母がようやく微笑んでくれたので、ほっと胸を撫で下ろす。


 ずっと彼のことを話す勇気がなかったのに、思わぬところで言ってしまった。




―― そういうわけで、今日はこのままチャットでいいかな。



 その日の夜のことだ。別に電話で話してもかまわないのだけれど、母に知られていたことが、ちょっと気まずい。



―― もちろんいいよ。


―― カフェをやるのが夢で貯金しているとか、余計なことまで話しちゃってごめん。


―― かまわないよ。本当のことだし、お母さんが安心してくれたならいいけど。


―― それは大丈夫だよ、「いい人とお友達になれてよかったわね」って言っていたし。


―― まあ、本当は友達じゃないけどね。


―― それはそうだけど。


―― あっ、余計なことを言ってごめん。とりあえず、僕のことを話したことは前進だよね。


―― そうだよね。これからは、堂々と「友達と遊ぶ」って言えるし。



 本当は、少し複雑な気分だ。実際は恋人なのに、母に友達だと言ったこと、でも、恋人だと打ち明ける勇気はないこと、それについて、彼に対しても申し訳ない気がすること、などなど。



 考え込んでいると、彼からメッセージが来た。


―― さっそくだけど、今度の週末、お母さんに「友達と遊ぶ」って言って久しぶりに僕の部屋に来ない?



 あ……。




 その日彼は、最寄りの駅まで迎えに来てくれた。すでに夏真っ盛りで日差しが強い。


「晴臣くん」


 微笑みながら手を上げる彼に、僕は駆け寄る。


「仁さん! 今日も暑いね」


「帰ったらクリームソーダを作ろうか」


「やった!」


 並んで歩き出しながら、彼が言った。


「腕の調子はどう?」


「手首がまだあんまり動かないし、指に力が入らないんだ」


「そう」


「でも、リハビリに通ってるし、すぐに元通りになると思うけど」


「それならよかった」




 彼が部屋のドアを開ける。


「さあ入って」


 中は、エアコンが効いていて、ひんやりしている。


「この部屋、久しぶり」


 そう言いながら靴を脱いで上がるなり、彼に抱きすくめられた。


「本当に久しぶりだね。ああ、ずっとこうしたくてたまらなかったんだ」


 僕は、ちょっと焦って言う。


「あっ、待って。汗かいてるから……」


 暑い中を歩いて来て、びちょびちょで恥ずかしい。だが、彼はつぶやいた。


「いいよ」


 そして唇をふさがれる。キスなんて、本当に久しぶりだ。最後にしたのはいつだったっけ……。


 甘く長いキスの後、彼にいざなわれ、僕たちは、そのままベッドに移動した。




 僕たちは、裸のままベッドに横たわっている。エアコンが効いているにも関わらず、二人とも汗だくだ。


「晴臣くん」


 彼が、僕の髪を撫でてくれる。


「とても素敵だったよ」


「あ……仁さんも」


 そう言いながら、恥ずかしくて、僕は枕に顔をうずめる。


「腕、大丈夫だった?」


「うん」


「喉乾いただろ?」


「うん」


「シャワー浴びて、クリームソーダ飲もう」


「うん」


 ああ、恥ずかしいけれど、なんて幸せな時間……。

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