デザートのフルーツパフェを食べながら、彼が言った。
「これを食べたら、そろそろ帰る?」
「あ……」
「お母さんが心配するといけないから」
「そうだね」
まだまだ一緒にいたいけれど、仕方がない。うつむいていると、彼が言った。
「家の近くまで送って行くよ」
「ホント?」
「うん。なんならお母さんにご挨拶したいくらいだけど、それはまたいずれ」
そう言って、彼は笑った。
ぶらぶらと家に向かいながら話す。
「仁さん、明日はどうしてるの?」
「まあ、いつも通り、掃除をしたりして、あとはゴロゴロしているかな」
本当は明日も会いたいけれど、母の手前もあるし、そういうわけにもいかないだろう。
「また連絡するよ」
「うん」
間もなく、家の近くの曲がり角まで来てしまった。
「あそこの電柱のところがうちだよ」
「そう」
本当は、まだ離れたくない。
「今日はわざわざこんなところまで会いに来てくれて、どうもありがとう。顔が見られて、たくさん話せて、すごくうれしかった」
「僕もだよ。晴臣くんの失恋の相手にも会えたし」
「もう……」
彼は優しく微笑んでいる。
「じゃあ、もう行って。ここで見送っているから」
「……うん」
「後でまた、電話で話そう」
「うん。じゃあ、また」
僕は、彼の顔を数秒見つめてから、家に向かって歩き出す。門の前まで行って振り返ると、小さく手を振ってくれた。
僕も振り返してから、門の内側に入る。ああ、切ない……。
「ただいま」
「ああ、おかえりなさい」
家に入ると、父と母は、居間でテレビを見ているところだった。母が言う。
「お昼は食べて来たのよねえ」
「うん」
「そう」
母はテレビに視線を戻す。旅番組をやっている。
別に僕の心配なんてしていなかったようだ。だったら、もう少し彼と一緒にいたかったけれど、しょうがない。
僕は二階に上がる。彼と会えてうれしかったけれど、久しぶりの外出は、やっぱり少し疲れた。
小説は、後の楽しみに取っておくことにして、少し休もう。着替えて、僕はベッドに横になる。
最近は、左腕を庇いながら着替えることも、ずいぶんうまくなった気がする。ぼんやり天井を見ながら考える。
彼はもう、駅に着いて電車に乗っただろうか。ここから彼のマンションの最寄り駅まではけっこうかかる。
途中で乗り換えがあるし。こんなに遠くまで会いに来てくれて……。
目を閉じて、今日あったことを一つ一つ思い返す。
公園のベンチに向かって歩いて来る彼を見たときは、ちょっと小此木山で初めて会ったときみたいだった。素敵過ぎて目が離せないっていうか。
ケガのことを心配してくれて、お母さんとのことを気遣ってくれたのも、彼らしくてうれしかったな。僕の好きな本を買って、感想を言い合おうって言ってくれたのも。
用賀と会った僕の気持ちを心配してくれたことも、「ちょっと嫉妬した」なんて言ってくれたことも、久しぶりに一緒に食事をしたことも、家の近くまで送ってくれたことも、全部全部すごくうれしかったし、幸せだった。
だって、あんな素敵な王子様が、僕に優しくしてくれて、僕のことを好きでいてくれるんだよ。あんなパーフェクト・オブ・パーフェクトが、僕の恋人なんだよ……。
僕は幸せな気持ちのまま、いつしか眠った。もしかすると、眠りながら微笑んでいたかもしれない。
そんなふうにして、毎日彼とチャットしたり電話したり、ときどき会ったりしながら日々は過ぎて行った。そろそろギプスが外れるという頃には、梅雨も明けて、すっかり暑くなっていた。
そんなある日、部屋で彼と電話していた僕は、思い切って切り出した。
「あの、ずっと考えていたことがあるんだけど」
「うん? 何?」
「うまく話せるかどうかわからないんだけど……」
僕の言葉に、彼が優しく言った。
「いいよ。大丈夫だから、話してみて」
「うん。あのさ、アルバイトのことなんだけど」
「うん」
「僕がケガをしたとき、お母さんが叔父さんに電話して、ケガが治るまでアルバイトを休むって言ったことは話したよね」
「うん」
「でも、お金はお見舞いとして今まで通り払うって言われて」
「うん」
「それじゃ申し訳ないからって、お母さんが掃除に行くようになって」
「うん。お母さんのそういう律義なところ、晴臣くんも受け継いでいるよね」
「えっ、そう?」
「そうだよ。僕はとても素敵なことだと思うけどね」
「あ……」
「ごめんごめん、話の腰を折っちゃったね」
「そんなことはないけど」
「それで?」
「ああ、うん。もともと僕のために作り出してくれたも同然のアルバイトだけど、ケガをする前はともかく、何もしなくてもお金をくれるっていうのは、なんていうか、ボランティアどころじゃないっていうか……。
僕の言いたいこと、わかる?」
「わかるよ。つまり、言葉は悪いけど、施しみたいっていうか」
「そう、そんな感じ。お父さんは、あいつは金持ちなんだから気にせずもらっておけばいいって言うんだけど」
「なるほど」
「叔父さんはとても優しい人だし、好意でそうしてくれていることはわかっている。でも僕は、やっぱりそれは違うと思うんだ。
お金は、ちゃんと働いた対価としてもらうべきで、そうじゃないのに、ずっともらい続けるなんてできない」
「そうか。それで、晴臣くんはどうしたいの?」
「まずはお母さんたちに話してから叔父さんに話して、場合によってはアルバイトは辞めさせてもらおうかと思って」
「君がそうするべきだと思うなら、それでいいと思うけど、もしもアルバイトを辞めたら、その後はどうするつもりなの?」
「家に戻って、普通のアルバイトを探そうと思ってる。今はお父さんとも前ほどギクシャクしていないし、ちゃんと働けば文句も言われないと思うんだ」
「そうか……」
そう言ったまま彼が黙っているので、僕は不安になって聞いた。
「仁さんはどう思う?」
「うん、それでいいと思うよ。きちんと考えて、君はえらいね」
「別にえらくないよ……」
「そんなことない。このままお金をもらい続けて、ケガが治ったらマンションに戻って、今まで通りの生活を続けたってちっともかまわないのに、それをよしとしない君は、とてもえらいと思うよ」
「あ……ありがとう」
くすりと笑ってから、彼が言った。
「なんなら、一緒に住みながら、僕の部屋の掃除のアルバイトをしてくれてもいいけど、それじゃ嫌だよね」
「嫌じゃないけど……」
「冗談だよ。ちゃんと自分の力でお金を稼ぎたいと思っているんだろ?」
「うん。あんまり自信はないけど、もう二十歳だし」
「君のそういうところ、とても素敵だと思うよ」
「仁さん……」
彼に言われたことに力を得て、翌日、僕は自分の考えを両親に話した。
母は、晴臣が正しいと思うようにすればいいと言い、父は、気にすることはないのにと言った。どちらも予想通りの反応だ。
僕は、一生懸命に考えながら、叔父さんにメッセージを書いて送った。
窮地を救ってもらい、過分なアルバイト代をもらって、とても感謝していること。けれども、いつまでも好意に甘えていてはいけないと思っていること。
ついては、実家に戻って、別のアルバイトを探そうと思っているが、そのことについて、叔父さんの意見を聞かせてもらえればありがたいと思っていることを。
ところが、叔父さんからの返信の内容は、意外なものだった。