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第41話 用賀くん

  その日は朝からいい天気だった。もしも雨だったら、母に出かけることを止められるだろうと思っていたので、少しほっとした。


休日なので、父はまだ寝ていて、母と二人の朝食だ。僕は、内心ドキドキしながら、さり気なさを装って切り出した。


「あのさ、今日はいい天気だし、リハビリも兼ねて久しぶりに出かけようかと思って」


「あら、そうなの?」


 母は味噌汁の中のジャガイモを拾って口に入れる。予想に反して反応は薄い。


「駅前の本屋に行ったりしたいから、もしかしたら、カフェで休んでから帰って来るかも」


「そう。あまり無理しちゃダメよ」


「わかった」


 ふー……。「お母さんも一緒に行く」なんて言われたらシャレにならないと思っていたのだけれど、母もそこまで暇ではないらしい。




 線路沿いの公園のベンチに座って待っていると、約束の時間通りに彼が現れた。僕は思わず立ち上がる。


 久しぶりに見る彼は、白と黒のブロックチェックのシャツをさわやかに着こなしていて、まるでモデルのようだ。僕に気づいて、ちょっと手を上げると、長い足で、あっという間にそばまでやって来た。


「お待たせ」


「あ……」


 感激で、すぐには言葉が出ない。


「……ここの場所、すぐにわかった?」


 彼が、きれいな顔で微笑みながら言った。


「うん。座って話そうか」


「あっ、うん」


 僕たちは、ベンチに並んで座る。彼が周りを見ながら言う。


「緑が多くて、いいところだねえ」


「うん。子供の頃は、よくここで遊んだよ」


「へえ、何をして遊んだの?」


「小学生の頃はそれなりに友達もいたから、鬼ごっことかサッカーとか」


「そうなんだ。ところで、ケガの具合はどう?」


「足はもう、ほとんど痛くない。腕も、力を入れなければ大丈夫」


「そう。でも、三角巾で腕を吊った姿、なんだか痛々しいね」


 彼の心配そうな表情に、かえってニヤニヤしてしまう。気遣いがうれしい。


「右手の爪が切れなくて困っちゃった」


「そうか。どうしたの?」


「お母さんに切ってもらった」


「へえ、なんかかわいいな」


「かわいくないよ。恥ずかしかったけど、右手の爪だけ長いの嫌だから」


 今度は彼がニヤニヤしている。


「その場面、見たかったな。お母さんはなんて言ってた?」


「人の爪を切るのは怖いって」


「そうだよね。うんと小さい頃は親に切ってもらっていたんだろうけど、いつから自分で切るようになったのかなあ」


「ホント、そう言えば、僕も覚えていない。気がついたら自分で切ってたよね」


「今日は、お母さんにはなんて言って出て来たの?」


 僕はうつむきながら答える。


「ええと、本屋に行って、カフェで休んでから帰るって」


 やはり友達と会うとは言いづらかった。でも、何もすることがないので、本を買って読もうと思っているのは本当だ。


「じゃあ、本屋に行こうか」


 顔を上げると、彼は微笑みながら、僕の顔を覗き込んだ。


「うん」



 公園を出て、駅前に向かう。


「晴臣くん、どんな本を読むの?」


「最近は読んでないけど、中学生くらいの頃は、よくSFを読んでた。また久しぶりに読んでみようかなあと思って」


「そうなんだ」


「仁さんは?」


「社会人になってからはビジネス本みたいなのしか読んでないなあ。でも、せっかくだから、僕も久しぶりに小説を読もうかな」




「あっ、これ」


 僕は文庫本の棚から一冊を取り出す。


「昔よく読んでいた作家の本だよ」


「へえ、『星屑の迷宮』か。面白そうだね」


 僕は表紙の後ろに書かれたあらすじを読む。


「高校生の主人公が、宇宙船に乗って旅立つんだって。とりあえず、これを買うことにしようかな」


「じゃあ、僕も同じのを買うよ。読んで感想を言い合おう」


「ホント? 楽しそう」


 楽しみが二倍に増えた。なんて素敵な提案をしてくれるんだ……。



 そのほかにも、僕は二冊ほど小説の文庫本を買って本屋を出た。




 彼が言った。


「少し早いけど、お昼にしようか」


「うん」


「お勧めの店はある?」


「うーん……あんまり詳しくないけど、駅ビルの中にいくつか食べ物屋さんがあるよ」


「じゃあ、駅ビルに行こうか」


「うん」



 駅ビルに向かって歩いていると、向かい側からカップルが歩いて来た。男性のほうが、僕を見て言った。


「日下部じゃん、久しぶり」


「あっ、用賀くん。久しぶり」


 用賀は、ちらりと彼を見てから、僕に目を戻して言った。


「それ、どうしたの?」


 腕のギプスのことだ。


「転んで、骨にひびが入っちゃって」


「うへー、痛そう。お前今、何してんの?」


「ああ、一人暮らししてたんだけど、ケガしたから、今は実家に戻ってる」


 ちゃんとした答えになっていない気がするけれど。だが用賀は、たいして興味がなさそうに言った。


「へえ」


 彼はたしか、どこかの大学に通っているはずだ。隣の女の子が、用賀の腕に触れた。


「あっ、じゃあな」


 用賀は、彼にぺこりと頭を下げてから、女の子と腕を組んで去って行った。



 僕は、彼を見て言う。


「高校のときの同級生だよ」


「そう」


 再び僕たちは、駅に向かって歩き始める。


「前に話したでしょう? キモいって言われた相手」


「あっ、じゃあ……。晴臣くん、大丈夫?」


「えっ、何が?」


 顔を見ると、彼は心配そうに僕を見つめている。


「だって、その……」


 かつて片思いしていて失恋した相手が、女の子と歩いていたことか。


「大丈夫に決まってるじゃん。今はこんなに素敵でラブラブな恋人がいるんだもん」


「あっ、そうか」


「大丈夫じゃなかったら仁さんに話さないし、それに」


「うん?」


「仁さんが心配してくれて、すごくうれしい」


 まったく、なんて優しいんだろう。彼に比べたら、用賀なんて、なんであんなに好きだったのかと我ながら不思議になるくらいだ。




 僕たちは、駅ビルの中のカフェに入った。僕は片手で簡単に食べられるサンドイッチを、彼はトマトの冷製パスタを注文した。


 彼が言う。


「今日は晴臣くんが育った街を見られたし、お揃いの本も買えてよかったな」


「たいした街じゃないけど」


 彼が笑う。


「でも、小さい晴臣くんが、あの公園を駆け回っていたのかと思うと感慨深いよ」


「そう?」


「うん。好きな人のことを知るのはうれしいことだよ」


「そうか。僕も仁さんのこと知りたいけど、でも……」


「何?」


「ちょっと怖い。仁さんと出会ってから初めて気づいたけど、僕ってけっこう焼きもち焼きみたいなんだ」


「そうなの?」


「どこかに仁さんに思いを寄せている人がいたら嫌だな、なんて。だから、初恋の話とか聞いたら、ちょっと……」


「それなら、僕だってちょっと嫉妬したよ」


「え?」


「さっきの彼。けっこうイケメンだったし」


 意外だった。


「えっ、だってただの片思いだよ。しかもキモいって言われてるし」


「でも、晴臣くんがずっとあの子のことを思っていて、学校に行けなくなるくらい傷ついて泣いていたんだと思ったら……」


 彼は悲しげな表情をしている。


「もう過去の話だよ。仁さんに比べたら、用賀くんなんて全然たいしたことないよ。


 仁さんのほうが100倍くらい素敵だよ。カッコいいし、優しいし、僕のこと、大切にしてくれるし」


 なんだか不思議だ。なんでヘタレで冴えない僕が、パーフェクト・オブ・パーフェクトの王子様を慰めているんだろう……。


  説得(?)の甲斐あって、ようやく彼が微笑んでくれた。


「ありがとう」


「そんな……」


 やっぱり彼って素敵な人だし、大好きだ。僕の王子様……。

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