やがて、梅雨の時期が訪れた。僕は、カビが生えたりしないように、より一層念入りに部屋の掃除をする。
天気のいい日は、動線を考えて窓を開け、風通しをよくする。この部屋は、12階建てのマンションの7階なので、太陽の影響を過度に受けることもなく、蒸し暑い日も、夏でも、意外に快適だ。
叔父さんは、そういうことまで考えて、7階を選んだらしい。さすがだ……。
雨の週末は、外出はせず、ずっと彼の部屋で過ごす。もともとインドア派の僕は、それもまた楽しい。
彼が料理するのを手伝ったり、一緒にテレビを見たり。あるとき、彼が言った。
「晴臣くんは、どういうのが好きなの?」
「え?」
一番好きなのは彼だけど、そういう意味じゃないことはわかっている。
「サスペンスとか、苦手でしょ?」
テレビ番組のことだ。
「苦手っていうこともないよ。ドキドキハラハラするけど、仁さんと一緒なら大丈夫」
彼がニヤリとする。
「そういうプレイもいいんだけどさ」
「プ、プレイ?」
なんだかエロい響き……。
「怖がる晴臣くんもかわいくて好きなんだけど、君が好きなものを一緒に見たいなあと思って」
「僕、ドラマとかあんまり見なくて」
今はマンションの自分の部屋にテレビもないし。
「実家に帰ったときに見るのは、クイズとか面白動画みたいなやつかな」
「そうか。そういうの、僕も好きだよ」
そう言いながら、彼はスマホを手に取る。
「ああ、ちょうど今夜クイズ番組があるよ」
ネットのテレビ番組表を見ているらしい。
「『歴史クイズバラエティー』だって。晴臣くん、歴史好き?」
「うん、わりと好き」
「じゃあちょうどいいね。よし、今夜はこれを見ることにしよう。ちなみに、何時代が好きなの?」
「平安時代かな」
「えっ、意外。戦国時代とか幕末かと思った」
「それも好きだけど、源平合戦とか、あの辺り。仁さんは?」
「僕はねえ……」
こういう日常的な会話も、なんだかとても楽しい。本当に僕たちの仲は、ゆるぎないものになったんだなあとしみじみ思う。
「あー、面白かったね」
そう言いながら、彼はリモコンでテレビのスイッチを切った。
「晴臣くん、歴史にくわしいんだねえ」
「えへっ、たまたまだよ」
クイズの問題は、偶然、僕が知っていることからたくさん出題されたのだ。彼が言った。
「じゃあさ、歴史のドラマなんかいいんじゃない?」
「ああ、そうかも」
「じゃあ今度、そういうのを見よう。ところで」
彼が、色っぽい流し目でこちらを見た。
「ムシムシして、ちょっと汗ばんじゃったな。一緒にお風呂に入ってさっぱりしない?」
「あ……いい、けど」
ただし、一緒に入ると、もっとたくさん汗をかくことになるのは必至だ。今夜も長い夜になりそうだ……。
「んっ、おいしい。チーズがいいね」
ケーキを頬張る僕を見て、彼が微笑む。
「そう? よかった」
今日の朝食は、例の炊飯器で作ったケーキだ。甘さを控えめにした生地にダイス状のチーズが入っていて、それがいいアクセントになっている。
彼が、マグカップを手にしながら言った。
「今日も一日雨みたいだねえ」
「うん」
雨でも嵐でも、僕は彼と一緒にいられるだけで大満足なのだけれど。
「今日は何をして過ごそうか」
「仁さんがしたいことを一緒にしたい」
僕の答えに、彼がつぶやいた。
「そう言うんじゃないかと思ったよ」
「あっ、別に投げやりに言ったわけじゃ……」
気を悪くしたのなら謝らなくちゃ。そう思ったのだけれど、すぐに彼は笑顔になって言った。
「わかっているよ。君が本心から言ってくれていることは。
それでさ、歴史系のドラマとか、コメディーとかいくつかチェックしてあるから、そういうのを見る?」
僕のために探してくれたのだ。うれしい。
「うん、見る!」
それは、僕が好きだと言った源平合戦を扱ったドラマだが、女性の視聴者を意識して作られているのか、歴史譚というより、かなりロマンチックでセンチメンタルな内容になっていた。合戦よりも、武士たちと女性たちの関りがメインになっている。
画面に目を向けたまま、彼が言う。
「なんか、思ってたのと違うなあ……」
「でも、面白いよ」
「晴臣くん、恋愛ものは好き?」
思わず口ごもってしまう。
「えっ……まあ、普通」
本当は、あまり興味はないけれど、食わず嫌いかもしれないし。彼が苦笑する。
「これはやめておく?」
「あっ、せっかくだから見てもいいよ。ええと、仁さんが見たければ」
彼は笑いながら、リモコンでスイッチを切った。
「恋愛なら、わざわざドラマで見なくても、自分ので充実しているし」
そう言いながら、僕の肩に腕を回す。そんなふうに思ってくれるなんて、うれしい……。
「でも、義経の少年時代をやっていた子、ちょっと晴臣くんに似ていたかも」
「え?」
「目元とか頬のラインとか、華奢な感じが」
「そんなこと……」
その年若い俳優は、中性的で、いかにもザ・美少年といったルックスで、僕なんかとは似ても似つかないけれど。そう思ってから、僕はハッとして聞いた。
「仁さん、あの子が好きなの?」
彼が、声を上げて笑った。
「違うよ。純粋に君に似ていると思っただけ。
好きだったら途中で切らないし。あっ、もしかして、晴臣くん、あの子が好きなの?」
僕は慌てて否定する。
「好きじゃないよ、全然。僕が好きなのは仁さんだけ」
こんな素敵な恋人がいるのに、遠い世界の芸能人に興味なんてわかない。すると、彼が体ごとこちらを向いて、静かな声で言った。
「いい機会だから言っておくよ。たしかに僕は、男の子である君のことを愛しているけれど、それは君だからで、男性全般が好きになったわけじゃない。
じゃあ今も女性が好きなのかって言ったら、それも違う。僕は君に夢中だから、ほかの誰も目に入らないし、恋愛対象にもならない。
つまり、君のことだけが大好きなんだよ」
「あ……」
いけないと思いながら、涙がこみ上げる。僕って、なんでこんなに泣き虫なんだろう。
それでも僕は、声を震わせながら言った。
「僕も、仁さんの、ことだけが……」
僕はなぜだか、気がついたときには同性が好きだったし、何度か片思いもした。だけど、彼と出会ってからは、彼しか見えないし、彼が僕のすべてなのだ。
「わかっているさ」
そう言って、優しくキスをしてくれた後、彼は僕を抱きしめた。たまらなく幸せなのに、涙が止まらない。
ようやく涙が止まった僕は、体を離し、うつむいたまま言った。
「ごめん……」
もう二十歳になったというのに、子供みたいに泣いて恥ずかしい。彼が、乱れた髪を直してくれる。
「いいよ。僕たち、ホントにラブラブだね」
「うん……」
彼と恋人同士になってから、もうずいぶん経つけれど、こんな素敵な人が僕を愛してくれているということに、まだ慣れることができずにいる。それで、ときどき心が乱れてしまうのだ。
彼が優しく言った。
「何か飲もうか」