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第37話 涙が止まらない

 やがて、梅雨の時期が訪れた。僕は、カビが生えたりしないように、より一層念入りに部屋の掃除をする。


 天気のいい日は、動線を考えて窓を開け、風通しをよくする。この部屋は、12階建てのマンションの7階なので、太陽の影響を過度に受けることもなく、蒸し暑い日も、夏でも、意外に快適だ。


 叔父さんは、そういうことまで考えて、7階を選んだらしい。さすがだ……。



 雨の週末は、外出はせず、ずっと彼の部屋で過ごす。もともとインドア派の僕は、それもまた楽しい。


 彼が料理するのを手伝ったり、一緒にテレビを見たり。あるとき、彼が言った。


「晴臣くんは、どういうのが好きなの?」


「え?」


 一番好きなのは彼だけど、そういう意味じゃないことはわかっている。


「サスペンスとか、苦手でしょ?」


 テレビ番組のことだ。


「苦手っていうこともないよ。ドキドキハラハラするけど、仁さんと一緒なら大丈夫」


 彼がニヤリとする。


「そういうプレイもいいんだけどさ」


「プ、プレイ?」


 なんだかエロい響き……。


「怖がる晴臣くんもかわいくて好きなんだけど、君が好きなものを一緒に見たいなあと思って」


「僕、ドラマとかあんまり見なくて」


 今はマンションの自分の部屋にテレビもないし。


「実家に帰ったときに見るのは、クイズとか面白動画みたいなやつかな」


「そうか。そういうの、僕も好きだよ」


 そう言いながら、彼はスマホを手に取る。


「ああ、ちょうど今夜クイズ番組があるよ」


 ネットのテレビ番組表を見ているらしい。


「『歴史クイズバラエティー』だって。晴臣くん、歴史好き?」


「うん、わりと好き」


「じゃあちょうどいいね。よし、今夜はこれを見ることにしよう。ちなみに、何時代が好きなの?」


「平安時代かな」


「えっ、意外。戦国時代とか幕末かと思った」


「それも好きだけど、源平合戦とか、あの辺り。仁さんは?」


「僕はねえ……」


 こういう日常的な会話も、なんだかとても楽しい。本当に僕たちの仲は、ゆるぎないものになったんだなあとしみじみ思う。




「あー、面白かったね」


 そう言いながら、彼はリモコンでテレビのスイッチを切った。


「晴臣くん、歴史にくわしいんだねえ」


「えへっ、たまたまだよ」


 クイズの問題は、偶然、僕が知っていることからたくさん出題されたのだ。彼が言った。


「じゃあさ、歴史のドラマなんかいいんじゃない?」


「ああ、そうかも」


「じゃあ今度、そういうのを見よう。ところで」


 彼が、色っぽい流し目でこちらを見た。


「ムシムシして、ちょっと汗ばんじゃったな。一緒にお風呂に入ってさっぱりしない?」


「あ……いい、けど」


 ただし、一緒に入ると、もっとたくさん汗をかくことになるのは必至だ。今夜も長い夜になりそうだ……。




「んっ、おいしい。チーズがいいね」


 ケーキを頬張る僕を見て、彼が微笑む。


「そう? よかった」


 今日の朝食は、例の炊飯器で作ったケーキだ。甘さを控えめにした生地にダイス状のチーズが入っていて、それがいいアクセントになっている。


 彼が、マグカップを手にしながら言った。


「今日も一日雨みたいだねえ」


「うん」


 雨でも嵐でも、僕は彼と一緒にいられるだけで大満足なのだけれど。


「今日は何をして過ごそうか」


「仁さんがしたいことを一緒にしたい」


 僕の答えに、彼がつぶやいた。


「そう言うんじゃないかと思ったよ」


「あっ、別に投げやりに言ったわけじゃ……」


 気を悪くしたのなら謝らなくちゃ。そう思ったのだけれど、すぐに彼は笑顔になって言った。


「わかっているよ。君が本心から言ってくれていることは。


 それでさ、歴史系のドラマとか、コメディーとかいくつかチェックしてあるから、そういうのを見る?」


 僕のために探してくれたのだ。うれしい。


「うん、見る!」




 それは、僕が好きだと言った源平合戦を扱ったドラマだが、女性の視聴者を意識して作られているのか、歴史譚というより、かなりロマンチックでセンチメンタルな内容になっていた。合戦よりも、武士たちと女性たちの関りがメインになっている。


 画面に目を向けたまま、彼が言う。


「なんか、思ってたのと違うなあ……」


「でも、面白いよ」


「晴臣くん、恋愛ものは好き?」


 思わず口ごもってしまう。


「えっ……まあ、普通」


 本当は、あまり興味はないけれど、食わず嫌いかもしれないし。彼が苦笑する。


「これはやめておく?」


「あっ、せっかくだから見てもいいよ。ええと、仁さんが見たければ」


 彼は笑いながら、リモコンでスイッチを切った。


「恋愛なら、わざわざドラマで見なくても、自分ので充実しているし」


 そう言いながら、僕の肩に腕を回す。そんなふうに思ってくれるなんて、うれしい……。


「でも、義経の少年時代をやっていた子、ちょっと晴臣くんに似ていたかも」


「え?」


「目元とか頬のラインとか、華奢な感じが」


「そんなこと……」


 その年若い俳優は、中性的で、いかにもザ・美少年といったルックスで、僕なんかとは似ても似つかないけれど。そう思ってから、僕はハッとして聞いた。


「仁さん、あの子が好きなの?」


 彼が、声を上げて笑った。


「違うよ。純粋に君に似ていると思っただけ。


 好きだったら途中で切らないし。あっ、もしかして、晴臣くん、あの子が好きなの?」


 僕は慌てて否定する。


「好きじゃないよ、全然。僕が好きなのは仁さんだけ」


 こんな素敵な恋人がいるのに、遠い世界の芸能人に興味なんてわかない。すると、彼が体ごとこちらを向いて、静かな声で言った。


「いい機会だから言っておくよ。たしかに僕は、男の子である君のことを愛しているけれど、それは君だからで、男性全般が好きになったわけじゃない。


 じゃあ今も女性が好きなのかって言ったら、それも違う。僕は君に夢中だから、ほかの誰も目に入らないし、恋愛対象にもならない。


 つまり、君のことだけが大好きなんだよ」


「あ……」


 いけないと思いながら、涙がこみ上げる。僕って、なんでこんなに泣き虫なんだろう。


 それでも僕は、声を震わせながら言った。


「僕も、仁さんの、ことだけが……」


 僕はなぜだか、気がついたときには同性が好きだったし、何度か片思いもした。だけど、彼と出会ってからは、彼しか見えないし、彼が僕のすべてなのだ。


「わかっているさ」


 そう言って、優しくキスをしてくれた後、彼は僕を抱きしめた。たまらなく幸せなのに、涙が止まらない。




 ようやく涙が止まった僕は、体を離し、うつむいたまま言った。


「ごめん……」


 もう二十歳になったというのに、子供みたいに泣いて恥ずかしい。彼が、乱れた髪を直してくれる。


「いいよ。僕たち、ホントにラブラブだね」


「うん……」


 彼と恋人同士になってから、もうずいぶん経つけれど、こんな素敵な人が僕を愛してくれているということに、まだ慣れることができずにいる。それで、ときどき心が乱れてしまうのだ。


 彼が優しく言った。


「何か飲もうか」

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