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第35話 十代最終日の僕

 結局、母はシャツとデニムと、スニーカーまで買ってくれた。店名の入った大きな袋を提げて歩きながら、僕は言った。


「ありがとう。えっと、僕もお母さんに何か買ってプレゼントするよ」


「晴臣……」


 感激したように頬を紅潮させる母を見て、急に照れくさくなる。


「僕だって、あともうちょっとで二十歳になるんだし、たまにはね」


 頼りない息子で、今までたくさん心配をかけたから、少しくらい恩返しがしたい。これからも、まだまだ心配をかけると思うけれど。


「ねえ、何がほしい?」


 母が微笑む。


「そうねえ。それじゃ、この頃は日差しも強くなってきたことだし、新しい日傘を買ってもらおうかしら」


「わかった。じゃあ、傘売り場に行こう」




 店員のアドバイスも聞きつつ、晴雨兼用の折りたたみ傘を買った。うれしそうに胸に包みを抱いた母を見て、突然、あることに気づく。


「あっ、お父さんにも何か買わないとまずいかなあ」


 母が笑い声を上げる。


「あれで、意外とひがみっぽいところがあるのよねえ」


 そうか、気づいてよかった。でも。


「何を買えばいいかなあ」


 父がほしいものなんてさっぱりわからない。母も首をひねっている。


「そうねえ……。ポロシャツでも買えばいいんじゃない? あって困るものじゃないし」


「じゃあそうする。お母さんも一緒に選んで」




 無事にポロシャツを買い、僕たちは最上階のレストラン街にある、うなぎ屋に入った。母が、せっかくだから、特上のうな重を食ようと言ったのだ。


 店員が注文を聞いて去った後、母が感慨深げに言った。


「晴臣も立派になったわねえ」


「いや、別に立派ってほどじゃ……」


「ううん、立派よ。一人暮らしして、お母さんに、こんないいもの買ってくれて」


「一人暮らしって言っても、叔父さんに助けてもらっただけっていうか」


「それでも立派よ。部屋もきれいにしているみたいだし、なんだかこう、前よりしっかりしたように見えるわよ」


「そうかなあ」


 やっぱり照れくさい。笑顔のまま、母が言った。


「そうやって、どんどん大人になって、親離れして行っちゃうのね」


「そんなこと……」




 5日は雨だったので、一日家の中でゴロゴロして、久しぶりに桃太郎と一緒に昼寝をしたりした。ふと、今日は十代最後の日なのだと思い至り、僕にしては、かなり気合を入れて自撮りした。


 夜になってから、「十代最終日の僕です」のメッセージとともに彼に送った。彼とは、毎晩チャットしている。


 すぐに返信が来た。


―― 貴重な写真をありがとう。十代最後も、すごくかわいいね。



 僕にしてはめずらしく、素直に「かわいい」を受け入れる。


―― ありがとう。めっちゃがんばって撮った。


―― 目と唇とほっぺがかわいいし、表情もいい。



 それってほぼ全部じゃん。だんだん恥ずかしくなってきた。


―― それほどでもないけど。


―― 明日の夜は、二十歳になりたての晴臣くんに会えるんだね。楽しみ。



 明日は、昼には両親に誕生日を祝ってもらい、夜は彼の部屋に行くことになっている。


―― 僕も楽しみ。早く明日の夜にならないかな。


―― 昼間は、ご両親との時間を楽しんで。


―― ありがとう。




 誕生日の当日になった。ゴールデンウィークは昨日で終わりだけれど、なんと父は、今日は有給を取ったのだという。


 母に言われてそうしたらしいけれど、それでも、僕の誕生日にわざわざ休みを取るなんて、ちょっと意外だ。朝ご飯のとき、母が言った。


「お父さん、9時を過ぎたらケーキを取りに行って来てくださいね」


「ああ、わかった」


 そして母は、僕を見て微笑む。


「誕生日のケーキ、駅前のカナヤマに予約してあるのよ」


「えっ、そうなんだ」


 カナヤマのケーキは、子供の頃からよく食べているし、誕生日のケーキを買ってもらったこともあるけれど、わざわざ予約してくれたのか……。


「それから、お昼はお寿司の出前を取ろうと思っているんだけど、どう?」


「あっ、いいね。うれしい」


 一昨日のうな重といい、いや、その前日のから揚げとキンピラも合わせてご馳走続きだ。


「よかった。もちろん特上よ」


 にっこり笑う母を見て、父がぼやいた。


「まるでお母さんの誕生日みたいだな」


「あら、かわいい一人息子が二十歳を迎えるのよ。私だって母親になって二十年なんだから、記念すべき日よ」


「ほう、そうかい」


 他人事のように言う父に、母が眉をひそめる。


「お父さんだって父親になって二十年じゃないの。そういう感慨はないの?」


 なんだか不穏な空気になってきた。僕は慌てて言う。


「あの、お父さんもお母さんも、二十年間育ててくれて、どうもありがとう」


 はからずも、こんな場面で感謝の言葉を述べることになってしまったけれど。


「ほら見なさい。晴臣はこんなにいい子に育っているじゃないの」


 目を潤ませる母を見て、気恥ずかしさもひとしおだけれど、感謝しているのは事実だし、まあいいかと思う。




 ケーキは、オーソドックスな生クリームとイチゴのホールケーキだけれど、飾られた、母が桃太郎を意識したらしい特注のマジパンの猫と「おたんじょうびおめでとう」のプレートがかわいらしい。


 記念に写真を撮ろうとスマホを出すと、母が言った。


「あら、それ」


 フローライトのチャームを見ている。


「あっ、ええと、これは、お守りみたいなもの」


「そうなの。かわいいわね」


 いろいろ深掘りされたら困ると思ったけれど、母の興味は、すぐにケーキに移ったようだ。


「このロウソクも刺してから撮ったら? 火も点ける? せっかくだから晴臣も撮ってあげようか?」



 母が「happy Birthday」を歌い出し、ちょっと恥ずかしかったけれど(そう言えば、僕も仁さんの誕生日に歌ったっけ)、写真を何枚か撮ってから、ロウソクの火を吹き消した。




 ケーキを食べている途中で、母がハッとしたように言った。


「いやだ、忘れるところだった」


 そして、食卓の、母の椅子の背後にある棚の引き出しを開けて、小さな箱を取り出した。それを僕に差し出しながら言う。


「晴臣、二十歳の誕生日おめでとう。これ、お父さんと一緒に選んだのよ」


「えっ、ありがとう」


 反射的に受け取り、箱を見つめる。包装紙に包まれた、両手のひらに載る大きさの立方体に近い箱だ。


「開けてみなさいよ」


「うん」



「うわ……」


 それは、見るからに高級そうな、文字盤のブルーが美しい腕時計だった。母がニコニコしながら言う。


「あなた、腕時計を持っていないでしょう?」


「スマホを時計代わりにしているから」


「でも、もう二十歳だし、一つくらいいいものを持っていてもいいんじゃないかと思って。ねえお父さん」


「ああ、そうだな」


「ありがとう……。高かったんでしょ? すごくカッコよくて、僕にはもったいないくらいだけど」


 すると、父が言った。


「世の中には、持ち物で人を判断するようなやつもいるもんだ。いざというときには着けて行くといいぞ」


「うん。大事にするよ」


 いざというときなんて、僕にはなかなかなさそうだけれど、父がそう言ってくれたことがうれしかった。

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